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第69話
ヤツの悪趣味な計画は、着々と実行に移されつつあった。俺は当然、外出は厳重禁止。どこからか引っ張ってきた中国人の仕立屋.....女性に部屋(コテージ)をあてがい、監視付きで『婚礼衣装』とやらの製作を依頼した。
『大丈夫なのか?』
と俺が訊くと、
『心配ない』
とだけ短く言った。俺はそれ以上何も訊かなかったが、俺のトレーナー兼ボディーガードのイリーシャを見て僅かに表情を変えた。KGB絡みの人間かもしれない
彼女は、邑妹(ユイメイ)より少し若いくらいの年頃で、落ち着いた風情があったが、どこか淋しげだった。
『寸法を測らせてちょうだい』
女性の前で全裸になるのはかなり恥ずかしかったが、仕方なく俺は着ているものを脱いだ。
彼女は一瞬眼を見開いたが、静かに呟いた。
『浄土の花....ね。あなたは香港のご出身だったかしら.....』
『そう.....だけど』
彼女は巻き尺を操りながら、独り言のように言った。
『あの人の父親も香港にいる.....って言ってた。共産党に嫌疑をかけられて逃亡したって...』
『あの人?』
彼女は小さく笑って言った。
『恋人よ。天安門事件で憲兵に容疑をかけられて、獄中で殺された。私は彼の父親に会いに行ったんだけど、商用でいなかった。だから、手紙だけ置いて帰ったの。......それきりになってしまったけど』
『ふぅん......』
俺は何気無く頷いた。
彼女は生地の誂えや仮縫いに時々、俺の部屋を訪れた。外では片言のロシア語で応答しているらしいが、俺となら母国語で話せる...らしくて、饒舌になる。
単に少しも気が晴れるなら....と思って、彼女に訊いてみた。
『亡くなった彼は、なんていう人?』
『趙...祥揮。.....お母さんを頼って北京大学に入学して頑張ってたのに、ね』
『お母さんは本土にいたの?』
『党の高官の娘だったから...。小さい頃に別れたきりだけど、手紙でしか知らないけど、大人になったら会いに行くって頑張ってたのに』
俺は、朧気にオヤジの話を思い出した。ーとても出来のいい息子がいたが、国に殺された。俺はそんな国を信じられない......ーそう言いながら、香港の街を誰よりも愛し、誇りにしていたオヤジ。
『お父さんの名前は?』
ファミリーの誰かが生き残っていれば、探してもらえるかもしれない。
『趙...夬......だったかしら?貿易商だって聞いてたわ』
俺は耳を疑った。
ーオヤジ...?ー
思わず眼を見開いた俺を彼女は不思議そうに見た。
『知ってるの?』
『俺の......俺の知り合いの父親だ。養子だけど。.....少し前に亡くなったって』
俺はしどろもどろになりながら、何とか取り繕った。彼女は意外そうな顔をしながら、だがほっとしたように言った。
『そう......』
『うん.....』
『その息子さんは、元気なの?』
俺は返事に窮した。がとりあえず黙って頷いた。
『じゃあ、いつか逢えるわね。.....ヤクザ者だし、本土には来れないけどって、毎年、花を送ってくれていて.....何年か前から途絶えていて心配してたの。色々援助もしてくれたし』
『ちょっと体調は悪いみたいだけど.....大丈夫だと思うよ』
ーこの人だったのか....ー
オヤジが生きている時、毎年六月になると北京に花と金や品物を送っていた。俺は、てっきり昔の恋人でもいるのかと思っていた。
ーそうか、六月四日.....ー
俺は生まれてすぐの頃だったから詳しい話は知らないけれど、オヤジは六月四日になると、線香と花を持って近くの廟に通っていた。ー自由化を求める学生のデモを人民政府が武力鎮圧して、学生が戦車に轢き殺された。痛ましい事件があった。ー俺が聞いたのはそれだけだったけど.....。
「まさか、あの事件に崔も絡んでいたのか?」
夜遅く、俺をひとしきり組み敷いて満足げに煙草をふかすミハイルに俺はそれとなく訊いてみた。
「それはわからんが....」
ミハイルは煙草を灰皿に揉み消して言った。
「崔は以前からあの国の上層部と深い繋がりを持ってる.....商売のいい得意先らしい」
「得意先?.....何の?」
言い掛けて俺は口をつぐんだ。
「臓器......か」
「そうだ。....あの国の闇はあいつには好都合なんだろうさ」
ミハイルが忌々しそうに言った。確かにあの国の倫理観は、俺でさえ理解出来ない。俺は日本で育ったから.....。
「やはり、崔は潰すべきだな」
俺の言葉にヤツは深く頷いた。
「でも、知らなかった.....オヤジに子供が、いたなんて...」
溜め息混じりに呟く俺の耳をヤツが軽く噛んで揶揄った。
「嫉妬か?」
「違う.....会ってみたかった。俺には兄弟はいなかったから.....いてっ!」
言いかけた俺の胸をミハイルの指がいきなり抓りあげた。
「何すんだよっ!」
「お前には私がいる。他の男の事など考えるな」
真顔で睨みつけるヤツに俺は改めて大きな溜め息をついた。
「お前なぁ.....」
しばらく後....、吉祥の織の入った純白のチャイナ-ドレスを目にした俺は、それよりももっと大きな溜め息をついた。金糸で襟や袷を縁取った豪華なそれは、背中にも前にも咆哮する金色の獅子が刺繍され....貫禄満点で辺りを睨み付けていたからだ。
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