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ミハイルside 5~哀しい真実~

「体調はどうだ?」  パーティーの日に倒れてからラウルは高い熱を出し、二日間ばかり寝込んでいた。  昼間は仕事のスケジュールが詰まっていたため、看病を邑妹(ユイメイ)に任せ、二日目の夕方近くにようやく熱が下がったと聞いて、そっと顔を出した。彼は邑妹(ユイメイ)に作ってもらった薬膳の粥を啜っていたところだった。 「大丈夫だ。いい年をして熱なんぞ出すなんて、情けないとこを見せちまったな」  見上げる彼の顔はまだ多少やつれてはいたが、生気を取り戻していた。ほっと胸を撫で下ろす私を見上げていた彼は眉をひそめて言った。 「ミーシャ.....お前、寝てないのか?」  傍らにいたニコライが溜め息まじりに彼に告げ口をした。 「あなたが心配で眠れなかったようですよ。.....私達が付いていると言ったのに、誰も近寄らせなかったんです」 「ミーシャ?....俺はガキじゃねぇ。仕事あんだろ?無理はしないでくれ」  彼は恥ずかしさに少々不貞腐れ気味で私をい窘めてくれた。私の身体を気遣ってくれるその気持ちが何より嬉しかった。私は片方の眉を少しだけ上げて、彼の頬に触れた。 「済まんな。またうなされているんじゃないかと、どうにも気になってな....」  私が微笑むと、彼は涙ぐんで言葉が詰まらせた。 「ごめん......心配させて済まない」  俯く彼の頬に、私はそっと手を触れ囁いた。 「気にするな。......ラウル、お前、父親が崔の奴に殺されたと言っていたが.....」  彼がこっくりと頷いた。そして夢のことを打ち明けてくれた。  理由はわからないが、父親と魚釣りに行って帰ってきたら、家が荒らされていて、見知らぬ女の死体があった....という。ラウルの父親は、急いで彼を隠し.....そして崔とその手下らしき男達が侵入してきて、ラウルの父親を撃ち殺した....という。 「理由はわからないのか.....?」  私はラウルに訊いたが、彼は侵入してきた連中の言葉はわからなかった、という。どこかの国の現地語なのだろう。無理はない。  ラウルはずっと趙を実の父親だと思っていたと言った。自分がドイツ人との混血だと知ったのは、高校に入ってからで、ー実の父親はラウルが小さい時、病気で死んだ。あまりに可哀想で言えなかったーと趙に言われ、それ以来ラウルは実の父親のことを訊かなかった......と語った。 「母親は?.....家で死んでいたのは、ラウルさん、あなたの母親ではなかったんですか?」  ニコライが淡々と尋ねた。私は思わず、その配慮の無さにニコライを睨み付けた。が、あの死体の女と彼の母親とは別人だと思う、とラウルは言った。  物心がついた時には、父親と二人で暮らしていた。戸籍では既に離婚していた、らしい。 「ではラウル、お前の母親は生きているのか?」  私は意外な事実に、極めて慎重に言葉を選んで、訊いた。 「いや.....」  彼は首を振った。 「父さんと別れて何年もしないうちに亡くなったって。.....病気で日本に返したんだ.....ってオヤジが言ってたから、それ以上はわからない」 「そうか......」  私はニコライに目配せしていた。彼の家で死んでいた女は父親の知り合いではあるが、ラウルはあまり面識が無かったらしい。 「そうか。.....お前の父親は、何も言い残さなかったのか?」  私は慎重に彼に尋ねた。 「『忌まわしい死神め。いつか必ず、正義の鉄槌が下るぞ』.....ドイツ語だったと思う。そして銃声がして....父さんが胸から血を流して倒れていた。俺はチェストの中にいて、あいつに銃口を突きつけられて......もう駄目だ、殺される....と思った。そしたら、大きな音がして、その後、急に奴らが出ていって.....誰かが、チェストの蓋を開けた」 「それが趙だったわけか....」  気がついたら、彼は大きな川の上にいて、隣に趙がいた.....という。それまでの記憶は全て失われていて、ラウルは戸籍を見るまで、ずっと趙を実の父親だと信じていた.....という。 「そうか......」  私は彼が抱えていた過去の重さに溜め息をついた。子どもが負うにはあまりに辛い過去だ。趙が事実を隠し、話さなかったのは正しかった...と私は思った。 「まぁ、お前が趙を信じてきたのは、間違いではない。お前が記憶を失ったのは、父親が殺されたショックからだ。それを無理に抉じ開けようとせず、お前を大事に育ててきた。いい父親だった」  私の言葉に、彼は嬉しそうに微笑んだ。 「死神.....」  彼の唇がぽつりと呟いた。 「俺は父さんの仇を取る。死神を地獄の底に叩き返してやる!」  ラウルの双眸がじっと私の眼を見つめた。 「手を貸してくれるか?」 ーもちろんだー  私は深く頷き、彼に口付けた。 「勿論だ、パピィ。私以外の者がその心を悩ませることは許せない」 「お前なぁ.....」  少しだけ溜め息をついて、彼は私を抱きしめた。 「ありがとう....」  私は涙が出そうになった。  部屋の外に出ると、扉の傍らに邑妹(ユイメイ)がいた。彼女は一言、私に言った。 「行くわ」  私は深く頷いた。 「気をつけて......」 「小狼(シャオラァ)には内緒にしてね」  一瞬、扉の方に視線を投げ、静かに立ち去るその背中は、間違いなく戦士だった。

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