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貴方のおしりは、俺が守る!(3)

 午後三時、お腹が鳴った。  佐藤くんに促され、ノートパソコンをパタリと閉じる。  今日のおやつは、わらび餅。  言うまでもなく、佐藤くんのお手製だ。  お好みでどうぞと手渡されたチューブを絞ると、とろりと溢れ出た黒蜜がぽとんと落ち、きな粉の山の上をするりと流れ落ちていった。  蜜なのに、粉に塗れてしまわないのが不思議だ。 「すごいな、わらび餅って作れるんだ」 「本当はクレープにしたかったんですけど、小麦粉もホットケーキミックスも、なんでか粉物が根こそぎ売り切れだったんですよね。わらび餅粉と白玉粉だけかろうじてあったんで」 「じゃあ明日は白玉団子?」 「を使ったあんみつにしようかと思ってます」 「……やばい」 「えっ、なにが?」 「もう明日が楽しみになってきた」  ほどよく甘くて最高に美味しいわらび餅と、きめ細かい泡に彩られた深緑色の抹茶。  そして目の前には、大好きな人の向日葵の笑顔。  幸せすぎて目眩がする。 「木瀬さん、元気でした?」 「あー、うん。相変わらず、ステイホームをものすごく楽しんでた」 「プッ、あの人らしいですね」 「うん」  航生の名前が出たからだろうか。  ――ちゃんとそういう気分転換にも付き合ってやれよ?  穏やかだった心の中が、急にそわそわし始めた。  だって、今日でもう三日だ。  三日間、佐藤くんとセックスしてない。  それまでは俺が仕事中であろうがなかろうが、ベッドの上であろうがなかろうが、ところかまわずスイッチの入っていた佐藤くんが、突然大人しくなってしまった。  ほら、今も。  唇についた黒蜜をわざとゆ……っくりと舐めとってみたのに、目の前の佐藤くんはムラムラするどころか、ただ慈しむような眼差しで、包み込むように俺を見つめてくる。  それはそれですごく嬉しいけど、なんか、  物足りない。 「ごちそうさまでした。あー、美味しかった!」 「プッ、お粗末様でした」  使い終わった食器を持ってシンクに向かうと、すぐに佐藤くんが追いかけてきた。  そして泡立てたスポンジを俺の手から奪い取ると、流れるような動作で口先を啄む。 「んっ」 「洗い物、俺がします」 「でも……」 「残りの仕事、頑張ってください」  伸びっぱなしの前髪をさらりと持ち上げ、むちゅっと押し付けられたのは柔らかくて温かい唇。  でもその熱はすぐに遠ざかり、残されたのは高鳴った鼓動の空虚な余韻だけ。  続きを期待して見つめてみても、視線が交わることすらない。 「佐藤くん!」  蛇口をひねりながら、佐藤くんが俺を振り返る。  その穏やかな笑みを前にしたら、急に緊張してきた。  前のめりになっていた気持ちが、一気に萎んでいく。 「はい?」 「そ、その、今日は、その、定時、になったらさ。あの……」 「あ、ご飯ですか?」 「えっ……」 「ちょうどよかった。なんか今日は、夕飯の献立が全然思いつかないんですよね。なにか食べたいものありますか?」 「あ、あーうー……」  佐藤くん。  俺は佐藤くんが食べたい。  いや、食べられたい――か? 「え、えと、その、さ、さ……」 「さ?」 「さと……」 「さと?」  佐藤くん。  佐藤くん佐藤くん佐藤くん。  俺がほしいのは、佐藤くん! 「さと……いものフンコロガシ」 「プッ、煮っ転がしね。あれ? 前に食べた時、里芋の滑りが苦手だって言ってなかった?」 「あー……うん、苦手」  あのヌメヌメにどうしても慣れなくて、なかなか箸が進まなかったんだよな……あ。  しまった。  誤魔化し方を完全に間違えた。  佐藤くんが「それならなんで?」という顔で訝しんでいる。 「理人さん? どうかし……」 「あーいいや。やっぱり佐藤くんに任せる! 仕事戻るから! わらび餅ごちそうさま!」 「あ、はい……?」  バタンッ……って、あ、しまった。  また間違えた!  仕事に戻るって言ったのに、パソコンの前を通り過ぎてトイレに篭ってしまった!  閉ざされた空間の中で、人知れず項垂れる。  だめだった。  全然だめ。  言えなかった。  ――佐藤くんがほしい。  たったひと言なのに。  それが、  言えない。

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