「…い、先生？」 声を掛けられて、ハッと我に返る。 「あ、ごめん。問題、解けた？」 慌てて笑顔を浮かべ、渚君の問題集に目を通す。 「うん、大分解けるようになったね。このまま行けば、希望校に合格出来ると思うよ」 そう言って問題集を返す。 すると渚君は心配そうな顔をすると 「先生…何かあった？」 純粋な瞳が僕を真っ直ぐ見つめる。 渚君は人より観察眼が鋭くて、感受性も豊かな子なので、嘘が通用しない。 僕は溜め息を吐いて 「個人的な事だから…」 と答えると 「兄貴と関係ある？」 って聞かれてギクリとする。 「兄貴さ…、1ヶ月前に先生の大学見学に行ったみたいなんだ。その日から様子がおかしくて…」 ぽつりと呟く。 「おかしい？」 僕の言葉に頷くと 「なんか、ずっと考え込んで…。1週間後くらいかな？突然、部屋の中で暴れたんだ」 と、渚君が驚く一言を呟いた。 「暴れた？」 僕がそう呟くと、渚君は大きく頷き 「泣いてたみたい。理由はわからないけど…。 まぁ、翌日には部屋も綺麗にして、父さんと母さんには謝ってたけど…。無理し過ぎなんだよ。 みんなに良い人を演じたって、そんなの無理に決まってるじゃん」 渚君はポツリと呟き、参考書を閉じた。 「先生…ごめんなさい」 突然、渚君に頭を下げられた。 「え？」 驚いて渚君を見ると 「兄貴が迷惑掛けたんですよね？俺、先生が大好きだから、兄貴に『先生に迷惑掛けないで』って言っといたから」 そう言われた。 （何？それはもう、別れるって事？） ぼんやりと考えていた。 （あ…でも、勝手に向こうが恋人って言ってるだけで、デートもした事無かったな…） そう考えて、やっぱり僕は彼からもセフレ扱いだったのかもしれないと思った。 参考書を片付け、階段を降りて玄関に向かう。 今日も海の姿は無かった。 （もう…終わったんだ…） そう思って靴を履き、玄関を出た。 門を出て駅まで重い足取りで歩いていると、どうやらいつもの道を一つ間違えたみたいだった。 見知らぬ公園に出た時、懐かしい人影が見えた。 後ろ姿なのに、誰だかわかる。 堅そうな真っ黒の綺麗な髪の毛。 すらりと高い身長に、鍛え上げられた均整の取れたスタイル。 たった1ヶ月しか経ってないのに、なんだかもっと会っていないように思える。 声を聞いたら泣いてしまいそうで、足早に通り過ぎようとした時だった。 海が同じ制服の女の子と抱き合っている姿が見えた。 （嘘だ…） 呆然として、思わず手に持っていた鞄を落としてしまう。 物音に驚いて振り向いた海と目が合った。 「和哉さん…なんで？」 驚いた顔をする海に、僕は笑顔を浮かべた。 悲しかった。 本当は凄く悲しかった。 でも、不思議と笑顔になってしまった。 「バイバイ」 やっと吐き出した言葉を言うと、僕はその場から走り去った。 その現場に居たくなくて、偶然、通りかかった路線バスに飛び乗る。 終点で降りると、何処に居るのかさえ分からなくてスマホを手にする。 何回かのコール音の後 『もしもし？和哉、どうした？』 小関さんの声に涙が溢れた。 「助け…て……。小関さん…助けて…』 泣き崩れる僕は、小関さんに必死で救いを求めた。