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第10話
リビングには肉の焼ける香ばしい匂いがたちこめていた。
自分の腹がぐぐっと鳴る音がする。
「ご飯の前に抑制剤飲んじゃいなさい」
皿にこんがり焼かれたベーコンを移しながら母が言う。
机の上には見慣れない薬のシートがあった。
「これ……」
「昨日成澤さんが置いていってくれたのよの。オメガ用だから僕には必要ありませんからって」
母親が俺の前に水の入ったグラスを置く。
「全く何考えてるの。抑制剤も持たずに出歩くなんて。成澤さんがわざわざあんたのことを心配して、探してだして送ってくれなかったらどうなってたと思ってるの」
母親がじろっと俺を睨み、その視線がうなじに固定される。
そこにまだ何の痕もないことで安心したのか、ようやく母が表情を和らげた。
「電話じゃなく、ちゃんと会って成澤さんにお礼を言いなさいよ」
「分かってる」
借りたシャツも返さなくちゃならないし。
そう心の中で呟きながら、抑制剤を飲む。
昨日みたいに突然発情期がきたのは初めてだったが、これから抑制剤は忘れず持ち歩かないと。
それは発情期を迎えたオメガなら当たり前のことだったが、三か月に一度、あまり重くないヒートしか経験したことのない俺は油断してしまっていた。
そんな自分を戒めるように、手の中の薬のシートをギュッと握りしめる。
「ねえ、成澤さんと上手くいきそうなんじゃない?」
「ないよ」
母の質問に俺はばっさり返すと、ベーコンエッグを箸で摘まみ口に入れた。
「そう?でもお母さん、昨日成澤さんがあんたを抱きかかえて玄関に現れた時、ドキドキしちゃった。すごくかっこよくてまるで王子様みたいに素敵だったわあ。成澤さんも、あんたのこと少しは気に入ったからあそこまでしてくれたんじゃないのかしら」
俺は水を一口飲むと、視線を下げた。
「無理だよ。あの人、運命の番を探してるんだって言ってたもの」
「そんなの、見つかるかどうかもわからないじゃない」
「それでも探してるんだって。本気みたいだったよ」
顔を上げるとあからさまに落胆した母親と目が合った。
やっぱり母は俺に成澤さんと番って欲しいんだ。
でもそんなの無理だ。昨日だって成澤さんは発情した俺を噛もうともしなかった。
俺はまっさらな自分のうなじを撫で、ぼそりと言った。
「ごめん」
母親は目を伏せ「これからは抑制剤、忘れないようにしなさいよ」とだけ言った。
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