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第23話

無理を言ってもぎ取った、週末の貴重な休みを無駄にしてから数日が経過していた。 翌日には丈晃といると不動産屋の椎名から電話が入って二人の時間を邪魔され、その翌日からは丈晃が仕事が忙しくなり、暫く定時では上がれそうにないから会えないと連絡が入った。 マメな彼からは夜寝る前に電話がかかってくるが、話す内容は椎名からの不動産情報がメインで、声を聞く度に苛立ちが積もっている状態だ。 「あっ、元宮さん、今夜ご飯一緒して下さいよ。ご馳走するんで」 閉店作業をしている汐月に声をかけてきたのは、仲だ。 「嫌や。オレは今夜は飲みに行くねん」 「だったら俺も!お願いします。ホントお願いします!」 両手を合わせて頭を下げられたが、もう一度嫌だと告げて作業に戻った。 店の電動シャッターを下ろして、マットを隅へと置いて振り返ると、仲がその場にしゃがみこんでいた。 流石に驚いて彼の元へ行くと、汐月のデニムの裾を掴んで揺すってくる。 「...なんか困った事でもあったん」 「.....元宮さんにしか言えなくって...」 いつもの彼とは様子が違う。汐月はため息を着くと、わかったと返事をした。 平日の夜は特にゆっくりと飲めるこの店が、汐月にとっては癒しだ。 仲の話は聞いてやらなければならなくなってしまったが、久し振りにマスターにも会えるし、運が良ければ圭介の顔も見れるかもしれない。 「元宮さんも機嫌悪そうだったけど、喧嘩でもした?」 「喧しい。オレの事は気にせんといて」 話しながら焦げ茶色の重い扉を開くと、カウンターの中のマスターがすぐにこちらに気付いて頭を下げてくれた。 控えめな照明と流れるジャズに心が落ち着いていくようだ。しかも、圭介の声が聞こえた。 (やった!圭介さんおるや.....ん?んん?) 圭介は入口から見てカウンターの奥にいる。手前にはスーツ姿の男性が一人座っていて、珍しく楽しそうな笑顔を見せる圭介に驚いた。 「いらっしゃいませ、元宮様。奥のお席に致しますか?」 カウンターから出てきてくれたマスターに聞かれたが、汐月はカウンター席の方が好きだ。 ここで。と返事をして圭介の連れから二つ席を離して座ると、こちらに気がついた圭介が手を振ってくれた。 その姿を拝めただけで、苛々が霧散していくようだ。 「ちっ。相変わらずキザな男だな」 反対側から聞こえた仲の言葉に拳で反応してやると、酷いと唸った。 「叩かなくてもいいのに」 「圭介さんはオレの理想の塊やねん。人のオアシスを悪くいうんやったら今すぐ帰りや」 「...ごめんなさい」 「素直でよろしい。マスター、ビールふたつで」 艶のあるカウンターに手を置いて言った直後、隣から視線を感じて圭介の方へ顔を向けた。 「歳下のセフレ?結構可愛いじゃない」 何故ここに彼が。そう思ったが、同じゲイだ。いや、そういう事ではなくて、何故不動産屋の椎名が圭介と親しそうに飲んでいるんだ。 軽くパニックになってしまい惚けていると、身を乗り出して仲の方を見た椎名が、何かに気づいたような顔をした。 「あ、でも彼ノンケじゃない?元宮さんて本当にノンケにモテるのね。羨ましいわ」 不動産屋で二人の時に聞かされた一方的な会話が思い出され、不快感に眉を寄せた。ここは不動産屋内ではないし、丈晃はいない。売られた喧嘩を買う気で口を開きかけたその時、圭介がいつの間にか汐月と椎名の間に立っていた。彼は背中で汐月を隠すようにして、よく通るその声を響かせた。 「湊さん。いくら貴方でも俺の大切な子に意地悪するのはやめて貰えますか」 「圭介、あんたも可愛いの好きだったわね」 「好きですが、汐月くんの魅力はそこだけではないので」 振り向いた彼に癖のある髪を撫でられて、最高潮に胸がときめいた。 「ちょっと元宮さん、何顔真っ赤にしてるの」 「うるさい、黙っとって」 顔を出してきた仲を押さえつけ、汐月に微笑む魅力的な笑顔を間近に見ると、全てのストレスが消えてしまう気がする。 「それはいいけど、浮気現場押さえられたのはいいわけ?」 「...浮気?汐月くん、彼氏が出来たのか」 椎名にあっさり暴露されてしまったが、圭介はすぐにおめでとうと喜んでくれた。 「最近顔を見せないからそうじゃないかと思ってたんだ。お祝いに今夜は俺がご馳走するよ」 圭介が目配せをすると、マスターも汐月にお祝いを言ってくれた。 「美味しいフルーツが揃ってございますよ」 「え、そんなんええよ、圭介さん」 「俺がしたくてする事だから、素直に受け取りなさい」 彼はいつもの様に汐月の頬を手のひらで包むと、優しく額にキスをしてくれた。 「キザすぎる...」 仲の唸り声が聞こえていたが、こちらを見て楽しそうににやにやと笑う椎名が気になる。 「言うとくけど、浮気やないから。職場のバイトやしな」 「...寝てないって事?」 「そんなん、あんたに関係あらへんやろ」 「じゃあ、たけに元宮さんに会ったって言ってもいいって事よね。この後、電話する約束してるのよ。口止めするなら今のうちだけど」 「...勝手にさらせ」 挑発的な言葉と目に耐えられなくなった汐月は、その場の彼との会話をそこで終わらせた。 「湊さんは俺に会いに来てくれたんでしょう。こっちの話に集中して下さい」 圭介は立ち上がって椎名を誘い、場所を変えるからゆっくりして行きなさいと二人で出て行ってしまった。 椎名が居なくなるのは助かるが、圭介には残っていて欲しかった。 「元宮さんっ!俺の話聞いてくれる約束忘れてない?」 「...マスター!ビールお代わり!」 グラスの中身を一気飲みすると、心配そうにするマスターに向かって大きな声で注文した。 「...ほんで?話ってなに?」 ナッツを口に放り込んでガリガリと音を立てながら聞くと、仲は言いにくそうに頬を撫でている。 まるで照れているような仕草に気がついて、本命が出来たのかと聞いてやると、ぐるんとこちらに顔を向けたので驚いた。 「ほ、本命って、なんでわかるの?」 「.....適当にゆーたんやけど。え〜仲くんがマジで?どんな可愛い子なん」 彼がかなりの面食いだと知っている。確か現役モデルの女の子も連れて歩いていた事もあったはずだ。 「...か、可愛いよ。...もうなんか最近はくしゃみしても可愛く見えちゃうんだよね」 「それ重症やん。良かったやんか。その子と上手く行けば結婚も出来るし、安泰やん。仲くんとこ確かお金には困ってへんやろ?なんも問題ないやんか」 言葉にすればするほど、自分との違いに思い知らされて心がまた落ち込んでいきそうだ。 そうならないようにとビールを流し込んでいたが、隣でもじもじとする仲に気がついてグラスをカウンターに置いた。 「...なんか気持ち悪いねんけど」 「や、その、...可愛いな、好きだなって思う相手は女の子じゃないんだ」 「.....あ〜、そう。オレ意外ともしてたんや」 「セックスはしてないよ。男は元宮さんとしかしてないし。でも...、気がついたらその人としか会ってないし、女の子とセックスもしなくなっちゃってて。自然とそういうことなのかなって、答えが出た感じ...?」 疑問形で語られても仕方ないのだが、彼の話で相手が誰なのか分かってしまった。 少し前から気にはなっていたが、まさか本当にそうなるなんて。 「そうなんや。良かったやん、玲くんは真面目でええ子やしな」 「違う、そうじゃなくて、その...まだ何も、なんだ」 「.....は?」 「俺が勝手に好きになっちゃった状態でさ、玲さんは俺の事、普通に友達としか見てないよ」 てっきり二人で纏まりましたという報告だと思った汐月は、益々脱力してしまった。 カウンターの上にだらりと腕を伸ばして頭を乗せると、マスターがフルーツの盛り合わせを運んで来てくれた。 「元宮様。もしよろしければ、いつかお相手の方をお連れくださいませ。圭介様もお喜びになります」 もちろん、私も。 そう言ってくれる彼は、いつも細やかな心遣いで汐月を迎えてくれる。 「ありがとう、マスター。連れてこれる日があるんかどうかは分からんけど、とりあえずこれは有難く食べるわ!」 今日あった出来事の何もかもが面倒になった汐月は、全てを飲み込んで消化しようと熟したメロンを指で摘んで頬張った。

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