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ミハイルside 2~訣別と再会と~
サンクトペテルブルクに入ってから、彼の表情が変わった。私の回想を気取られたくないがために私が渡した書類もきちんと読み込んで返し、そして彼は黙って窓の外に目を移し、じっと懐かしい街並みを見ていた。
青春を過ごした街並みを見る彼の眼差しは懐かしさとほんの少しの憂いを湛えていた。
その理由が、私のことであってくれれば良い.....と私は勝手な願いを抱いていた。
厳粛な静謐の空間が、私達を待っていた。荘厳な扉をくぐり回廊を巡る。静寂の中で、自分の心臓の音だけが大きく響く。
彼は『あの日』を覚えていてくれるだろうか。せめて断片だけでも覚えていてくれたら.....と私は祈った。
勇気をふりしぼって、つとめて冷静に感嘆の溜め息と呟きを漏らす彼に問いかけた。
『エルミタージュに来たことが?』
『一度だけ.....』
私は胸が高鳴るのを感じた。しかし手放しで喜ぶことはできない。もしかしたら、他のことを思い出していたのかもしれない。それは仕方の無いことだ。私と彼が共にあれたのはほんの短い時間だ。だが、それは私に永遠を刻んだ。
著名な絵画の前を心ここにあらずで行き過ぎ、東洋美術の展示スペースへ彼を誘った。
あの観音菩薩の画幅は近々、故郷の日本に里帰りする。その前になんとしても確かめたかった。
私達はその絵の前にあの時のように佇んだ。
変わらぬたおやかで美しい女神.....新しい器を得た彼は、以前にも増してその姿に近づきつつあった。
『お前に似ている...』
と私が洩らすと彼は、ほんの少し首を傾げて呟いた。
『以前にも同じことを言われたことがある.....』
私はやっと確信を得た。彼は覚えていてくれた。ボケットの中で、モバイルが鳴った。
今ひとつ...彼にとっては過酷だが、向き合わねばならない事実があった。それは彼と私が新しい時を刻むために必要なことでもあった。
『レイラ...』
現れた人物に彼はやはり驚いた。彼のかつての恋人と息子と...そして彼の身体を持つ人物。
私が部下からその報告を受けたとき、それはある種の必然だろうと認識した。酷なことではあるが、崔の影の濃くなった香港に彼ら...ラウルの恋人と息子を置いておくわけにはいかなかった。避難先のマレーシアに彼らを誘導するには、ラウルの肉体を持つ彼は最も適した人材だった。
そして.....ラウルのかつての恋人は、彼の肉体を持つ青年と恋仲になっていた。互いに淋しさを抱えた二人が惹かれ合うことは誰にも責められることではない。ラウルの恋人は、形ある姿で子供の父親が側に居ることを希んでいた。
『きちんと別れを告げたい』
というのは、彼女の意思でもあった。
私の想像に反して、彼らの最後の対面は、あまりにも言葉少なで、呆気なく終わった。
彼は恋人の後を追おうとはせず、黙ってその背中を見送っていた。それが彼の、ラウルの彼女への愛であることは痛いほど良くわかった。
『帰るぞ』
私は佇んだまま、僅かに涙ぐむ彼の頬にそっと手を触れ、額にキスをした。彼は.....拒まなかった。
じっと涙の溜まった目で私を見上げ、そして彼は、ラウルは言った。
『あんたが.......あいつなのか?』
私は黙って頷いた。万感の思いで......。
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