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第44話

 久しぶりに降り立った香港は生憎の雨だった。   ー空港に迎えを用意してある。お前の知ってる男だー  出発の時、ヤツはそう言った。モスクワ国際空港まで、自家用ジェットで乗り付け、そこから空港内に入り、出入国カウンターを出るまでヤツはじっと俺を見ていた。当然傍らにはさりげないスーツ姿の部下、が数人、いや十数人。  一応ビジネススーツに身を包んだ俺を見送る姿は取引先の若手経営者を見送るそれに徹されていたが、最後に言った台詞が悪い。 『貞操は守れ』  思わず俺は顔を赤らめ、カウンターのフライトレディに不審な目で見られた。  だが、改めて振り返りヤツが立ち去る姿を見た時、『仕事』の始まりを実感した。 ーこれは、俺の『仕事』だー  一気に緊張感が高まり、俺の中で眠っていた矜持がむくむくと頭をもたげた。 ー俺は『九龍の鷲』だー  空港に迎えにきた男は、確かに俺の知り合いだった。周玄宝.....俺のファミリーのNo 2だった男で、俺を目の敵にしていた。 「あんたが、狼小蓮か」  相変わらずの脂下がった顔に反吐が出そうだった。 「そうだ」  俺は短く答え、ヤツの用意した車に乗り込んだ。運転手も助手席にいるのも、俺のファミリーの連中だ。俺はそ知らぬ振りで周に訊いた。 「あんたが、香港のNo 1なのか?」  周はちょっと考えるふりをして、答えた。 「そう....だな。だが、最近、江ファミリーの奴らがのしてきてな...」  江....か。確か麻薬に手を出してボスに破門を食らった奴らだ。 「今度の仕事が上手くいったら、あんたからレヴァントの総帥に取りなしてくれねぇか?.....ラウルの件で下手を打っちまっておかんむりなんだ」 「ラウルの件......?」  俺はぴくりと身を震わせたが、周は気付かなかった。 「あぁ、前のボスのお気に入りでな。古臭い野郎で、さんざレヴァントの旦那に楯突いてた。.....俺は懐柔しろってレヴァントに再三言われて.....結局、あいつはレヴァントに消されたらしいが......あいつがとことん頑固だっただけなのに、無能扱いだ」 「それは気の毒に......」  誰がお前の言うことなんか聞くか、風見鶏野郎が.......と毒づきたくなったが、じっとこらえた。 「あの野郎が、レヴァントの総帥の古馴染みなんて知らなかったもんなぁ.....」 「えっ?」  悪いが、それは俺も初耳だ。きょとんとして顔を見る俺を、周はまじまじと見た。何やら目尻が垂れている.....気がする。 「それにしても、あんた美人だなぁ......。レヴァントの総帥の情人(イロ)って本当か?」  ミハイルが先に吹き込んだのだろうが、今回は有難い。周は無類の色好みでボスに嫌われていたからだ。俺は周を睨みつけた。 「そうだ。.....命が惜しかったら、仕事に専念しろ」 「そりゃ残念だ。.....レヴァントの旦那にこれ以上不興を買ったら、香港は沈められちまう」  周は大人しく引き下がると、俺をホテルに案内した。 「指示どおりの仕掛けはしてある。柄物は昨日小包で届いた。部屋に入れてある」 「わかった」  短く言って、ホテルに入ろうとする俺の腕を掴んで、周が耳許で囁いた。 「仕事が済んだら、楽しまねぇか?......旦那には内緒で、俺は上手いんだぜ?」 ーお前、沈むぞ.....ー  俺は内心、相変わらずの周の浅はかさに舌打ちしたが、知ったことではない。無言でホテルに入り、チェックインした。  俺の頭の中にあるのは、『仕事』のことと、周が言っていた一言だった。 ー俺が、ミハイルの古馴染みだって?!ー  あり得ねぇ......と呟いて、ベッドに突っ伏した。久しぶりの故郷の夜はやけに寒かった。 

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