61 / 86

第61話

俺が暫くその場で動けずに泣いていると、父さんが迎えに来た。 「こんな所で子供みたいに泣いているんじゃ無い!みっともない」 そう言われ、引きずるように家に引き戻された。 着替えを済ませ、父さんとリビングで対峙すると 「お前、あの人がどういう人か分かってるのか?」 と、ぽつりと呟いた。 「あの人は、数学の神と言われる大槻教授の秘蔵っ子と言われていて、将来を有望されている人なんだよ。うちの会社のシステム研究チームでも、大分お世話になっていて…。その関係で、今回、渚の家庭教師をお願いしたんだ」 父さんの言葉が、まるで遠い異次元の話のように聞こえる。 「海。お前、もしかして付き合っていたのは…、相馬さんだったのか?」 もう、どうでも良かった。 終わったんだ。 俺と和哉さんは…、終わったんだ。 空虚な感情で父さんの顔を見ていると 「まさか…噂が本当だったなんて…」 と、父さんが呟いた。 俺はその言葉にピクリと反応して 「噂?」 そう呟くと 「好みの男性なら、誰彼構わず色目を使うという噂だ。私達に対して全く普通だったから、単なる噂だったんだと思っていたのだが…。まさか海に手を出すなんて…」 って言いながら、父さんが頭を抱えた。 「…るな」 「なんだ?」 ぽつりと呟いた言葉に、親父が俺の顔を見た。 「ふざけるな!和哉さんを侮辱する言葉は、例え親父でも許さない!」 キレて叫んだ俺に 「じゃあ、お前が先に手を出したとでも言うのか!」 と叫ばれた。 俺は小さく微笑んで 「そうだよ。俺があの人を脅して、無理矢理抱いたんだよ!それで関係を強要して……、今日、振られた」 そう返した。 すると父さんは俺の胸ぐらを掴み、2。3発殴って来た。 「お前は優秀な子だと信じていたのに!親の顔に泥を塗って!」 俺は無抵抗でそれを受け止めていた。 どんなに殴られても、和哉さんに別れを告げられた胸の痛みに比べたらなんでもなかった。 むしろ、もっと殴って欲しかった。 罵って欲しかった。 すると母さんが父さんの腕にしがみついて 「止めて!もう止めて下さい。」 と叫んだ。 そして俺の前に立ちはだかり 「これ以上、お兄ちゃんに手を挙げるなら、お兄ちゃんを連れて家を出ます!」 そう母さんが叫んだ。 あぁ、俺のせいで家庭崩壊になりそうだ。 ぼんやり、他人事のようにその光景を見ていた。 すると父さんは 「お前は暫く自宅謹慎だ」 そう叫んでリビングを後にした。 「お兄ちゃん、大丈夫?」 母さんが俺の頬にタオルで巻いた保冷剤を両頬に当てた。 「冷やしなさい。顔が腫れている」 泣きそうな顔で言われて、俺は母さんに 「親不幸でごめん」 と呟いた。 すると母さんは首を横に振って 「お兄ちゃんが、いい加減な気持ちで行動したんじゃないって信じてるわ。今はあんなに怒ってるけど、お父さんも分かってくれると思うわ」 そう言って俺を優しく抱き締めた。 「ありがとう、母さん」 俺はそう呟いて、自分の部屋へと戻った。 部屋へと階段を上ると、渚が部屋の前で待っていた。 「全部、兄貴のせいだからな!相馬先生、本当に辞めたら、俺、一生許さない!」 と叫んで、渚は部屋へと戻って行った。 俺は自室に戻り、ベッドに突っ伏す。 もう、どうでも良かった。 二度と、和哉さんに会えない。 その事実が俺の心を暗闇へと突き落とす。 怒った顔も、笑った顔も、困った顔も、真剣な顔も…。 目を閉じれば、今でもはっきり思い出せる。 今思えば、和哉さんにとって俺は迷惑なだけの存在だったのだと思い知らされる。 和哉さんが俺を「海」と名前で呼ぶのは、身体を繋ぐ時だけだった。 それが全ての答えだったのだと、俺は自分に言い聞かせていた。

ともだちにシェアしよう!