94 / 105
第93話
あれから一度、同行を求められたが断った。
申し訳なさと、もしかしたらと言う気持ちで見上げた部長の目は冷ややかで、相手先の指名だと簡潔に告げてきた。
結局、その出張の夜は部長の部屋の扉を叩くことはしなくて。
何度考え直しても、報われない不倫に対してはこれが一番だと思ったし、小林先輩に対して誠実でありたいとも思った。
なのにそれらをすべて塗りつぶしそうな罪悪感があるのはどうしてんだろう……
「────報告は以上です。以前申請した通り、本日はこれで失礼します」
報告書を受け取った部長の指先がピクリと動いたが、表情に変化はない。
「そうか」
ちらりと何か言ってくるかと窺うも、視線はパソコンの方に向いてしまった。その横顔はもうオレなんか思い出しもしない顔だ。
去っていく人間には、何も思わなさそうな。
憧れて、こっそりと覗き見続けた横顔。
「 失礼します」
一礼して踵を返すと左手の机に座る木村から「お疲れ様」と声がかかった。
「半休だって?」
「はい、自分だけ申し訳ないです」
「出張後のお休みは権利だもの」
そうは言ってくれてはいるが、申し訳ない気分になってくるのは日本社会ならではだろう。
「おでかけ?恋人と旅行?お土産は甘くないものがいいな」
休みの予定なんて喋ってもいないはずなのにそう催促され、苦笑が漏れた。
「わかりました。甘くない物ですね」
「うわ、恋人のことは否定しなかったわね」
揶揄われ、ぶわっと汗が出た。
その様子が可笑しかったのか、小さく笑われてしまい……
「いいなぁ車?電車?」
「電車で、のんびり行こうかと 言ってて」
「いいねー!」
この勢いで行くと、どんどん情報を引き出されそうな気がして、妙な汗の滲んだ手を擦る。
「あの えと 失礼します!」
もうここは逃げるしかないと、深く頭を下げた。
ともだちにシェアしよう!