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第54話
朝、ビルのエントランスを抜ける時、向こうに見知った顔が見えた。
別に避けていると言うことはなかったのだけれど、あの手を繋いだ日から久しぶりなのだと思うと、なんとなく避けたい気分になってくる。
気づかないふりをしようかと迷っている間に、どうやら向こうが先に気づいたようだった。
「三船!」
駆け寄られてしまえば逃げることはできなくて……
「おはようございます」
「おはよ」
「 」
「 」
挨拶から先の言葉が出ず、沈黙のままにお互いの視線が絡む。
窺うようなそれにますます言葉を取られて、不自然な長さの時間が過ぎていく。
「 お、お元気でしたか?」
「ぷっ」
吹き出されて、顔が赤くなるのが分かった。
「だって!」
「わかってる!わかってるから!」
ぐしゃぐしゃと頭を撫でられ、人の流れの邪魔にならないようにと壁の傍の観葉植物の辺りまで移動し、小林先輩は困った顔で腕を組んだ。
「別に困らせたかったわけじゃないし」
「わ、わかってますよ」
「ホントわかってる?」
「わかってますって!」
むむ と睨み合ってからお互いに破顔した。
「わかってるならいいんだよ」
赤い顔で笑う小林先輩のお陰で、気まずさを引きずることなく別れることができた。
「俺、階段の方が早いから、じゃあな」
「はい。ではまた」
上の階へと向かおうとエレベーターの方へ振り返った時、見られていることに気が付いて足を止めた。
夜でも隙のない人だけれど、朝はそれに拍車がかかって見える。
「佐伯部長 お、おはようございます」
部長の視線はオレを通り越して、階段に向かった小林先輩の後姿を見ているようで。
釣られて階段の方に視線を遣るも、柱に遮られて背中が僅かにしか見えない。
「ずいぶんと親しいな」
「 え?あ 会社で初めて指導してくださった先輩なので」
あと、初めて告白された人だ。
そう思うと、顔が熱くなってくるので誤魔化すために手の甲で頬を押さえた。
「世話ではなくか」
「世話……?」
部長の言葉の含むものが汲み取れ切れずに、曖昧な表情を返すしかできない。
「いろいろ、気にかけてもらってはいますが 」
「もういい」
下らない話だったのだと切り捨てられて気が付いた。
オレのどうでもいい話を聞くほど部長は暇じゃない。
ばっさり切られてしまった会話に息が詰まりそうで、喉元を擦った。
「 でも、 付き合って欲しいと、言われはしました」
小さく呟いた言葉は、あとから思えば部長の気を引きたかったのかもしれない。
切り捨てられたようなこの境遇を、なんとかしたいと思った悪足掻き。
けれど……
「 こないのか」
恐る恐る反応を窺うも言葉はやはり届いていなかったようで、部長はエレベーターの開いた扉に顎をしゃくる。
オレはその後に続くことができず、小さく首を振ってから頭を下げた。
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