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第2話
一次会のレストランの後、春にしては珍しく二次会にも参加した。
小さな居酒屋だった事もありわずかな時間でカラオケに行く事になったので、春はそこで皆と別れた。
アルコールで熱くなった息を夜空に吐くと、微かに白く靄がかった。
「息白いよな。かなり寒くなったよなぁ」
何故か隣を歩いている知直に言われ、うんと頷いた。
「知直はカラオケ行くんだと思った」
「...だってお前行かねぇじゃん」
「行かないよ。カラオケ好きじゃない」
「だろ。それに...あの野郎消えたしな」
白澄のことだと分かっていた。二次会の居酒屋を出た後、白澄は田坂と何か話しながらこっそりとみんなから離れていった。
「ん〜、田坂さん、可愛かったし。ホテルにでも行ったんでしょ」
「.....田坂はさ、人気あるんだよ。見た目だけじゃなくて気の利く子だし。アラサーの男連中の中で大人気。...だけど、白澄が狙ってるんなら誰も手を出さねぇだろうな」
白澄は、男から見ても魅力のある人物だ。多少横柄で強引なところはあるが、整いすぎた男らしい風貌の印象をいい意味で裏切る笑顔を見せてくれる。
冷たそうに見えても世話焼きなところもあるし、懐も深い。
大学でも成績は良く、街中の小さな商社になんとか就職した春とは違い、彼は大手企業の営業として毎日深夜まで働いている。
「...白澄さ、本当なら早く帰って休みたいだろうに、頼まれたら断らないから飲み会も出てくれるんだよねぇ。明日もきっと朝早いだろうに...。はぁ...カッコイイと思わない?」
春は白澄のスーツ姿を思い返しながらうっとりとしていたが、隣を歩いていた知直に後頭部を叩かれてしまった。
「いたっ」
「お前さ、俺の話聞いてた?白澄の下半身はいつ落ち着くんだよって言ってるんだけど」
「.....そんなの、俺に分かるわけないでしょ」
「そしてお前はいつになったら、白澄に本気だって伝えるんだよ」
「.....言わない」
「なぁ、春。俺らもう三十手前じゃん。いくら都合がいい関係でもさ、そろそろけりつけねぇと」
「白澄が結婚したら俺が惨めになるから?」
「.........」
「男のくせに女々しく泣いて過ごす俺の未来を心配してくれてるんでしょ。知ってるよ、知直は昔から優しいもんね」
「...そういうんじゃなくてさ...」
「誤魔化さなくていいよ。...白澄が結婚を考えてる事は知ってるから」
話しながら振り向いたが、少し離れただけで知直の表情は見えない。住宅街の街灯だけでは、複雑な気持ちは知直には伝わらない。
「春...」
「やだな、そんなに気を使わないでよ。別にどうにもならないよ。...二人きりで会うことが無くなるだけで」
白澄へ向かう気持ちが好意だと気がついた時には、もう全てが遅かった。
せめて社会に出る前に伝える事が出来ていれば、ここまで面倒にならなかっただろう。
我ながら面倒だ。好きだと言えばいいだけなのに、アレコレとつまらないプライドが絡まって、一つずつ解いていくことを諦めたのだ。
理由がない訳では無い。
春は男で、白澄とは子供が成せない。女性ではないから、全てが彼には相応しくない。
「田坂さんなら...お似合いだと思うなぁ」
「他人事みたいに言うなよ...」
「.....え、知直、怒ってるの」
怒ってない。低い声で呟いた彼は、勢いをつけて春に体当たりすると、腕を回して強く抱き締めてきた。
「え、なに?」
「何もねぇよ。...今度は女連中と飯行くの断るなよ」
「あぁ、うん。大丈夫...。知直、ありがとうね。今日はみんなと話せて良かったし、知直のお陰だよ」
適度なアルコールと、薄暗い夜道の効果なのか、素直に感謝を伝えることが出来た。
「ただいま...っと」
一人暮らしなのだから、帰宅して声をかけても返事をするものはいない。
真っ暗な玄関で照明のスイッチを押すまで、室内が見えないのも当たり前だ。
結婚をするということは、誰かがおかえりと迎えてくれることで、灯りのついた家に帰るということだ。
それがいかに幸せな光景なのか、ゲイである春にもよくわかる。
「...まだあったかな...」
鞄を引き摺りながら部屋に入り、灯りをつける前に冷蔵庫を開けた。
中にはビールと食べかけのプリンがあるだけだった。
キッチンの流しに凭れて缶ビールに口をつけ、ここ十日ほど白澄が来ていない事に気がついた。
二人がけの小さなソファに座り、玄関の灯りだけで照らされた室内を見渡した。
ソファの前に置かれた黒いテーブルの上には、ノートパソコンと書類が積まれている。
足元にも書類が散らばり、ビールの空き缶がテーブルの下に押し込まれて並んでた。
少し前までは、部屋のあちこちにハンガーにかけられた衣服が吊るされていたが、それが無くなっただけでもマシかもしれない。
とは言え、乾燥機付きの洗濯機を買ったところで、乾いたものを片付けない以上、部屋の散らかりは根本的なところで変化はない。
「...は〜、今頃...白澄は田坂さんとしてるのかな...」
数日前にホテルで白澄と過した事を思い出していたが、春の頭の中では自分が田坂の姿に変換されていた。
春と白澄でも身長や体格に差がある。それが細くて華奢な女性が相手なら、正常位でかぶさられるだけで大変なんじゃないだろうか。
春は白澄に抱かれる時、正常位で揺さぶられるのが好きだ。
身動きが取れない程体重を乗せられ、乱暴に激しく抱かれる時、たまらなく幸せな気持ちになれる。
あの幸せな時間を、白澄と結婚した女性は独占することが出来るのだ。
それだけで、女性というものが羨ましくて仕方ない。
込み上げる感情を抑え込むように缶の中身を一気に飲み干すと、小さなソファの上で膝を抱くように体を丸めて目を閉じた。
ふと感じた肩の痛みに目が覚めた。また寝違えてしまったのかと腕に力を入れたところで、頭の下の違和感に気がついた。指先に触れたそれが枕とは違う体温を伝えると同時に、春の好きな香りに包まれていることを知った。
(いつの間に来たんだろ…白澄…)
室内は暗く、目を開いていても何も見えない。
彼の片腕は春の頭の下にあるが、もう片方は春の腰を抱き寄せている。間近に聞こえる愛しい人の寝息を聞きながら、起こさぬ様に身を寄せた。
春の自宅の鍵を持つのは、白澄だけだ。こうして優しく抱き締めて眠ってくれるのも彼だけ。
今この時に感じる温かさと幸福を忘れないように。そう考えると同時に頭に浮かぶのは、田坂との事だ。
彼から漂うのはいつもと同じ香り。
白澄は気に入った女性しか自宅に入れない。普段と同じ香りしかしないということが、その証拠だ。
(…セックスしたんだろうなぁ…)
どんな風に清潔な雰囲気のある彼女を抱いたんだろう。目を閉じて裸で抱き合うふたりを想像してみた。密着しているせいで感じる白澄の匂いが想像力を逞しくしてしまう。
長年の想いを拗らせた結果、こんな妄想でも興奮するようになってしまった。
白くて柔らかな田坂の身体を、優しく撫でて愛しい気持ちを伝えたのだろうか。ゆっくりと舌を絡め、どんな話をするのだろう。
白澄は春を抱く時は、所謂言葉責めのようなものが多いかもしれない。初めからそうでは無かったが、多少乱暴な扱いをした方が春の反応がいい事を彼はすぐに見抜いてしまった。
(きっと、とびきり優しくするんだ…)
春にはない乳房に顔を埋めるのだろうか。春の頭の中には、あるはずの無い膨らみを持つ春の胸に顔を埋める白澄が描かれていた。
思考が辿るのは、彼から受ける愛撫。触れてもいない春の胸の突起が、甘噛みをされる快感に切なく尖る。
(どうしよ、勃っちゃう…)
腰が落ち着かなくなってベッドが軋んだ音をたててしまった。しばらく様子を見たが起こしてはいない様だ。もう余計なことを考えずに寝てしまおう。
春にとっては彼が誰と寝たかよりも、今ここで一緒に居るという事実が全てだ。
「勃たせてるのかよ」
声がすると同時に春の股間が大きな手に鷲掴みにされた。
「お、起きてたの」
「寝てた。くっついてんのにゴソゴソされりゃ、目も覚めるだろ。なんだ、ヤりたいのか」
「別に…、そんなんじゃない」
まさか、田坂と白澄の行為を想像して興奮したなんて言えない。自分が田坂だったら、なんて。
「なら寝ろよ。俺は出してきたからヤるより眠い」
改めて抱き直してきた白澄の胸に顔を押し付けられた春は、無意識に唇を噛んだ。分かっていても、彼の言葉で聞かされるのは辛い。その衝撃が小さくて済むようにしっかりと頭に描いて備えていたはずなのに、痛みは背中を貫いていく。
「…春」
唇を強く噛んでいたせいか、返事ができなかった。
「起きたら駅前のパン買ってこいよ。その間にちょっと片付けてやるから」
大きな手が春の頭を包んで撫でる。
たった今絶望の重さにへしゃげてしまいそうだった心は、簡単に嬉しさで浮かび上がった。
駅前にある老夫婦が営むパン屋は、彼のお気に入りの店だ。寝起きの春がゆっくり歩いて買いに出てる間に、きっと散らかったビールの空き缶は片付けられるのだろう。
「春」
もう一度呼びかけられ、分かったと返事をした。
大丈夫だ。いつ白澄からもうお終いだと告げられても、春には沢山の思い出がある。
明日の約束があるのだから、今夜は心配しなくていい。
安心と不安に揺れる自分を見ないようにしながら、白澄の匂いを深く吸い込んで目を閉じた。
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