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第82話 近い他人

 * * * 『明日、良ければうちに来ない?』 「えっ」  いつもの電話の最中、先輩にそう言われて過剰に反応してしまった。  すぐにエロい事を想像した俺は、羞恥から顔が火照ってくる。 『ちょうど誰もいないんだ。電話はしてるけど、全然遊べてないよな、俺たち。俺ん家でさ、ゆっくりしない?』 「誰もいないんですか?」  緊張した声を出すと、先輩も何か感じ取ったみたいで誤魔化すように笑った。 『たまたまなっ、両親は2人で出かける予定で、弟は彼女とデートみたいだから』  そうか。弟の悠助って人には彼女がいるのか。  貴臣の言っていたことが嘘ではないことが分かった。 『で、どうだ? 都合悪いか?』 「あっ、だいじょぶです」  俺は部屋の床の上でなぜか正座してしまう。  先輩はすぐに言い訳するように言葉を紡いだ。 『そういう、目的じゃねぇからな! 本当にただゴロゴロしたいなって思って……ま、まぁ、中田の心の準備がもし出来てるって言うんだったら、ちょっとくらいはとか、考えてたけど……』  モジモジと正直に言う先輩に、笑ってしまった。 「いいですよ。軽いのであれば」 『えっ?!』 「いきなりお漏らしとか舐めてみろとかは困りますけど、見せるとか、そのくらいだったら」  電話の向こうでズダァン! と何か重いものが落ちた音が聞こえた。  どうやら先輩が椅子から転げ落ちたみたいだ。 『中田、本当に俺の性癖、全部理解してくれたんだな?』 「はい。先輩が好きですから」  口に出してみると、本当に心から大好きな気分になってきた。  そうだ。俺はもう吹っ切れたんだ。  貴臣のことはもう好きじゃない。 『な、中田、本当にありがとうな! 代わりにおもてなし、沢山してやるから!』 「いいですよそんなの。じゃあ明日、宜しくお願いします」  電話を切って、膝の上でスマホを握りしめる。  明日だ。先輩と俺の関係が劇的に変わる日。  変わってしまう前に、貴臣には言っておかなくては。  部屋を出て廊下の奥を見た瞬間、貴臣の部屋のドアが少し動いたのを俺は見逃さなかった。  カチャッとドアが閉じる音だけ残して、しんと静まり返った。  もしかしたら今、貴臣は俺の部屋の前にいたんじゃないだろうか。  貴臣の部屋の前まで行き、ドアをノックした。 「あの、貴臣、ちょっといい?」  返事は無かった。  絶対に聞こえてるはずなのに。 「話したいことがあって」  それでもやっぱり、返事はなかった。  もしかしたら、イヤホンを付けて音楽でも聴いているとか?  無理やりそう考えないと、心が折れてしまいそうだった。  俺たちは本当に、同じ家で暮らすただの他人同士になってしまったのか。  でも、いいのかもな、これはこれで。  昔の俺だったら、返事はなくとも勝手に中に入るくらいの気迫はあったけど、今はそんな精神力は持ち合わせていない。  貴臣が俺と話したくないんだったら、それを尊重してあげよう。    もう、貴臣の殻を破る資格は俺にはないのかも。  唇をぎゅっと噛み、踵を返した。

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