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第6話 だって好きなんです!

「ここ賑やかだし、もうちょっと静かなところに河岸(かし)を変えようか」 そう言って、織江さんはさっさと席を立って会計を済ませて店を出た。 俺は慌ててその後を追いかける。 「近くに、たまに行くバーがあるんだ。そっちの方が静かでいい」 織江さんはすたすたと歩いていく。 半地下のそのバーは、扉に小さく『ペルセウス』と印されていた。 中は案外広く、テーブル席がいくつかと、グランドピアノが置いてある。 「よーぉマスター。ご無沙汰」 織江さんはカウンター席に着いて、中にいる男に声を掛けた。 恐る恐る俺もその隣に座る。 「ご無沙汰ーじゃないだろ。一年ぶりくらいじゃないのか。もっと顔出せよ」 「やだな、半年前にも来てるだろ。あ、俺がしばらく来なかったから寂しかった?すまんな敏弥さん」 「寂しかねえよ。ただお前が来るとしこたま飲んでくれるから、売り上げのためにもう少し頻繁に来てくれ」 「金、金、金。やだやだ、世知辛いねえ」 半年ぶりに来たと言うわりに織江さんはずいぶんマスターと仲が良いみたいだ。 「で、何飲む?」 「スコッチ、トワイスアップで」 「そっちの子は?」 「え、ええと」 バーなんて来たの初めてだ。何を頼んでいいか分からずにあたふたしていると、織江さんに頭をぽん、てされた。 「こいつには何か軽いカクテル作ってやってくれ。甘すぎないやつ」 「はいよー。で、今日は何の用だ?」 マスターが背後の棚から酒瓶を取りながら聞いた。 「特に用はねえよ。静かなとこに来たかっただけだ」 「ほうほう、うちなら客が少ねぇからうってつけ、と。うるせーよ」 「相変わらず口悪いな。小島、こういう風にはなるなよ」 マスターと織江さんのやり取りをぼんやりと聞いていたら、突然矛先がこっちを向いた。 「え、あ、はい」 「小島お前、今話聞いてなかったろ」 織江さんが片眉をくいと吊り上げる。 「すみません。まだ緊張してて」 「おいおい、もう三十分くらい経ってるぞ?」 時計を見て少し笑った。 「いや、結構なビッグイベントだったので」 マスターがスコッチをカウンターに置きながら聞いた。 「何かあったのか?」 「聞きたいか?……ふふん。告白された」 「誰が」 「俺が」 織江さんの一言で、マスターの動きがぴたりと止まった。 「なあ、えーっと小島くんだったか」 マスターがカウンターに手をついて身を乗り出してきた。 「本気か?それとも、なんとなくいいなぁって感じのノリか?」 「本気です」 俺がそう答えると、マスターは軽く混ぜたタンブラーを俺の前に置いた。 「はい、モスコミュールな。……小島くん、君いい子そうだから忠告しておくけど、こいつは見た目どおりのクズな遊び人だ。二股、浮気くらいは平気でやるぞ。悪いことは言わねぇ、環だけはよしといた方がいい」 結構衝撃的なことを言われた。 曰く”クズな遊び人”織江さんを横目で見ると、顔色も変えずにグラスを傾けている。 「本当ですか?」 「本当だ。どうする?」 織江さんがカウンターに頬杖をついて、俺に向けてにやりと意地悪く笑った。 困ったことに、クズでも遊び人でも、それでも織江さんが好きだ。 「俺が気づかないように二股とか浮気とかしてもらうことはできますか?」 「無茶言うなよ。それができたら苦労してねえ」 くっくっと喉の奥で笑いながらスコッチウィスキーを飲んでいる。 「分かりました。……それでも好きです」 だって織江さんかっこいいもんな。俺が独占しようなんてのが間違ってる。 グラスを磨いていたマスターが、危うく手を滑らせそうになった。 「危ねー。……環、この子はお前にはもったいない。お前が手を退け」 「やだね。告白されたのなんか、何年ぶりだと思ってるんだ。しかも一回り以上も年下に。こんなチャンス見逃す手はねぇ」 「環お前、ほんとクズだな。……小島くん、まあ、せめて辛くなったら飲みに来いよ。話くらいはいつでも聞いてやるから」 「ありがとうございます」 モスコミュールを飲む。爽やかな風味が口の中を通り抜けていく。 「あの、織江課長」 「(たまき)」 頬杖をついたまま織江さんが言う。 「え?」 「俺の名前。環状線の環、で環」 これは名前で呼べってことか。 う、あ、た、環さん。……だめだ、心臓が破裂する。 胸を押さえて俺はその名を呼んだ。 「環さん」 「なんだ、陸」 「今って、何股ですか」 環さんは琥珀色の液体を口に含んで、ちょっと目を細めた。 飲み下して、酒に濡れた唇で告げる。 「今は陸だけだ」

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