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第62話

「お前は、何をそんなに怒ってるんだ?」  俺はずっと眉をつり上げたままのミハイルに溜め息混じりに言った。  屋敷に帰るなり事の顛末を聞いたヤツは、例の部下を殴りつけ、邑妹(ユイメイ)を激しく罵倒した。ふたりは真っ青になって、ミハイルに床に頭を擦りつけんばかりにして詫びた。俺はと言えば部屋に引き摺り戻され、厳しい顔をしたヤツが、暖炉に崔の贈りつけてきた代物を投げ込み、灰になるまで、火掻き棒を突き立てるのをじっと見ていた。 「単なる嫌がらせだろう?崔の奴、俺を女だと勘違いしてやがるから.....」  何とか宥めて落ち着かせようとする俺をヤツはこれまでに無いほどきつい眼差しで睨みつけて吐き捨てるように言った。 「お前は何もわかっていない!」 「何も.....ってなんの事だ?」 「あの野郎が送り付けてきたアオザイは、婚礼衣装だ。あいつは本気でお前を奪い取る気だ。こんなものを受け取るんじゃない!」 「ならば、あの仕立て屋に送り返してやれば良かったんじゃないのか?」  俺は灰になったアオザイの切れ端を片目で見ながら言った。   「そいつはもう死んでる。ネヴァ川に死体が浮かんだ」 「お前が殺ったのか?」  ビックリして俺が訊くと、ヤツは苦虫を噛み潰したまま、言った。 「私ではない。崔だ。衣装を届けた直後に行方不明になった」  俺は再び驚いて息を呑んだ。 「なぜ....?」 「そいつを返せないように.....だ」  ミハイルは焼け残った切れ端を火掻き棒で突き刺して言った。 「これは奴の私に対する宣戦布告だ」  ギリギリと唇を噛んでヤツは言い捨てた。俺はミハイルと崔が厳しく対立しているのは知っていたが、そこまで切羽詰まった状況にあるとは、その時まで思ってはいなかった。 「だいたい、お前が女の格好なんかさせるから、あいつが勘違いしたんじゃないのか?」  揶揄半分になんとかヤツを宥めようとする俺に、ヤツは観念したように言った。 「そうじゃない.....奴は知ってる」 「知ってるって何をだ?」 「.........周が殺られた」 「えっ?」  俺は言葉を失った。 「お前のファミリーのオフィスに奴の手下が入り込んで、周を拉致して......死体は判別がつかないほど痛めつけられていた」 「江の連中がそこまで?」  崔の後ろ楯があっても、それだけのタマがいるとは思えなかった。 「江じゃない。奴が直接に手を下した」 「何故分かるんだ?」 「江は.....ヤクの過剰摂取で死んでる。崔は香港のマフィアを片端から潰しにかかってる.....周はひどい拷問を受けた。崔の野郎が、映像をファミリーの連中に送り付けてきている」 「それじゃ......」 「私と手を切れば生かしてやると言われたそうだが......ボスをなぶり殺しにされて、すっかり怯えきってた」  さすがに俺も絶句した。 「......で、手を切ると言ってきたのか?」  ミハイルは首を振った。 「拒否して、殲滅された。.....もっとも、配下だった江の子分どもも皆殺しにされているから、信用できないと踏んだんだろう.....」  ヤツがここしばらく『何か』を思い詰めていたのは、そのせいだったのか.....と始めて気づいた。 「だが、なんで急にそんな......」 「本土の統制が強化された。香港も完全に本国の統制下に組み込むために、人民政府に雇われたらしい.......それと」 「それと?」 「周の拷問の映像の中で、しきりにお前の事を問い詰めていた。名前や何処の出身かを....」 俺は身の毛がよだつのを感じた。 「だから、ヤツは、崔はお前が女では無いことを知っている。その上で、周に言っていた。『女神を奪還する』....と」 「なんでそう頭が沸いてんだ、お前らは...! 俺は女神だの天女だのじゃねぇ、普通の男だ」  憤慨する俺にミハイルはつかつかと歩み寄り、息が止まるかと思うほどきつく抱きしめて言った。 「ラウル.....それは無理だ。お前は美し過ぎて魅力的過ぎる.....あの青年の魂が入っていた頃とは雲泥の差だ」 「ミハイル.....お前のせいだぞ」  俺はヤツを上目遣いで睨んだ。 「お前がややこしい真似をするから.....」  言いかけて俺はふと気づいた。 「俺の素性はバレていないんだろうな?!.....俺がラウルだってことは......」 「大丈夫だ。......秘密を知る者はいない。ニコライだけだ」  ミハイルは他の者に聞こえないよう小声で囁いた。俺は小さく頷いた。 「私は絶対にお前をあいつに渡しはしない......。何があっても......」  掠れた声で呟くミハイルの頬に手を添えた。いつに無く思い詰めた眼差しのヤツに俺は意を決して囁いた。 「ミーシャ、大丈夫だ。俺はお前だけのものだ」    ヤツは泣きそうな顔で俺に微笑み、長い口づけの後、俺をベッドに放り投げた。    その後......例の部下は警護の任を解かれて何処かにいなくなり、邑妹(ユイメイ)はすっかり萎縮していた。

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