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第51話 あと少しって、何なんだよ。
家に着くまでの間、ほとんど上の空だった。
秋くんに言われた言葉が頭から離れない。
何もかも投げ出したら、楽になるのかな。例えば貴臣を監禁して、めちゃくちゃに犯したり……いやいや、俺は一瞬なんて事を。
自宅の玄関の鍵を開けて中に入った。
貴臣の物ともう一つ、茶色いローファーが置いてあることに気付いて、胸がきゅっと苦しくなる。
これが誰の物かなんて、聞かなくても分かる。
本当に仲がいいんだな。
2人で仲良く後夜祭ってか。
モヤモヤと同時に、部屋で何をしているのかが気になってしまい、足音を消して2階へ上がることにした。
貴臣の部屋のドアはぴっちり閉まっている。
ドキドキしながら、中の様子を伺うように耳を近づけた。
音楽を流しながら、何か会話をしているみたいだ。2人の声は音楽にかき消されて聞き取れない。
でもちょうど、曲が終わって一瞬静かになった時にはっきりと聞き取れた。
「……うん、そうだね、あと少しなんだ」
貴臣の声だった。
落ち着いた低い声だが、何か企んでいるかのような、俺にどんなレッスンをするか尋ねてくる時のようなワクワクした声色に似ていた。
「あと少しってどんくらい?」
次に聞こえたのは、この前の友人の声だ。
何があと少しなんだろう。ちょっと気になって、その続きを待った。
「1ヶ月以内に答えは出せると思うよ。そうしたら2人は……」
貴臣の声のあとすぐに
「ようやく付き合えるってわけか」
そう被せた友人の声に、俺は大きく項垂れる。
友達に告白をされて付き合おうと思い始めたっていうの、あれ本当だったんだ。
「うん。待たせちゃって悪いね」
「いいんだよ、こっちも急かした言い方して悪かったな。ゆっくりで大丈夫だからな」
「ありがと」
さらに2人がクスクスと笑い合うような声が聞こえてきて、ますます動けなくなった。
ようするに、俺のレッスンがもう少しで終わりそうだから本格的に付き合えそうだって意味か。
理解して、勝手に落ち込む。でももっと落ち込む言葉が聞こえてきた。
「とりあえずキスぐらいはいいんじゃねぇ?」
友人のからかうような口調の問いかけに対して貴臣は
「ダメだよ、ちゃんと付き合ってからじゃないと」
笑いながらそう忠告していた。
貴臣が俺にしてきたエロいことを、今度はあのイケメン野郎にするのかと思うと胸がはち切れそうだった。
本当はずっと、俺の方が貴臣を好きなのに。
たまたま同じクラスになって、たまたま仲良くなっただけの奴に、俺が負けるだなんて。
貴臣が事故に遭った時のことも、初めは尖っていたのに徐々に柔和になっていった性格のことも何も知らないくせに。
ドアを開けられずに立ち竦んだまま、時間だけが過ぎていく。
頭がぐるぐるした。
本当に目眩に似た症状が出て、1歩後ずさった時に床がギシッと鳴ってしまった。
ドアの向こう側の2人が、こっちを見ているような気配がした。
「今、何か聞こえなかった?」
「兄さんかな? ちょっと見てくるね」
貴臣がそう言ったのと同時に、すぐさまその場から駆け出した。
「兄さん」と声が降ってきたが、俺は転がるように階段をバタバタと掛け下りる。
階段は途中で折り返す形になっているのだが、その手前で足が滑ってしまった。
咄嗟に手すりを掴もうとするも、あと数ミリ届かなくて体がふわりと浮かぶ。
「わっ……」
「危ないっ」
貴臣の声が聞こえた後、ずだだだっと大きな音がなった。
目を開けると、俺は折り返しの所に倒れていた。すぐさま貴臣が駆け寄ってくる。
「兄さんっ大丈夫ですか?」
「あ……うん、大丈夫……」
貴臣の腕を借りて立ち上がると、左足に激痛が走った。
あぁやったな、これ。
「あ、はは……やっぱちょっと、足痛いかも」
「すぐに病院へ」
「いいよ、たぶん大したことないから」
情けなくて、笑うしかなかった。
残りの階段を下りてソファーに座ると、貴臣の友達にも心配され、ひたすら「大丈夫です」と繰り返した。
気になって2人の会話を盗み聞きしていただなんて、知られたくなかった。
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