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第52話
「 どうした」
ふ と、呼吸が乱れた気がした。
「父さんが孫に会いたいって言うから、来ちゃった」
首を傾げて言う姿は、人によってはあざとい姿なのかもしれなかったが、それが極々自然に見えるのは、そう言う動作に慣れているからなのか……
「そうか。上まで送って行こう」
どっと汗が出る。
いつもより幾分柔らかい声音に、
いつもより幾分柔和な表情に、
目の前の人が誰だかわからない錯覚に陥りそうだった。
「 さすがに佐伯部長もお子さんの前では笑うんだね」
そう言われ、同じ部署の木村が隣に来ていることに気が付いた。
視線の先の部長は子供を抱き上げて……
「奥さん美人だね」
「奥さん……初めて見ました」
「ちょくちょく来られるのよ。差し入れも頂いたから。会長の孫で社長の娘で、将来有望な旦那さんがいて、 あーあ」
非の打ち所がない家族像だと、エレベーターが閉まっていくのを見送る。
カチン と歯が鳴ったのは、隣には気づかれなかったようだが、扉が閉じきる一瞬、部長がこちらに目をやったような気がした。
経営企画の資料室のドアを開ける。狭いそこは人がいるかいないかを確認するのに苦労はいらなくて、オレはさっと辺りを伺ってドアから一番遠い隅に背中をつけて座り込んだ。
無機質な冷たい壁よりも、オレ自身の体温の方が低いんじゃないかと、両手を擦り合わせている途中で震えに気づいた。
カタカタと、自分の意思の外で震える体を抑え込むようにして頭を伏せる。
心臓が、うるさいのに、止まれと思う。
小さな子供の笑顔に、罪悪感が湧く。
くちなしの臭いを思い出して、もう空気を吸いたくなくなった。
自信に溢れた、あれが 部長の奥さん。
「 っ」
くぅっとせり上がってきた嗚咽を堪えるために、全身に力を込めて固く目を瞑る。
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