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第9話 貴臣の気持ち①
父は昔から仕事熱心で優しかったので、幼い頃から大好きだった。
なのになぜか母親は、いつも他に男を作っていた。今考えれば、精神的に不安定だったのだろう。父以外の男にも守ってもらうことで、ある種の高揚感と背徳感を味わっていたのかもしれない。
父は母が不倫を繰り返しても攻めることはしなかったが、心はずっと泣いていたのだろう。
1度だけ夜中に言い争っている姿を見たがそれっきりで、しばらくしてから母は、弟を引き連れて俺たちの前から姿を消した。
離婚が成立して、これでやっと父と穏やかに暮らせるのだと安堵した。
もう母親なんていらない。家庭を掻き回すような人は必要ない。そう思ってのに数年後、父は再婚したいと言い出した。
新しい母親も健康で美人で背筋が伸びていて、驚くほどにあの母親と面影が似ていた。
だからこそ疑ってしまう。
あの彼女 と同じように、父を苦しめるんじゃないか。
紹介されても、なかなか相手の顔を見ることが出来ずに俯いていた。
『貴臣って呼んでいい? 俺のことも名前で呼んでいいからね!』
『……はい』
怜 兄さんと出会ったのは小6の頃だった。
気持ちが追いつかないまま同じ屋根の下で一緒に暮らすことになってしまい、戸惑った。
兄さんとどう話したらいいのか分からない。
可愛らしい見た目の兄さんは、自分とは全く違うタイプの人間だと印象づけてしまったから。
実際、例えばクラスが一緒になったとしても真っ先に仲良くなるようなタイプじゃない。
方向音痴で道によく迷うし、小さい頃に追いかけられたトラウマから大型犬が苦手で、見つけると泣きべそをかきながら逃げ回るし、テストで赤点に近い点数をたたき出してもヘラヘラと笑っているような人だ。
苦手だ、と思っていた。
最低限の挨拶だけはして他では関わらないようにしても、兄さんは平気で俺が張った殻を破ろうとしてくる。
気遣われれば気遣われるほどうんざりとした気分でいた。
だがその気持ちが180度変わったのは、自分が学校からの帰り道で事故に遭ったのがきっかけだった。
自動車同士の衝突事故が起こり、反動で向かってきた車に自転車ごと撥ねられ、地面に叩きつけられた。
命に別状はなく、幸いにも左足の骨折と打撲だけで済んだのだが、駆けつけた兄さんはベッドに横たわっている自分を見て、比喩ではなくボロボロと涙を零して泣いたのだ。
『良かった……っ、おれっ、貴臣が死んじゃったらどうしようって……でもっ、生きてて良かった、貴臣……っ』
両手で溢れ出る涙を拭いながら支離滅裂に言葉を紡ぐ兄さんを見て、痛いほどに胸が締め付けられた。
兄さんはちゃんと、自分を家族だと思っている。愛してくれている。
気付けば俺は、ちぎれるように痛む腕を伸ばし、兄さんの制服の裾を掴んで引っ張っていた。
兄さんはハッとして、俺のすぐ目の前に立った。
心配かけて、ごめんなさい。
そう言うと、兄さんは口角を上げてかぶりをふった。
鼻水と涙で顔をぐちゃぐちゃにさせながら人目も憚らず嗚咽を漏らす兄さんに、今まで冷たく接していたことを心から申し訳なく思ったのだ。
それから少しずつ、心を開いていった。
あんなに苦手だと思っていたのが嘘みたいにあっという間に仲良くなり、昔は嫌悪していた天然なところやヘラヘラした態度も、全てが愛しく思えて仕方がなかった。
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