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第59話
「大丈夫か?」
「あぁ」
水音が大理石の壁に反響して、幾重にも重なり合って、ヤツの声が遠くに聞こえる。俺は冷水のシャワーで鈍った頭を叩き起こす。
「本当に何でも無いから...心配するな」
俺は蛇口を閉め、ゆったりとジャグジーに身を預けるミハイルを見た。水に濡れた体毛が登ったばかりの月の光を弾いて、威厳をいや増している。
ー本当にライオンみてぇだ.....ー
金色の高貴な獣が、こちらをじっと見据えている。大きな掌が優雅に手招きする。
「おいで、パピィ」
「俺は犬じゃねえ....いい加減、それは止めろ」
眉をひそめる俺に、ヤツがふっ...と鼻で笑う。
「じゃあ、バンビか?」
「もっと嫌だ」
腕を捕まれて引き寄せられる。唇が重なる。
「やはりお前は天女だな.....」
俺の顔を覗き込んでヤツがうっとりと呟く。
「頭沸いてんのか?だったら羽衣返せよ」
「無理だ。もう灰になって飛んでいってしまったからな」
「最低だな.....」
俺は戸籍上は死んだ.....らしい。俺の死体が日本のどこかの山の片隅に放置された焼け焦げた車の中で見つかった。....特に背中から灯油をかけられているらしく、人相もわからないくらい焼け爛れているらしい。.....かろうじて、ダッシュボードの中、燃え残りの運転免許証とパスポートで身元が判明したという話だ。
身代わりにされた奴があまりに気の毒な気もするが、薬物中毒で死んだ奴の死体を使ったというから、まぁまだマシかもしれない。
ただ.....おかげで俺は女みたいな名前になってしまった。いや、本来的に女名なのだが、ミハイルの趣味で小蓮(シャオレン)などという名前の戸籍を押し付けられた。
『なんだこれは!....俺はどっかの小娘じゃねえ!』
と心底、憤慨する俺に、ヤツはニヤニヤ笑って嘯いた。
『そう怒るな、小姐(シャオチエ)。戸籍上は親の勘違い。性別は男になっている』
『お前なぁ.....!』
両親は旅行先で行方不明。両親の行方を探しに来てミハイルの秘書にスカウトされた.....らしい。
「まったく、どこが秘書なんだよ」
「ボスが気持ち良く、快適に仕事に打ち込めるよう努めるのが、秘書の仕事だ。間違ってはいない」
ぶつぶつと文句を言う俺を小脇に抱えて、ヤツはしれっと言い放つ。
「ボディーガード兼任だがな」
「俺が?お前の?」
俺はつい叫びそうになった。ヤツは片眉を上げて笑った。
「そうだ。.....まぁファミリーのヤツは付いてきてはいるが、公式の場にいかにもな奴らを引き連れていくわけにはいかないからな.....。レヴァント-コンツェルンの総帥として、レセプションなどに出席する場もある」
ふうん.....と頷いて、俺ははた.....とある事に気付いた。
「まさか.....それって........いわゆるパートナー同伴てやつじゃないだろうな?」
「良く分かったな」
にま....とヤツの口許が緩んだ。
「女装も慣れてきたようだしな.....。心強いパートナーに恵まれて、私はラッキーだよ」
「意味が違う!」
抗議しようと開いた口をヤツに塞がれ、舌を絡められ、俺は言葉を失った。
「んふ...ん...んんっ」
ヤツは充分に俺の口中を蹂躙すると、俺の頬を両手で緩く挟んだ。
「違わないさ。........お前は私の大切なパートナーだ。私がそう決めた。だから.....」
俺をじっと見る二つの瞳が、今までに見たことのない真剣な切実な色を帯びていた。
「一人で苦しむな。........まだ、話せない。話したくない事もあるだろうが、私が側にいる」
「ミーシャ......?」
訝る俺に、もう一度軽く口付けて、ヤツが微笑んだ。
「そろそろ上がるか。逆上せてしまいそうだ」
俺は頷いた。が、頼むから抱き抱えて寝室に運ぶのだけは止めて欲しかった。
それに、夕食に呼びにきた邑妹(ユイメイ)が呆れてドアの前でUターンしたことを後で聞いて、どれだけ恥ずかしかったか....。
「仲が良いのはいいんだけど.....」
わきまえてくれ、ミーシャ。言っても無駄だとは思うが.....。
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