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第31話

早足で自宅を目指して歩いていたが、泣き止んで落ち着いたらしい汐月に、夕飯は済んだのかと聞かれた。 「あぁ、昼に買ったパンの残りがあったから食った。お前は?」 「おばちゃんとお好み焼き食べた…」 目元を擦りながら隣を歩く彼の様子に、愛しさが溢れて胸が苦しい。 肩を抱いて支えるようにして歩いていたが、丈晃の腕を放すと手を繋いできた。 今までは寄り添って歩くだけで嫌がっていたのに、会えずにいたことがそうさせているのだろうか。 幸せなこの現状は、彼が勇気を出してくれたお陰だ。比べて、自分はなんと情けないことか。 だが、それと同時に嬉しさに満たされて口元が歪む。俺は世界一の幸せ者だと叫んでしまいたい。そして、誰かに何故幸せなのかを自慢したい。 「…なぁ」 「ん?」 「……休み、とれるから…。来週にでも行く?」 「…新幹線のチケットは俺が用意する。もう、何も心配はいらねぇからな」 小さな頭を手で包み撫でてやると、繋いでいた手に力が込められた。 それを口にする事が、どれだけ悩んだ結果なのかはわかる。 それに丈晃も応えなくてはならない。 冷たい空気を吸い込んで夜空を見上げた丈晃は 覚悟を決めたが、今夜は少し置いておこう。 まずは弱りきった汐月を癒す方が先だ。 「汐月んちでいいか?」 彼の自宅の方が風呂は広いし、寝床もいい。そう考えて提案したが頭を振った彼に却下された。 「丈晃のとこがええ」 か細い声は全身で丈晃を求めてくれている。 その後は丈晃のアパートに辿り着くまで互いに無言だった。 部屋に入り一言だけ風呂はどうするか聞いたが、彼はやはり頭を横に振って丈晃の胸にしがみついて離れない。 (よっぽど淋しかったんだな…) 布団の側にある押し入れを開けた丈晃は、毛布を一枚だすと汐月を抱き締めてその上から毛布を巻いた。 「…あったかい…」 抱き締めた汐月は丈晃を押してそのまま布団の上に横になってしまった。 「このまま寝ちまっていいからな。明日の朝は起こしてやるから」 「…うん。……でも、丈晃勃ってるで…」 「お前とくっついてたら当たり前だろ。気にすんな」 「ぷっ、あはは、格好つけてんのにちんこ勃ってるとか、あっははは」 「笑うなっての」 「ふふ、かまへんで?エッチしてから寝る?」 可愛らしい声のままそう告げられ、思わず腰が揺れてしまいそうになった。 「しねぇよ。これから先いくらでもできんだろ?…もう二度と離してやれねぇからな。覚悟しとけ」 「……期待しとく」 素直に受け入れられてしまうとやはりどこかくすぐったい。小さな変化だが、彼が素直に気持ちを言葉にしている気がして心臓が忙しい。 (やっぱりヤっときゃ良かったか…?) 既に股間は痛む程膨らんでいたが、すぐに汐月の穏やかな寝息が聞こえてきた。 明日の朝は汐月が好きな豆腐の味噌汁にしよう。野菜嫌いの汐月だが、丈晃の作るほうれん草のバター炒めなら食べてくれる。 簡単なものしか作れなくても、美味しそうに食べる彼の様子を見るのが好きだ。 贅沢な料理が並ぶ食卓じゃなくても、子供を成し得ない家族でも、世界に誇れる幸福をつくっていける。 腕の中で眠る汐月をもう一度強く抱きしめると、丈晃も目を閉じた。 正月に帰省した時は、これでまたしばらく来なくても催促されないだろうと思っていた。ただの義務でしか無かったが、今回は違う。 丈晃の母に受け入れて貰えた事は汐月の力になってくれる。実家の玄関で深呼吸をした汐月は、後ろにいた丈晃に目配せをした。 「お前、ちょっと待てよ。今から殴り込みにでも行くみたいな顔になってるぞ」 ここへ来て緊張感のない笑顔を向けられて、何となく腹が立った。 「似たようなもんやんか。ゆーとくけどな、これで反対されてももう知らんで?オレは丈晃と住むって決めたんやから、絶縁されても変更せんからな」 かなり気合を入れて告げたのだが、分かったからと頭を撫でられてしまった。 実家へ向かう新幹線の中でも旅行気分の彼だったが、こちらへ来るのは子供の頃ぶりのはずだ。仕方ないのかと思いつつ、複雑だった。 「よし!」 玄関のドアノブを力強く掴んだが、音を立てないように静かに回した。 そっと扉を開くと、姉が仁王立ちでいて大声が出そうになった。 「玄関前で騒いでんと、はよ入って来ぃや」 「……姉ちゃん…」 「夏ぶりやな、しづ。お姉様のメールも電話もことごとく無視して、よう帰ってこれたなぁ」 両親より先にこれか。とうんざりしつつ目を逸らすと、美月はすぐに満面の笑顔になった。 「たけちゃん!待っててんで〜。いらっしゃい!ほら、はよあがってや」 汐月を玄関の壁に押しやった美月は丈晃の腕を掴んで引き入れてしまった。 先にリビングに消える丈晃を見送り、舌打ちをして汐月も靴を脱いだ。 久しぶりの実家は懐かしい匂いがする。 両親と短い挨拶を終えると、丈晃に手招きをされて隣に座り炬燵に足を入れた。 「汐月、ちゃんと姉ちゃんに謝ったんか?」 父に聞かれ、一応。と返事をすると、謝ってへん!と叫ばれてしまった。 「もう、うっさいなぁ。どうも申し訳ございませんでした!」 「なんなん、客に謝ってるんちゃうで」 「そう言えば、丈晃くんが汐月に再会したんて、クレームやと思われ時やったんちゃうんか」 姉に向かって文句を言おうとしていた汐月は、父の言葉に驚いて口を閉じた。 「客としてのクレームじゃないってわかった瞬間の関西弁は凄かったっすよ。怯みましたからね、ガラが悪くて」 「こっちの言葉はキツぅ聞こえてまうもんなぁ。まぁ、でも、運命的な再会っちゅーやつやろ」 「お父さん、私思ったんやけど、これドラマチックな実話として売り込んだらテレビ局とか買ってくれるんやない?」 キッチンから顔を出した母は、熱いお茶を入れた湯呑みを運びながらそう言った。 「ホンマにあった凄い話!みたいなんで?いや〜無理やろ。幼馴染と再会とか普通にあるやんか」 姉は無理だと顔の前で手を振っている。 何故この場で汐月一人が会話の内容が理解できないのだろう。 汐月の中では時期外れに帰省した理由を聞かれ、告白するつもりでいたのだ。同性である丈晃との同居報告は元宮家に嵐を呼ぶと身構えていたのに。 「そうかぁ〜。お金になったらお父さんと温泉旅行でも行けたのになぁ。あ、たけちゃんもお煎餅食べるやろ?」 煎餅が入れられた皿を丈晃の前に差し出した母は、残念そうにしている。 「…ちょ、っと、待ってや…。なんで…?なんでみんな知ってるん…?」 目を丸くした汐月が聞くと、姉が手を挙げた。 「たけちゃんから報告に来るって聞いたから、おとんとおかんがビックリして心臓マヒ起こさんように軽く話したんよ」 姉の後に母が、はい!と手を挙げた。 「突然息子が男の人しか好きになれへんとか聞かされて、しかもよー知っとる子と付き合ってるて聞いたらビビるやんか」 母の後は父が汐月に向いた。 「相手は丈晃くんやて美月から聞いたんや。知らん者ならまだしも、昔から知っとる子や。せやから、美月に電話させてな、お父さんが挨拶に来いて呼んだんや」 父は湯呑みを口元に寄せて熱いお茶をすすっている。 では、昨夜から緊張であまり眠れなかった汐月の杞憂はなんだったのだろう。 隣に座る丈晃の足を摘んで捻りながら睨むと、痛いと大袈裟に叫んだ。 「いやいや、マジで痛てぇって、汐月っ」 「やまかしいわ!いつやねん!いつ来たんや、ここに!」 問い詰めると、一昨日。と言われてまた驚いた。 汐月の父に呼び出されたからと一昨日は急遽有給をとって、朝からここまで話をしに来たあとすぐに帰ってきたらしい。 「お、一昨日って、普通に夜に店に迎えに来てたやん…。玲くんと三人でお好み焼き食べに行ったやんな?」 「あぁ。だから、有坂は俺が有給とったのも知ってるから、口止めしておいた」 「なんやねんな!なんで言わへんねんっ。オレだけ知らんとかそんなん、」 「ちょっと、汐月。あんた、昔はたけちゃんにそんな口きかへんかったやろ。旦那さんに向かって、それはあかんと思うよ」 向かいから母に突っ込まれ、正論に口を噤んだ。 「いや、変わんねぇっすよ。相変わらず可愛いし甘え上手っすからね」 「しづだけズルいわ〜。私かて、たけちゃんに甘えたいのになぁ」 「悪いな、美月。俺はもう汐月だけのもんだからな」 目の前に置かれた湯呑みと煎餅の皿をひっくり返して飛び出ようかと拳を握りしめていると、丈晃が急に炬燵から出て皆から距離を取り、正座をした。 「改めまして。お父さん、お母さん。美月。俺に汐月をください。俺はもう、こいつがいないと生きていけないんです」 長い身体で頭を下げた姿に、胸が大きく揺れた。 男の汐月がこんな風に扱って貰える時が来るとは、微塵も思っていなかったのだ。 「…汐月」 不覚にも丈晃に見惚れていた汐月は、父に呼ばれて我に返った。 「お前はどうなんや。もうええ歳しとるんやし、この先のことは予想はつくやろ。誰のせいにもせんと、ちゃんと丈晃くんと背負っていく覚悟は出来とるんやな?」 父の言葉には重みがあった。汐月は今一度その意味を深く捉え、炬燵から出て丈晃の隣に正座をした。 背筋を伸ばした後、頭を下げゆっくりと息を吸い込んだ。 「出来てる。丈晃となら、泣いてもまた笑えるようになれるから。…オレ、丈晃と一緒になりたいです」 静まり返った室内だったかが、鼻をすする音がして顔を上げた。母が泣いているのかと思ったが、ティッシュで顔を隠していたのは意外にも姉の美月だった。 「え…姉ちゃん、泣いてる?」 「…ぅ、な、泣くやろっ、こんな、めっちゃ感動したわ、腹立つわっ」 「やめてよ、美月〜。お母さんまで泣けてくるやんか〜」 母までが顔をクシャクシャにして泣き始めてしまい、その後はなんだかよく分からない状態になってしまったが、泣いている二人をからかう汐月も涙が出そうになっていた。 その日の夕飯は、とても豪華だった。昔から高いと評判の寿司屋から出前をとり、丈晃と父は楽しそうに酒を飲んでいた。 「汐月、あんたの部屋に二人で寝れるようにしてあるから」 「あ、うん。ありがとう」 母に礼を言うと、汐月のグラスにビールをついでくれた姉が頬をつねってきた。 「私の部屋の隣なんやから、ここでヤラシイことはせんといてや」 「するわけないやろっ。ほんっま、美月は女やのにデリカシーないなぁっ」 「ちゃんと姉ちゃんて呼びや!」 「あんたら、めでたい日に喧嘩しなや」 母の足が座る二人の背中に当てられた。そう言えば、母は足癖が悪かった。 「まぁ、色んな心配してた事がスッキリしたから。あとはたけちゃんに任せるわ」 そう言うとグラスの中身を飲み干した姉は、にっこりと笑った。 「結構辛い事もあったんやろ?たけちゃんおるんやから、もう我慢せんでええんやから。…良かったね、しづ」 不意をつかれたせいで、思わず息を止めた。油断するとすぐに涙が零れ落ちそうになる。 丈晃の母の前で泣いたあの日から、涙腺はやや壊れ気味だ。 「…うん…」 素直に頷くと、数年ぶりに姉に抱き締められた。幼い頃はよくこうしてじゃれて遊んでいた気がする。 「こら!二人だけでなんや!お父さんも仲間に入れてや〜!」 酔っ払って真っ赤な顔をした父が二人にとびついてきて、美月と二人で倒れ込んだ。 「くっさ!やめてぇや、キモイ!お父さんっ」 「美月はお父さんをもっと大事にせなあかん!丈晃くんからもゆーてや」 助けを求められた丈晃もかなり酔っているらしく、にやにやとしながら日本酒を舐めている。 「…おかん、オレ風呂入ってくるわ」 酔っ払いだけは相手にしたくない。汐月はさっさと風呂を済ませると、母に用意された布団に潜り込んで睡眠不足を解消した。

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