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第95話

 雑踏の中とは言え、男二人が赤面しているなんておかしい場面だろうに、面映ゆくて俯いた。 「んじゃ、行こうか」  電光掲示板に目を遣り、時間を確認した小林先輩が腕を引く。 「はい      ────っ!」  腕を引かれて歩き出そうとした瞬間、横薙ぎの衝撃に踏ん張れずにバランスを崩した。  腕が弾かれる感触と天地が回るような感覚に、倒れるかとも思ったけれど、痛みはないままに温かいものに抱きしめられていた。  通行人にぶつかったのかと思うも、微かに匂う移り香に覚えがあった。 「   佐伯、部長?」  唖然とした小林先輩の声が頭上でして、自分が誰の腕の中にいるのかがわかった。  弾んだ息と、汗の匂い。  視界の端に見えた皮靴には、似合わない擦り傷ができていた。 「 なん   」  オレを抱きかかえる腕はすべてを語ってしまったらしい。  続かない小林先輩の言葉が、オレ達の関係を見抜いたと雄弁に物語る。  何か、言い訳をと  けれど、胸が詰まって  震えて膝から崩れ落ちそうな体を抱きしめる姿に、もう諦めたと思っていた心が喜んで…… 「   戻るぞ」  乱れた呼吸の下からの飾り気のない簡素な言葉には、強制力なんてないはずなのに、気づいた時には頷いていた。  荒く揺れる肩と乱れたスーツに泣きそうだ。  言葉は、多くない。  この人は、言葉で言い募るのが苦手で。  これからも、きっと最低限の言葉ももらえないんだろう。  好きだとか、  愛してるだとか、  甘い言葉は、欲しくてももらえない。  ホテルの部屋以外は、視線ももらえないかもしれない。  それでも、指が食い込む程にオレを抱き締めてくれている腕の感触が、心に刻まれて。  引き留めるためだけに、ここまで走ってきてくれた事実が…… 「ま  っなんでだよっ!!」  小林先輩の声に、何人かの通行人の視線が向いたのが分かった。抱き締められたままだったと、咄嗟に腕の中から逃げようとしたが叶わず、逆に無理矢理部長に抱きすくめられた。  つぃ  と部長の指が顎を上げさせるのに抗えるわけもなく、 「     っ」  従順に上げた顔がどんな顔をしていたかなんて、自分ではわからない。  ただ、見開かれた小林先輩の瞳に映る姿だけがぼんやりと見えて…… 「  ごめ、    」  ここで泣くのは、加害者として間違っている。  何も言わずに、深く眉間に皺を刻んで視線を逸らしてしまった小林先輩に、深く頭を下げる。 「  ごめんなさい」  雑踏に紛れそうな声が聞こえたのかは、定かじゃない。  小林先輩の顔が見れないまま、踵を返した部長の方へ向き直る。  背中はもう数歩先を行っていて、きっと並ぶことはない。  それでもオレは踏み出す。  振り返らない、この背中について行くしかできないのだと、心に決めて。

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