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第九話

 それからキョウジの生活は一変した。  愛人とはスッパリと手を切り、仕事が終わるとどこにも寄り道をせずヒカリの元に帰る日々が続く。 「ヒカリ! 今帰ったぞ!!」 「キョウジさん、お帰りなさい」  ヒカリは以前のように優しく彼を出迎えてくれる。  優しい笑みを浮かべるヒカリの姿に、キョウジの胸が熱くなる。  溜まらずにギュッと抱き寄せると、ヒカリはなんの抵抗もせずにキョウジの胸にスッポリと収まった。  ふわふわの髪から漂うシャンプーの香り。  それに混ざるようにヒカリのフェロモンも微かに漂っている。  キョウジはそれを肺いっぱいに吸い込んだ。 ――幸せだ……。  今までこんな気持ちを味わったことなんてなかった。  ヒカリと結婚できて本当によかったと、キョウジは心の底から思っていた。  髪に鼻を寄せ、犬のようにフンフンと匂いを嗅いでいると、擽ったいと言わんばかりにヒカリが身じろいだ。 「んもう、キョウジさんってば……ご飯、そろそろ着替えてきたら?」 「ヒカリ……俺はやっぱりお前の作った飯が食いたい」 「キョウジさん……」  ヒカリは相変わらず、キョウジの食事を作ることはしなかった。  だからキョウジの食事は、未だデリバリーなのだ。  運ばれてくるのは全て有名レストランのもの。しかし今のキョウジが一番食べたいものは、愛する妻であるヒカリの手料理。しかし彼がいくら懇願し、床に額を擦り付けて土下座をしようと、ヒカリは絶対に諾と言わない。 「だって僕……食事を捨てられたことがトラウマになっていて……」  以前のキョウジはヒカリの作った食事にケチを付け、一口たりとも食すことはしなかった。  そればかりか、気にくわないからと言ってテーブルに置かれた料理を全てなぎ払い、床にたたきつけたのだ。 「キョウジさんのご飯を作ろうとすると、手が震えて何もできなくなっちゃうの……ごめんなさい……本当にごめんなさい……」  俯いて涙声で謝罪するヒカリを、キョウジはさらに強い力で抱きしめる。 「謝るのは俺の方だ! 俺があんなことをしてしまったばかりに……ヒカリは何も悪くない。だから謝らないでくれ!」 「うん……ありがとう、キョウジさん。困らせちゃってごめんね」 「困ってなんかいないから気にするな」 「あなたがそう言うなら……あっ、それよりも早く着替えてきたら?」 「そうだな。そういえばヒカリ、飯は?」 「僕はもう済ませたから気にしないで」  ヒカリの言葉にキョウジはガックリと肩を落とした。  愛しい妻は自分と食卓を囲むこともしない。  自ら料理を作っては、キョウジが帰る前に済ませてしまう。  これも全てキョウジが過去ヒカリに「辛気臭い顔見ながら飯なんて食えるか! 俺の前では一切物を食うな!!」と罵倒したせいなのだが。 ――過去に戻って自分を絞め殺してやりたい……!  キョウジは心の中で血涙を流した。 「あとお風呂も入っちゃったから、そろそろ寝るね」 「えっ? でもまだ十九時だぞ?」 「お肌と健康のために、早寝早起きは必須だからね。それじゃ、おやすみなさい!」  ヒカリはつま先立ちになってキョウジの頬にキスをすると、足取りも軽く自室へと戻っていった。  突然の、ヒカリからのキス。唇が触れた頬が熱い。  キョウジが柔らかな感触に呆けている最中に、ヒカリはドアを閉めて鍵を三つ、しっかりかけた。これでもうキョウジはこの部屋に入っては来られない。  以前は外側だけに鍵が付いていたが、以降それはキョウジの手により取り払われて、代わりにヒカリ自らが内鍵を用意したのだ。  夫に襲われないために。  キョウジは一度、真夜中にヒカリの寝室に忍んで行ったことがあった。  すっかり寝入っていたヒカリが目を覚ましたとき、パジャマのボタンが全て取り払われ、キョウジの手がズボンにかかっていたときだった。  念のためにと付けていた貞操帯のおかげでキョウジに襲われることはなかったが、それ以来ヒカリの部屋には内鍵が取り付けられることとなった。  キョウジは当然不服を申し立て、鍵を取り払うよう……なんなら一緒の寝室で寝ようとかき口説いたが、ヒカリは頑としてノーを言い続けた。 「だって、夜中にいきなり襲われて、本当に心臓が止まりそうになったんだもん」 「あれも本当に悪かった! もう絶対にしないから」 「それじゃあもう少しだけ様子を見させてくれる? 僕が本当に安心できるようになったら……ねっ?」  そう言ってキョウジを宥めたヒカリだったが、鍵を外す予定はない。 「僕とセックスしたくてもできない状況に、せいぜい悶え苦しむがいい!」  クツクツと笑いながら、念のために貞操帯を装着した。  そろそろ発情期が迫っている。体はほんのりと熱を持ち、フェロモンがにじみ出ているのが自分でもわかる。  ヒカリのフェロモンに()てられたキョウジが、鍵を破壊して中に入ってきたとしても、この貞操帯があれば挿入に至ることはない。  セックスしなければ当然、番にもなれない。 「あんな男と番になるなんて、絶対にごめんだもの」  優しい顔をしているのは、全て復讐のため。  決してキョウジに絆されたわけでも、愛が復活したからでもない。  だから発情期の一週間は、向井製薬の抑制剤と魔羅鬼くん二号で乗り切る予定だ。  キョウジの力なんて、絶対に借りない。 「でもそろそろ二号くんもヘタってきたんだよなぁ」  発情期を共に乗り切ってきた戦友に、薄い亀裂が認められるようになったのはいつのころだったろう。このままでは次の発情期中に、壊れてしまうかもしれない。 「それはいろいろ大惨事だよねぇ。よし、ネットでポチっちゃおう!」  キョウジから与えられたスマホで、アダルトグッズサイトを開く。 「今度はどんなのにしようかなぁ。……あっ、この『石油王DX』って凄いよさそう! これにしちゃおうっと」  石油王DXと魔羅鬼くん二号に支えられ、無事に発情期を乗り切ったヒカリ。  そして今回もヒカリの部屋の前で涙を飲むしかなかったキョウジ。  そんな彼らに『御前』と呼ばれる人物からパーティーの招待状が届いたのは、ヒカリの発情期が過ぎた数日後のことだった。

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