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第7話

 旧校舎の踊場以外では、ソイツは彼に視線さえやろうとしなかった。  人々をひきつれたソイツは彼の近くを気付きもしないように通り過ぎる。  ありがたかった。  ソイツが視線を向けただけて、周りは彼に興味を示し騒ぎ始めるだろうから。  沢山の人間に注目などされたくなかった。    綺麗な上級生は休み時間や、登下校、当たり前のようにソイツの隣に立っていた。  おそらく、彼といない昼休みは、上級生はソイツといるのだろう。  そして、見たことがあるように身体を繋いでいるのかもしれない。  「どこですることになるかわからんからな」  ソイツもそう言っていたし。  上級生はソイツと並んで歩くようになる前の、冷たく冷酷な風情はなくなり、にこやかな笑顔をソイツに向けていた。  あんなヤツのどこがいいのだろう。  人間を奴隷のように扱うヤツが。  彼は首を捻る。  そしてアイツはあの上級生を本当に奴隷だと思っているのだろうか。  あんな風に笑わせているのに。  上級生は多分、いや、ソイツが好きなのだ。  あまり疑問に思ってしまったので、ソイツと過ごす昼休み聞いてしまった。  「  先輩・・・なんやけど」  珍しく彼の方から口を聞いたのが嬉しかったらしく、ソイツが笑ったのが見えないのにわかった。    「・・・あいつが気になるんか?アイツが」  とても嬉しそうだった。  何でそこまで嬉しそうなのか彼にはわからない。  「気にすんな。使ってるだけや。ええ穴しとるからな。それだけや」  なんかとんでもない返事が来て彼は身体を強ばらせる。 「・・・身体だけや。なぁ、そんなん気にすんな。使い勝手がええし、連れて歩くに丁度いい。それだけや。お前とはちゃう。全然ちゃう」 何が違うのか彼にはわからない。  「本当に・・・奴隷にしてるん」  怯えた声で言う。  ソイツは黙った。  彼の声の怯えに気づいて。    何か考えこんでいる。  「・・・奴隷やけど・・・奴隷にしとるけどな・・・それはゲームの勝ち負けやねんで?アイツも俺を奴隷にしたかったんや。あの綺麗な顔と身体とええ具合の穴で俺を支配して、俺をええように使える奴隷にしたかったんや。でも、アイツは俺に負けたんや。それだけのことや。大体俺は無理やりはしてへんねんで?・・・お前にはしてもうたけど・・・。俺の周りにおる奴は全員奴隷や。アイツらは自分が奴隷やなかったら誰かを奴隷にしたいだけの奴らやねん」  ソイツはボソボソと言った。  「俺がアイツらより弱かったら、アイツらは俺がそいつらにしたようなことを俺にしとる。だからな、俺を酷いヤツやと思わんで?」  きゅっと抱き締められた。  ソイツの言っていることは理解出来なかった。  だって上級生の微笑みは、そういうものではないと思ったから。  でも。  「でも、お前は奴隷やない。奴隷になんかせん」  包まれる温もり。  でも時折、固いモノが尻に当たって、ソイツが自分を欲していることはわかって。  それでも、そうしないことがわかって。  彼は困惑した。  でも、力を抜いてまたその腕に身をまかせた。  ソイツは嬉しそうに笑う。  指がマフラーの下から顔を撫でる。  熱い指に焼かれる。  「ずっとこうしてたいねん・・・」  懇願する声。  彼はわからなくなる。  ここはどこで、ソイツは誰なのか。  「こうさせといて・・・」  ただ不安げな声に思わず自分を抱き締める腕にそっと手を重ねた。  「!!」  ソイツが息をのみ、さらに強く抱きしめられた。  苦しかったけど・・・・何故か安心したのだ。  この二人きりの世界に。  その日、少し踊場に行く時間がいつもより遅れた。  教師に呼び止められたからだ。  問題は起こさず、良い成績を保ち、息を潜め生きている彼を教師達は放っておいてくれた。  だが、この進学校でまた進路が定まらないのは「害悪」であるため、希望の進路について考えるようにという助言のためだった。     彼は教師の話に大人しく頷きながら、心の中で誰にも姿を見せずに生きて行くにはどの進路が良いのかを考えていた。  わからない。  遅れていつもの踊り場についた時、そこで話声がして、脚が止まった。     アイツと誰かの声。  またなのか。   嫌悪感。  ここはオレの場所なのに。  ここではしないって約束してくれたのに。  やっぱりな、とも思った。    どこかへ行こうと思った。  ここはもう使えないとも。    でも、声はアイツとあの上級生だったけど、二人はしていたわけではなかった。  「ええやん、しよ?」  上級生はその気らしくてシャツのボタンを外して、白い胸を露わにしていた。  その胸には吸われた跡が散らばり、ソイツが上級生とそういうことを重ね続けているのがわかる。  「初めてしたん、ここやったなぁ」  上級生はクスクス笑いながらソイツの首に腕をまわす。    ソイツの首筋に軽い音を立てて吸い付きながら。  「お前はどっか行け」  冷たい声でソイツは言って、上級生を押しのけた。  「なんで?」  拒まれたことに驚いたように上級生は言う。    「なんでもや。俺は一人でいたい言うたのについてきやがって」  ソイツは怒ったように言う。  「・・・・・・咥えてあげよっか?」  宥めるように上級生は言う。  ソイツが仲間の前で上級生に咥えさせるのが好きだという話は聞いたことがあってそれを思い出して彼はゾッとする。  「ええから行けや。そんなにしたいんなら、昼休み終わってからいつものトイレで突っ込んでやるから後から来いや」  不機嫌な声。  上級生は顔を歪める。  自分の誘いが断れられたことに傷付いて。    ああ、やはり。  上級生をアイツの性奴隷だ、みたいな噂があるし、アイツ自体もそう思っている。  でも違う。  この上級生は望んでアイツと身体を繋いでいる。  奴隷などではない。  上級生はまだ諦めていない。    アイツを落とすことを。  落とされているように見えて。    多分それは。  アイツのことが・・・。  「誰?」  上級生は踊場の下に立っていた彼に気付いた。  でも、露わになった胸も、くつろげたズボンも直そうとしない。  ソイツもはじかれたように振り返った。  彼は悲鳴をあげてうずくまる。  ソイツの視線を避けるために。  「何、コイツ」  冷たい上級生の声。  慌てて駆け寄ってくる足音と、頭からかけられるマフラー。  うずくまったまま、抱き締められる    「違うんや。ちがう・・・コイツが勝手についてきたんや」  必死なアイツの声。  上級生が驚いたように息を飲んだのがわかった。  ソイツのその必死さにか。  それとも、奇怪な恰好の彼にか。  それとも、その奇怪な者を抱きしめるソイツにか。      「出ていけ!!」  凄まじい声てソイツは怒鳴った。  その声に彼は身体をすくませる。  「ああ、怖がらんといて。お願いやから」  ソイツは困ったように言う。  抱き締められる。  強く強く。   少し後ずさってから、駆け出していく足音。  おそらく上級生の。  「ごめん。ホンマごめん」  繰り返されるソイツの声。  彼は混乱しながら、それでもしがみつくモノはソイツしかなくて、ソイツの大きな身体に身をまかせていた。  「ごめん。あんなヤツ連れてきてごめんな、ホンマに」    アイツは何度も謝った。  「見てへんからな・・・ホンマやで」  自分の視線は彼の目を捉えていないことを必死でアピールする。  見当違いのように思えることを。  でも、それを一番彼はおそれているので大人しく頷く。  本当に目があったならソイツの目から映る自分が見えるので、それが本当なのはわかっている。  「絶対に来させへんから。誰にも。ここはお前だけの場所や」  彼にソイツは言い切った。  「・・・」  彼は悩む。  じゃあ何故今コイツはここにいるんだろう。  オレだけの場所なら。  「俺はお前が特別にいさせてくれてるんやろ、なぁ。俺はお前の特別やから」  ぬけぬけとソイツは言う。  彼は呆れた。  でももう諦めたように、背後から包みこむような身体に身体沈めた。   安心したようにソイツはため息をつく。    「そうや、なぁ、これやる」  思い出したように唐突に言われた。  それまでも何が欲しいとか散々聞かれた。  いらない。いらない。いらない。  と繰り返し言ってきたのに、とウンザリする。  「親の金で買ったものなんかいらへん」  と彼にしては珍しく、ぴしゃりと言ったのに。  「いらない」  言いかけた唇を手で塞がれる。  「親の金では買うてへん」  ソイツはゴソゴソと腕を伸ばし、床に放り出していた紙袋を手渡した。  仕方なく受け取る。  背後からのソイツの視線を遮るためのマフラーの下で、俯きながら紙袋を渋々あける。  彼は息を飲んだ。    「・・・どうや?気に入ったか?」  不安そうにソイツは言った。  彼はそっとそれを取り出した。  それは古い本だった。    とても古い本だった。  英語ではないのはわかった。  ドイツ語?  おそらく。    彼もまた進学校の優等生なのだ。  多少はわかる。  それは美しい本だった。  こんな綺麗な本は見たことなかった。  黒い皮の表紙には、金色の模様と文字が浮き彫りで描かれていた。  特別な本なのだとわかる。  特別な一冊として作られた本なのだと。  丁寧な細工と、どこかオリエンタルなアラベスクな紋様、そしてどこかの家の紋章。  大切にするための本なのだ、これは。  売ってる本とは違う。  それにとてもとても古いものだ。  その綺麗さに胸が躍った。  こんなのは初めてだった。    彼は美しい表紙を指で撫でた。    長い時間が経っている本なのはわかる。    でも美しい。  特別な本として大切にされてきたのた。  きっと。  息を飲んだ彼の様子にソイツはホッとしたようだった。  「綺麗やろ。お前、本好き言うてたんやん」  ソイツは笑いながら言った。  いや、本が好きというのは本自体が好きというのではなく読書が好きだという意味だったのだ。  本が好きというのを聞いて「綺麗な本」を持ってこようと思うコイツはコイツでどこかおかしい。  でも、実際その美しい本に捕らわれてしまったから間違いではないのかもしれない。  彼はぐるぐる考えてしまったけれど、言わなければならないことは決まっていた。  「受け取れない」  こんな高価なもの。  絶対高いに決まってる。  アンティーク的な意味合いでも、芸術的な意味合いでも。  「なんでや」  ソイツが怒る。  結構本気で。    「高価すぎる」  親の金で買うものなんてと言ったら、もっと高価なものを持ち出してきとるやん。  なんでやねん  言いかけた。  黙る。  「どうせ俺が受け継ぐ。俺のもんや。親は俺に何も言わん。俺はちゃんとアイツらの好きそうな跡継ぎになってやっとるんや」  面白くなさそうにアイツが言った。  コイツの父親は確か有力な政治家だったことを思い出す。  「なぁ、もろて?お願いやから」  頼みこまれるように言われた。  手の中にある本は美しくて。  でも。  でも。  「約束通りなんもしてへんやん。これからも嫌なことはせんから。お願いや、これくらいもろてくれや」  お願いというよりは、怒りながら、でも怯えさせたくない素振りも器用に入れながらソイツは言う。    お願いや。  お願いや。  子供がお願いするみたいに耳元でソイツの泣きそうな声がする。  頬と頬を背後からマフラーごしにこすりつけられる。  根負けする。  最初から何一つ。  コイツに逆らえたことはないのだ。  「しばらく・・・預かるだけやで」  彼は言った。  でも、美しい本だ。  コイツの機嫌を見て返そう。  美しい。  「綺麗やな」  ポツリと言った。  「そやろ」  うれしそうに、また抱きしめられた。    本当に本当に。  よくわからない。  でも、彼が本を抱きしめたのは本が綺麗なだけだったからだけではないのかもしれない。          

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