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 顔を赤黒く変えた父が、口を開いた。 「許さん…許さんっ!」 「無理です!」 「お前は河原のお嬢さんと結婚するんだっ!」  どん!と再びテーブルが叩かれたが、最初程の衝撃はない。 「お前は…っ恩を仇で返すのかっ!」  ぐ…っと言葉が詰まる。  血が繋がった親がいないからと、寂しい思いをした事はなかった。  母は言うに及ばず、父も学校の行事がある度に仕事を抜け出して見に来てくれたし、思春期ならではの相談もした。  感謝している。と言ってしまう事は簡単だったが、感謝…とはまた少し違うように思う。  感謝と言う言葉ではくくりきれない物を、二人には感じている。 「…すみ…ません」  額を絨毯につける。 「聞かなかった事にする。………次の日曜、お嬢さんと会うんだ」  搾り出すような声が頭上で響き、どたどたと大きな足音が傍らを通って二階へと上がって行く。 「……」  静まり返る部屋の中、オレは頭を上げられずに伏せたままじっとしていた。 「……秋良」 「…」    母の声にやっと頭を上げると、複雑な表情のまま柱にもたれかかる母が見えた。 「母さん、ごめん」 「………お父さんも…お母さんも……ごめんなさいね、今…どうしていいのか分からないの」 「うん……」 「本当、ごめんなさい。…今日はもう、帰りなさい」 『帰りなさい』  一人暮らしを始めてから、実家に顔を出しても引き止められた事はあったが、帰る様に言われた事はない。いつも淋しがり、遅くまで理由をつけては引きとめようとする母を説き伏せて帰るのが常だった。  母に向かって、もう一度深く土下座する。 「ごめんなさい」

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