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第40話

 約束の時間、ロビーに降りた俺を例の男...高瀬が待ち受けていた。 「何のご用ですか?」  出来るだけ丁寧な口調で、胡散臭いその風貌を改めて眺める。 ー蛇みてぇだ...ー  ぬめっとした湿り気を帯びた口許が不気味に笑う。 「諒......お前は諒なんだろう?」 「何の事ですか?そんな人は知りませんが?」  知ってはいるが俺は違う。姿容はそいつのものかも知れないが、俺はラウル-志築。香港マフィア楊ファミリーの筆頭若頭.....だった男だ。空とぼける俺の腕を高瀬がいきなり掴んだ。 「しらばっくれるな、諒。......本当に覚えていないのか?!」  その気味の悪い顔を近づけるな!.....と怒鳴りたかったが、俺はぐっと堪えて怯えたフリをした。 「いきなり、なんなんですか?!......そんな人、知らないと言っているじゃないですか!」  クサイ芝居だ。高瀬は業を煮やしたらしく素人にあるまじき手を出してきた。早い話、刃物を突きつけてきたのだ。安いサバイバル-ナイフ....データにはやさぐれて不良グループに首を突っ込んでいたというが、なるほど、チンピラの手口だ。 「何をするんですか!」 「一緒に来い!」  高瀬は怯えたフリをしている俺をホテルから連れ出し、止めてあった車に押し込んだ。 「何処へ行くんですか!?」 「来ればわかる」  俺を助手席に座らせ、高瀬は夜更けの街に車を走らせた。バックミラー越しに街の灯りと小さくヘッドライトの赤い瞬きが見えた。運転しているのはたぶんニコライ。十分な車間距離を取っている。湾岸の道路を経て、車はベイサイドの高級マンションに乗りつけた。  「降りるんだ」  駐車場からエレベーターに乗り込む。ナイフは突きつけられたままだ。12階のボタンを無造作に押し、高瀬は俺をエレベーターの隅に押しつけて、辺りを窺いながら扉が開くのを苛立ちながら待った。 「諒.....いや、諒じゃなくてもいい。あんたみたいな上物は滅多にお目にかかれないからな」  俺を部屋の中に突き飛ばすようにして、後ろ手で鍵を閉め、高瀬は獣のようなギラついた目で俺を眺めまわした。 「此処は何処なんですか?」 「何処だっていい。.....あんたレヴァントの愛人か?」  上着を脱ぎ捨て、にじり寄る高瀬に荒い息を吹きかけられて、気持ち悪さに吐き気がした。 「ただのクライアントです。......それより、僕をいったいどうするつもりなんですか?...諒っていうのは誰なんですか?」  ナイフを突きつけたまま、高瀬はソファーの端に俺を追い詰めて長袍からモバイルを探り出し、床に投げ捨てた。 「諒は俺の兄貴の息子だ。.....あいつはあんたみたいに女みたいで、キレイな顔をしてた。世の中には俺みたいにそういうのが好きな奴が結構いてな。男娼に仕込ませて変態どもに高く売りつける筈だった」 「なんでそんな酷いことを.....」  憤る俺に高瀬はせせら笑いながら言った。 「金が要るんだよ。俺は凌征会ってとこに借りがあってな。兄貴は俺が若い頃に道を踏み外したもんで、親父の遺産を一銭も寄越さなかった。腹いせに俺の知り合いに諒を輪姦させて強請らせたんだが、そんな端金じゃ間に合わなくてな。....兄貴夫婦の保険金も大したことなかったしな。諒の身体で稼いで貰う筈だった」 「まさか、その兄夫婦も......」 「あぁ、事故に見せかけて殺らせた。目障りなだけだったしな」  高瀬はサバイバル-ナイフの先で俺の胸元を突つきながら、舌舐めずりして囁いた。 「あいつが飛び降りなんぞしたせいで、レヴァントに余計なことをされちまって俺の計画はパァだ。.......だから、あいつにそっくりな、いやあいつより上物のあんたを献上すれば、もっといい稼ぎになるだろう。レヴァントに引ったくられた諒の代わりに....な」  俺は反吐が出そうになった。 「最低だな、お前」  忍耐の限界だった。俺は高瀬を蹴り飛ばし、同時にヤツのサバイバル-ナイフを奪い取り、一物に突き立てた。 「ぐぇ.....」  揉んどり打って床を転げ回るそいつを見下ろして、俺はゆっくり銃爪を引いた。 「ぎゃ......」  頭を撃ち抜かれてそいつは大きく身体を痙攣させ、動かなくなった。  ふと見るとモバイルの着信ランプが点滅していた。  通話ボタンを押すと聞き慣れた低い響きの良い声が耳に触れた。 「終わったか?」 「完了だ」 「後はニコライに任せてお前は裏口から出ろ」  エントランスのインタフォンのカメラにニコライの顔が写った。俺はセキュリティ解錠ボタンを押し、ニコライが上がって来るのを待った。 「ボスがお待ちです」  玄関を開け、ニコライが差し出したコートを羽織り、非常階段を降りると、黒いシボレーが滑り込んできた。スモークのウィンドウ越しに、ほんの少しウェーブがかったミハイルのブロンドが見えた。  俺は素早くドアを開け、助手席に滑り込んだ。   「ドライブでもするか?」 「悪くないな」  俺達は血の匂いのするキスを交わし、都会の闇の中に走り出した。

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