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第32話

海は食事を終えてリビングのテレビを付けると、ソファに腰掛けてテレビを見ている。 何を考えているのか分からない横顔に (こんな筈じゃなかったのにな…) って、溜息を吐いて海の隣に座った。 「ごめん」 ぽつりと呟くと、海が視線を僕に向ける。 「喜ばせたかったのに…嫌な思いをさせちゃったよね」 膝を抱えて呟くと、海が 「あ〜〜!本当にすみません!」 そう言って僕を抱き締めた。 「過去はどうにもならないって分かってる。分かってるんですけど…」 と言うと、そっと僕の頬に手を当てて 「俺以外の人が、あなたに触れたと思うだけで嫉妬で狂いそうになるんですよ」 そう呟いた。 「俺、あなたが思ってる程、出来た人間じゃないんです。凄い嫉妬するし、本当は束縛したい。もう、頭の中では、あなたにどれだけ凄い事をさせてるか…。頭の中を見られたら、あなたにドン引きどころか嫌われるくらいにはエロい事しか考えてないんですよ!」 突然の海の告白に赤面する。 「な…何を突然!」 恥ずかしくなってうろたえると 「そうやって可愛い反応して…、俺を煽ってるんですか?」 って言われて押し倒される。 そっと唇が重なり、海の手が僕のシャツをたくし上げて、スルリと大きな手で僕の肌に直に触れた。……が、僕は海の手を押さえて 「ごめん。今触られたら、さっき食べた物全部吐く…」 そう呟いた。 海は驚いた顔をした後に笑い出し 「だから言ったじゃないですか。無理して全部食べるからですよ」 そう言うと、僕の腰を引き寄せて抱き上げ、向かい合わせになるように膝へ座らせた。 「じゃあ、イチャイチャしたいです」 そう言って僕の背中に手を回した。 「イチャイチャって…」 呆れた顔をすると、海は僕を抱き締めて 「こんなに人を好きになったのは、初めてなんです。」 と呟くと 「和哉さんは覚えてないと思いますが、俺は和哉さんが渚の家庭教師になる前に出会っているんです」 そう切り出した。 「あぁ…あの日だろう?」 折角ご機嫌が直ったのに、蒸し返しそうであまり話題にしたくなくて、濁して答えた僕に 「いいえ。あの日よりもっと前、1年くらい前になりますかね…」 海は思い出すように遠くを見る。 「え?海と1年前に出会ってた?」 驚く僕に、海は小さく微笑む。 「記憶に無いなぁ〜。いくら人に興味は無くても、お前くらい綺麗な顔だったら覚えてそうだけどなぁ〜」 思わず呟いた言葉に、海がくすくす笑い出し 「俺、そんなに綺麗な顔です?俺からしたら、和哉さんの方が遥かに綺麗な顔してると思いますけど…」 そう言って僕の頬に両手で触れる。 「お前が言うと、嫌味に聞こえるわ!」 目を座らせて言うと 「えぇ!本当に綺麗ですよ。言われません?」 と海に言われて、 「あ〜、入院してた看護師さんには言われたかな?でも……」 と、記憶を辿る。 桜が舞う校舎。 いつも寝癖が付いていた髪の毛が風に揺れ、白衣を着た先生が浮かぶ。 「先生かな…。僕の恩師には、良く綺麗な顔立ちをしていると言われたよ。でも、先生だけだよ」 そう答えて、何かが記憶を掠めた。 『綺麗すぎて、空に消えてしまいそうです…』 誰だったかな? 記憶の糸を手繰り寄せる。 学校の屋上 抜けるよな青い空 放課後で、野球部の練習する声が聞こえる あれは確か1年前。 大槻教授に頼まれて、1ヶ月間だけ高校に特別授業をしに行っていた。 私立高校の校長が数学離れを懸念して、大槻教授に数学の楽しさを教えて上げて欲しいとかなんとか言って、1年生だけに特別授業をする事になった。小関先生に出会うまで、数学どころか勉強に興味が無かった僕が、小関先生の影響ですっかり数学の虜になったのを大槻教授が覚えていて、何故か僕に白羽の矢が立った。 正直、人嫌いの僕にとって、学生の面倒なんて苦痛以外の何者でも無かった。 でも、大槻教授立ってのお願いとなれば、仕方ない。嫌々通った日々を思い出す。 あの頃は忙しくて、学校の授業と論文作成で日々追われるように生活していた。 唯一の救いは、昼休みに滅多に人が来ない屋上で昼寝が出来た事くらい。 『いつも此処にいるんですね』 ぼんやりとした記憶が蘇る。 振り替えると、制服の高校生が立っていた。 顔は…覚えていない 『あまり金網のそばに行かないで下さい。綺麗すぎて、空に消えてしまいそうです』 朧げな記憶。 たった一年前の事なのに、忘れる程、忙殺されていたんだと思い返す。

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