90 / 105
第89話
「どこへ行こうと、秘書の仕事はできるだろう?」
引き上げられた右側の唇は、あっさりと流されて反応したオレを笑っているのかもしれない。
「 それ、は 」
いつかのずるい言葉遊びと同じだとわかった。
この関係を終わらせても仕事はちゃんとこなせ と、言う言葉だ。
けれど、夜に行われることも秘書業務の一つだと、こちらが解釈するならこの言葉は、
『恋人がいても抱かれに来い』
と言うことになる。
震えが、恐怖ではなく怒りからだとわかったのは、握り締めた拳を止められたからだった。
「 あ あなたの傍に、居たくないんです!!」
はっきりと言うが、部長の表情に変化はないように思える。
こんな状態になっても、部長の感情のナニかを引きずり出すこともできない自分は、どんなに頑張っても切り捨てやすいただの、出張先でのお楽しみでしかないのだと、痛感させるようだった。
胸の痛みが、決心の背中を押した。
「 嫌なんです。 目の前で家族と話されるのが!」
怒鳴りながら振り払えば、驚いた隙をつけたのか部長の手が離れ、距離を取ることができた。
「耐えられない!! こちらを見てくれないのも!や 優しくされたいし、 何か 一言でいいから、欲し 欲しいし 」
──── ~~ ~~ ~~
鳴った携帯電話に、咄嗟に二人の視線が向いた。
一瞬のその空気は、部長が見せた迷いだったのか……
「 取らないでください!!お願いしまっ !」
サイドテーブルの上の携帯電話をオレが取るよりも早く、部長の手がそれを掴んで応答ボタンを撫でた。
「 はい」
この人は……
ぶるりと震えた体を動かして、急いで服を身に着ける。
「 ああ、ちょっと立て込んでて」
それでも、家族からの電話を取るのか。
涙を堪えようとしたのに震えで上手くいかない。
カチカチと鳴る歯を噛み締めて、なんとかボタンを留めようとするがうまくいかず、振り返る動作に紛れるような一礼をして立ち去ろうとした。
ともだちにシェアしよう!