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第42話
朝一番に部長に呼び出された。
ひやりと胸の内が冷たくなるものの、何かしでかしてしまったのかもしれないと言う心当たりもない、近頃ぼんやりとしてしまっている時があるので、それを注意されるのかもしれない。
後に続いてミーティングルームに入り、ぱたんと扉が閉まってしまえば、外の活気溢れる音が遮断されて、そこは落ち窪んだ別世界のようだった。
特に何か書類を持っている風でもない部長が気にかかりはしたが、こちらを振り返る端整な顔立ちに目を奪われて考えが飛んだ。
骨っぽい顎のラインと、日本人にしては彫りの深い顔立ちをつい視線でなぞった。
「 三船」
「はい」
「また出張が入った」
「 はい」
「同行するか?」
短く訊ね、部長が手を上げた。
何かを寄越せと言う合図だが……
物ではない、
目が物語るものは……
深い色の双眸に睨まれて、まるで催眠術にでも掛けられたかのように足が一歩前へと進んだ。
「────はい」
軽く上げられたその手を、どうして取ってしまったんだろう。
昏い世界への誘いをわかってしまったんだろう。
引き寄せられ、耳元に近づいた唇が囁く。
「準備をしておくように」
小さく喉が鳴った。
飛び上がりそうなほど感じる嬉しさと、選んでもらえたと言うくすぐったい優越感と、一抹の……申し訳なさ。
そして、間近で覗き込んだ部長の瞳が、漆黒でないことに気が付いた。
部長の「準備をしておくように」の言葉は、明言をしないズルい言い方だと、あれから何回もあの時の言葉を思い返してわかった。
別に部長は肉体関係を持とうとも、愛人になれとも言っていない。
強要する言葉もないし、セクハラ案件になるような言葉も使っていない。
オレが勝手にそう言う意味に取って、勝手に抱かれる準備をして、勝手に部長の部屋に行っただけだ。
この不倫は、オレが一人で始めたんだ。
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