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第65話
俺は父さんの死を思い出したことで、崔に対する憎しみを強めていた。が、血気に逸る俺を諌めたのは他ならぬミハイルだった。
「感情で動くな。奴の目的はお前なんだぞ、ラウル」
「は?俺は単なる道具だろう。お前にダメージを与えて潰すための単なる駒じゃないのか?」
「お前はまだわからないのか ? 私にとって一番ダメージになるのは、お前を失うことだ。だからこそ崔はお前を狙って来ているんだ。......ラウル、いい加減分かれ」
俺は元から頭を押さえつけられることは好きではない。つい反駁してしまう。だが、認めたくはないが、ミハイルが、今の俺を立たせてくれていることは事実だ。そのミハイルが倒れたら.....今度こそ俺は、この世界にたった一人で立たなければならない。正直、俺はそれがとてつもなく怖かった。
だが、そんな俺の目をじっと見つめてヤツが呟いた。
「私...は、自分がこんなに弱い人間だったとは思わなかった.....」
「ん?」
「お前がいなくなったら、たった一人で世界と向き合わなきゃならない。....私は正直、それが怖い」
「ミーシャ?」
ヤツは俺を膝に抱き上げて、絞り出すように言った。
「私は......自分の母親を殺せ、と命令した。そして父親を撃った.....」
「撃った.....って、お前は先代は施設にいるって....」
驚いて身を翻えそうとする俺をきつく抱きしめ、髪の中に鼻先を埋めて、ヤツは言った。
「あぁ、それは嘘じゃない。私は父を殺せなかった。......撃ったのは事実だが、生憎、手が震えて、弾が逸れてね。......だが、そのために彼は歩けなくなり、それからずっと施設にいる」
「ミーシャ.....何故そんな.....」
「私は父に麻薬の取引から手を引いて欲しかった。だが、一向に話を聞いてはくれなかった。ある時、それで口論になって.....父が銃口を私に向けた。だから、私も撃った...」
「な....正当防衛だ。咄嗟の時には、人間は自分を守ろうとする。それは本能だ」
背後で、ミハイルが小さく息を吐いた。
「だがな.....父の銃には弾は入っていなかった」
「じゃあ、脅しだったのか?」
ヤツは首を振った。
「父は私を試したんだ。私がどれだけ本気かをな.....。私は父親を殺せなかった。しかし、彼はその怪我を理由に引退し、結果として私がファミリーのトップに立つことになった」
「周囲は反対しなかったのか?....その.....反逆だろ?」
「父は銃の暴発ということで、話を片付けた。事実を知っているのはニコライと...邑妹(ユイメイ)は聞いたかもしれないが.....」
ミハイルは大きく溜め息をついた。
「結局のところ私は父に負けたんだ。嫌だったマフィアの跡目を継ぎ、ファミリーを率いる羽目になった」
「ミーシャ?」
ヤツが俺を後ろから抱き抱えた意味がわかった。ヤツが今どんな顔をしているか.....決して人には見せたくない『涙』がヤツの頬を伝っているのだろう。
「生きてはいるが.....私はその時、父親を失った。自分の理想のために、父親を捨てたんだ。....もう後戻りもできない。縋る相手もいない.....私は本当に孤独になった」
「ニコライ達がいるじゃないか。....お前を真摯に支えてくれてる」
帝王学という代物の厳しさをその時俺は初めて知ったような気がした。なんとかヤツを慰めたかった。だが、ヤツは重い口調で続けた。
「彼らが支えているのは、レヴァント-ファミリーのトップだ。支えられるべき威厳あるボスだ。ラウル......お前の友人だったミーシャじゃない」
王者の孤独などというものは俺は知らない。ファミリーの連中は、俺にとって『仲間』だった。忌憚なく話し合える友達だった。
「済まない。俺にはお前の抱えている孤独はわからない」
「分からなくていいんだ、ラウル。お前が側にいてくれるなら.....。私は、ミハイル-アレクサンドロス-レヴァントというひとりの人間でいられる」
「ミーシャ......」
「大学で知り合った時、私は私の菩薩を見つけたと思った。そしてそれは間違いではなく、私は痛烈に手に入れたくなった」
「無茶が過ぎるぞ.....いくらなんでも」
俺の言葉をミハイルの再びの言葉が遮った。
「お前を手に入れて....私はもっと孤独が怖くなった。お前を失うのがとてつもなく怖い」
俺はミハイルの方を向き直り、頬にキスした。ほんの少しだけしょっぱい気がした。
「俺は何処にも行かない。だからしっかりしろ」
ヤツの頬を手挟んで、恨みを込めて見つめ、そして微笑んだ。
「お前は、俺をお前無しではいられない身体に変えちまったんだからな」
ミハイルは微かに微笑み、俺達はキスした。たぶん十年前には考えられないことを俺達はしている。だが、それが『運命』だったのなら、潔く諦めるより他はない。
ー大天使....かー
俺は大天使を闇落ちさせる訳にはいかない。少なくとも、他に愛する女性ができるまでは、ミハイルを孤独に落とすわけにはいかない。
それが俺の覚悟だった。
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