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第9話

 きっと隣ではまだ部長は奥さんと話をしているんだろう。  ほんの数分前までオレとセックスしていたベッドの上で……  正気じゃない  そう言葉が出るも、一番正気じゃないのはそう言う扱いしかされない、そう言う経験を繰り返しているのに未だに部長に身体を開かれ続けているオレ自身だ。  さき程までの熱が嘘のように冷めて凍えそうだ。  小刻みに震える体を引きずり、自虐を込めて部長の部屋側の壁に耳を押し付けてみた。  ―……――……―  ……――  ――……――  薄いとは言え壁を隔ててしまった声は聞き取れるようなものではなかった。けれど、部長が何事かを話し続けているのは分かる。  独り言を言うような人じゃないことはよく分かっている。  ぎゅうっと詰まるような息苦しさに喉元を掻き毟り、息をしているはずなのに空気を求めて口を大きく開けた。  溺れているか、首を絞められているかのようだ。  呼吸もままならない苦しみに、冷たくなった指先で膝を引き寄せた。  翌朝の部長は昨日の情事の欠片もない隙の見つけられないスーツ姿で、少しよれ気味のオレの姿とは全く違っていた。 「酷い顔だな」  平坦で突き放すような声にさっと顔を伏せた。  朝目覚めて鏡を見た時の自分と同じ感想を言われたからだ。  腫れぼったい目元と、色の悪い肌。  これから取引先の会社へと向かわなくてはならないと言うのに、オレの姿はそれにふさわしくない。 「すみません。お湯で温めたりしたんですが……」  血行が良くなれば少しは……とも思い、お湯で濡らしたタオルで顔を覆ってはみたが効果はあまり出なかった。  見下ろされて思わず背筋が伸びる。 「   そうか」  何か辛辣な事を言われるかと身構えた心がほっとして萎んだ。  部長は何事か思案したようではあったが、腕時計に視線を落とすと緩やかに首を振ってから「行くぞ」と告げてきた。

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