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ここで?
佐藤の思い出の残るここで?
この場で他の人間とキスする事に拒絶感を覚え、その胸に擦り寄るふりをして誤魔化す。
「…ケイ」
焦れた声に、しょうがなしに顔を上げた。
背伸びをして、軽く首を傾げる。
ッ…カチャン…
微かに引っかかるようにして開く独特の扉の音に、はっとなってそちらを向く。
「…………あ…あの……私、引っ越すって聞いたから…」
手伝いに…と言う言葉はほとんど口の中でしか呟かれず、見る見る顔を赤くした姉は開けたばかりの扉を慌てて閉めようとした。
「ちょ…っ待って!!」
恭司の腕を振り払い、玄関に駆け寄ってその腕を掴む。真っ赤な顔になってしまった姉が、視線を下に向けたまま「ごめんなさい」と呟く。
「いや、悪いのはオレだから、鍵も掛けてなかったし…こっち来て?」
微かに涙目の姉の手を引き、恭司の傍まで来る。
いきなり現れた人物に、不審そうな顔をしていた恭司は、姉の顔を見てあからさまにホッとしたような表情になった。
「お姉さん…かな?」
「そうだよ。姉さん、こちらバイト先の店長」
いつものへらっとした表情を引っ込め、真面目な顔をした恭司は姉に向かって頭を下げた。
「はじめまして、谷 恭司と言います。圭吾君とお付き合いさせて貰っています」
言われた言葉に、姉がはっとしたのが分かる。
ゲイだと告げてはいたが、実際こうして姉に交際相手を紹介したのは初めてな事に気がついた。
「…姉の小夜子です」
やや言葉を選ぶような素振りを見せ、ぎこちないが笑みを浮かべる。
「圭吾の事、宜しくお願いします」
そう言って頭を下げた。
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