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第66話
俺はトレーニングルームで、ひとり体術のトレーニングをしていた。邑妹(ユイメイ)の笑顔の無いここは寂しい。
だが、何故急に、邑妹(ユイメイ)はここを去ったのか.....。ミハイルの怒り方は確かに尋常ではなかったが、それが原因というには腑に落ちない部分があった。
俺が箱を開けると言った時はさほどの問題は感じなかった。
ーそうだ、あの時......ー
箱の中に入っていたあのアオザイを見た時、邑妹(ユイメイ)の顔色が変わった。邑妹(ユイメイ)はベトナムの生まれ育ちだから、あれが婚礼衣装だというのは、すぐにわかった筈だ。
いや、それ以前に....
ー何故、崔がベトナムの婚礼衣装を...?ー
何かが引っ掛かった。俺は目を閉じて深呼吸をし、父さんと暮らしていた頃の記憶を手繰りよせた。記憶にあるのは、小さな街。そこから舟で遡ると広大な花畑、.....一度だけこっそり連れていってもらった。草むらを掻き分けて行くと濃いオレンジの花が一面に咲いていた。
ーおそらく、あれは.....ー
崔が麻薬の密輸を主な手段としているなら、あれは芥子の花だ。大掛かりなアヘンの畑だ。傍らにあった草むらは大麻だ。
ーゴールデン-トライアングル.....ー
タイとラオス-ミャンマーがメコン川で接する山岳地帯だ。今でもおおがかりな麻薬の密造地帯だ。オヤジが俺と舟で逃げた大きな川がメコン川だとすれば、辻褄が合う。今はタイは撲滅を図っているから、崔が支配しているのはミャンマーの側だろう。その『製品』の売買の拠点として、シンガポールを本拠地としていた。そして、新たに香港を東アジア、アメリカとの取引の拠点としようとしている。中間にいたマフィアを一掃して、利益を独占するために.....。
ーだが、なぜベトナムの衣装なんだ?ー
ベトナムとゴールデン-トライアングルはカンボジアの国土に隔てられている。ポル-ポトの時代にベトナムがカンボジアに侵攻しているが逆は無い。
ー何かが引っ掛かる....ー
俺はトレーニングルームから、階上に急ぎ、ニコライを探した。
「何ですか?.....ラウルさん」
ニコライをオペレーションルームから呼び出し、俺はある事を依頼した。
「崔の過去を洗ってくれ....。あいつの弱点は過去の何処かにあるはずだ」
「何処かって.....?」
「ベトナムだ。ベトナム戦争の記録を洗え」
背後からの声に俺とニコライが振り向くとミハイルが立っていた。
「ミーシャ.....?」
「奴の狙いはお前だ。おそらく...奴は手段を選ばない。その理由はたぶん奴の過去に繋がっている」
「なぜ.....?あいつの過去って...?」
俺はミハイルの言葉に耳を疑った。そこまでして執着される理由がわからない。俺にとっても父さんの憎い仇だ。
「おそらく.....邑妹(ユイメイ)が知ってる」
「じゃあ先代の所へ...」
施設を訪ねて、頭を下げてでも聞き出さねば、俺の違和感は解消されない。このままではミハイルの生命すら危機に曝すことになる。
だが、ヤツは無情に首を振った。
「邑妹(ユイメイ)は父の施設にはいない。行方はまだ掴めていない」
ー邑妹(ユイメイ)は、崔の正体を知っているのかもしれない.....ー
俺はふと不吉な予感に駆られた。
「まさか消されたのか?」
「そういう情報は入っていない」
動揺する俺にミハイルが言った。
「安心しろ。おそらく、崔は邑妹(ユイメイ)を殺しはしない。.....ニコライ、わが社の関連の施設のセキュリティを強化しろ。レベル3に引き上げておけ」
「承知いたしました」
ニコライは一礼すると、徐に部屋から出ていった。
「崔は邑妹(ユイメイ)を殺さないって...?なぜ分かるんだ?」
俺は混乱してミハイルに訊いた。
「たぶん.....ベトナムで全てが始まっている。」
ミハイルは言葉を切り、遠くを見た。
「あの戦争から.....」
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