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ノーと言えない
平島が帰宅すると、やたらデカい嵩張りそうな人影が玄関前の廊下で座り込んでいた。
「あ、青磁さん~」
大きな人影がすっと手を上げ、しかめっ面の平島に向かってひらひら手を振った。
「…香川よ……何度言わせる気だ?」
「いいじゃないですか、勝手に家に上がり込んでるわけでなし」
「人の気も知らず───この前、オレは管理会社に言われたぜ……オートロックを開けたなら家にも上げてやって下さいって」
「……どういう意味です?」
「分からないのか?」
しかめっ面のまま平島は家の鍵を開けた。
「はい、すみません」
「だから、管理人は、オレがおまえを確認してオートロックを解除したと思っているわけだ。おまえがオートロックの暗証番号を知っているなんてことは思っちゃいない。だからオレがおまえを締め出していると思われているんだろうな」
「なるほど…」
「オレもおまえが暗証番号を知っているとは思ってなかったがこう度々だとな……どうする? 今日はなにしに来た? 上がってくか?」
平島はゆっくり香川を振り返ってそう尋ねた。
香川は小さく首を傾げて微笑んだ。
「上がらせてもらいますー」
見栄えのいい若い男、香川───名前は知らない。平島青磁の忠実なる手駒。いや、今や片腕。
「前から聞こうと思っていたんだが、どうしておまえは人の家の前で座り込む? 暗証番号の件はまぁいい、オレが開けているのを見ていただけだけろう」
「正解です」
「オレも隠していなかったから、盗み見たと責める気もない」
「それは良かったです」
平島は部屋に上がり真っ直ぐリビングに向かった。香川もその後についていく。
最近は単独行動も多くなり、香川がここに来ることはそんなに無いけれど、以前はよく入り浸り、経済紙などを読んでいた。いや、正しくは、仕事に必要なことを平島に叩き込まれていたと言うべきか。だから、平島は香川を客としては扱わない。どうぞとか言う気もないし、もてなすこともない。
「下でインターフォンを鳴らさず、そのまま部屋に訪ねてくるのもまぁいい。でも、それなら、どうして玄関のチャイムを鳴らさない?」
「どうしてかな……でも、座り込みは、そんなに長時間じゃないですよ」
「……香川…おまえの腹は分かっている……どうせ事務所の奴らに見張っとけとでも言われたんだろう」
平島はキッチンでごそごそしている。すぐにコーヒーの匂いがリビングまで漂い、一人勝手にソファでくつろいでいた香川の元にも届いた。
相変わらず千里眼だなと香川は思う。ここのところのヤマがヤバい筋を相手にしているせいで、平島の身辺を警戒した方がいいと事務所で話題になった。でも、もしそれを平島本人に相談しても、自分の強さにそこそこ自信がある平島は断るだろう。むしろ別の奴につけてやれと言うかもしれない。しかも、肝心のボディガードが香川だと知ったら平島は断るに決まってる。それでも事務所の上の連中は言うのだ、玄関前におまえみたいなガタイの奴がうろうろしてるだけで効果的だと。
「……それで…? なにか異変はあったか?」
平島は香川の前にコーヒーカップを置いた。
「なんの話です?」
「だから見張りの成果は有ったのか?」
正面に座った平島は、相手を射殺すようなあの瞳で香川を見つめた。いや、睨んだと言った方がいいかもしれない。
「なにも……そういうのじゃないですから」
「だったら座り込みはやめろ」
「……すいません…趣味で…」
ますます変な奴だと思われてしまいそうだと不安になるけれど、平島には気取られるなと強く命じられているので、香川は誤魔化すのに必死だ。
「おまえね……こんな中年をストーカーするような真似はやめろ」
やっぱり変な趣味の奴だと思われてしまったじゃないかと香川は落ち込む。
「これからは座り込みはやめて、前みたいにうちで勉強しろ。オレの見張りもできて、勉強もできて、どうせなら一石二鳥を目指せ。座り込みしてる時間が本当にもったいない」
要するになにもかも見抜かれている。ボディガードのつもりで玄関前で座り込んでいることも、自分の身辺が穏やかではないことも、平島はなにもかも承知しているのだ。
「分からないことはなんでも教えてやる。オレはおまえに、オレの持つ物を全てやる。惜しいものなんか一つも無い」
平島は香川を見て小さく笑った。その、滅多に自分に向けられることのない平島の笑顔に香川の目は吸い寄せられた。
「…分かりました……寄せてもらいます」
足掻くだけ無駄だと思い香川は折れた。
ノーと言えない───香川は平島に決してノーとは言えない。嘘はつけない。いつだって平島に対してだけは正直でありたい。
「よしよし───おとなしく勉強するならコーヒーぐらいは出してやる」
平島の提案は香川にとってなにより魅力的だった。できればドンパチなんか無く、少しでいいから穏やかでたいくつな時間が欲しいと香川は思う。
自分たちが生きる世界でそれは難しいことだと分かっていて、香川はそう願わずにいられなかった。
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