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第63話 素直になりたい
「いいよ。どこでする?」
そう言うと、貴臣は驚いたようにこちらを見た後でふふっと笑った。
「さすがですね。何が言いたいのかすぐに分かったんですか」
「その含み笑いで分かるよ。ちゃんと周りにバレない所、考えてあるのか?」
「少し歩きますが、いい場所を見つけたんです。小さな公園ですが、外灯も切れかかっていましたし、木の影に隠れれば死角になるので、きっとバレないと思います」
唯一残っているレッスンは、今までのよりもハードルが高めだ。
誰かに見つかれば通報されそうだけど、貴臣のことだからきっとうまくやるだろう。
それが終われば、俺は先輩の元へ。貴臣は、好きな人の元へ行く。
「そう。ありがとな、変態なことに色々と付き合ってくれて」
「まだ終わってませんし、思っていたよりも楽しかったですよ。俺もたくさん、勉強になりました」
「……あのさ」
「はい」
「あ、いや、何でも」
おろおろしていたら、朝食の準備をしていた母親と目が合った。咄嗟に、貴臣の腕からスッと手を引いて距離を取った。
「おはよう。怜、具合はどう?」
「もう良くなったから、今日は行く。送ってもらえる?」
「ええ。もちろん」
背後からの貴臣の視線に、居心地の悪さを感じる。
それに気づかないフリをして、朝食の準備を手伝おうと母の隣に立った。
フライパンの中の卵焼きからはふんわりといい香りがしてくる。
貴臣はしばらく俺に視線を向けていたけど、目が合わないことに気付いたのか、自らも手伝いをし始めた。ケトルで湯を沸かし、食器棚からマグカップを取り出した。
朝食を終え、出かける準備をしていると「兄さん」と声をかけられた。
「さっき、何か言おうとしていませんでしたか」
「え? ……あぁ、何だったっけ。忘れた」
俺はさっき、やっぱり不安だからもう少しレッスン手伝えよ、と無理やりつなぎ止めようとしてしまったのだ。
そんなこと、言っては駄目なのは分かってる。
貴臣は、腕を掴んできて離さなかった。
俺の思惑を感じとろうとしているみたいに、その澄んだ双眸をじっとこちらに向けてくる。すぐにこっちが耐えられなくなって、視線を外した。
「あの、離して」
「……あぁ、すみません」
掴まれていた手が緩んだので、俺は逃げるように家を出て、ドアを閉めた。
車に乗りこむと、すでに運転席にいた母が不思議そうに俺を見てくる。
「怜、どうしたの。酷い顔してるけど、体調は本当に大丈夫なの?」
「顔が酷いのはいつもです」
「そうじゃなくて。なんだかシュンとしてない? まだ足が痛むの?」
「大丈夫。早く行こ」
頬杖をついてそっぽを向き、顔を見られないようにした。
強張った表情筋をなかなか緩められない。久保くんに最近言われたことが、頭の中をぐるぐるしていた。
──自分の本音に従い素直になって生きていれば、自ずと答えは……
「くそっ! 簡単に言いやがって! なれない場合はどうしたらいいんだよっ!」
「な、何よ⁈ さっきからどうしたの! やっぱり休む?!」
「情緒不安定なだけです!」
自分が子供っぽくて、いじましくて嫌になる。
来週が、来て欲しくない。
このまま時が止まってくれればいい。
そんな願いはもちろん、叶わないってことは百も承知だけど……。
流れる風景をぼーっと見ていたら、貴臣の恋人になる予定のあいつを見つけた気がしてハッと息を呑んだ。
けれどそれは他人の空似で、全く知らない奴で。
深く溜息を吐いてから、ゆっくりと目を閉じた。
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