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第70話
「なぁ.....本当にやる気か?」
ドレスを着せられ、化粧までされて、俺は不機嫌この上無かった。ホワイトフォックスのロングコートまで着せられた日には、どっかのマダムにしか見えない。自己嫌悪の極致だ。
俺の憂鬱など全く考えてないミハイルは上機嫌すぎるほど上機嫌で、キャメルのコートを翻し、俺の頭に同じホワイトフォックスの毛皮の帽子を被せた。
「なに、すぐに憂さ晴らしできるさ....」
装甲車並みの装備のリムジンに乗り込む。スモークで外からは見えない。
「で、今日のツールは?」
「これだ」
細身のM 161が手渡される。
「カートリッジは?」
ポンと投げ寄越されたそれをストッキングのガーターに挟む....と、ミハイルの手が伸びてきた。するりと太股を撫で上げられて、ピクリと身を震わせる。
「何してんだよ!」
「挑発するお前が悪い」
しれっと抜かすミハイルに俺は思わず切れそうになった。運転席でニコライが表情も変えずに言う。
「そろそろ着きますよ。スタンバイして下さい」
着いたのは、サンクトペテルブルクからそう遠くはない、バルト海に近い小さな村の外れにある教会だった。ここはプロテスタントの教会だ.....とミハイルがこっそり耳打ちした。
『正教会も、カトリックも堅くてね...』
当たり前だ!ついでに言えば俺は仏教徒だ。キリスト教なんてどうでもいいが、よくもまぁ教会で物騒な真似をさせることに同意したものだ。
『ウチのファミリーでたまたまプロテスタントの牧師の資格を持ってる奴がいた。...で助かった』
やっぱりな....。そんなことだろうと思った。
抜け目の無いのはわかっているが、なんで指輪まで用意してるんだ?!
「話をつけてある。....ちゃんと段取りどおりにやれよ」
「わかってる」
しぶしぶと車を降り、教会へと向かう。周囲は異様に静かだ。先にミハイルが中に入り、俺は介添人がわりのニコライと腕を組んで、バージンロードを進む。
いわゆる結婚式めいたイベントな始まりだ。
白い上着を着たいかにも聖職者らしい初老の男が聖書を開き、誓いの言葉が始まる。俺は仏教徒なんだが.....。
「汝、ミハイル-アレクサンドロフ-レヴァントは、ラウル-志築-ヘイゼルシュタットを妻とし、病めるときも健やかなるときも.....」
牧師の台詞に俺は一瞬、固まった。
ーおい、いいのか?ー
とヤツを見ると、余裕でウィンクして答える。
「Da (はい、誓います)」
俺は取り澄ましたヤツに呆気に取られて言葉も出ない。と、ヤツが、つん...と俺を突っついた。牧師が怪訝そうに俺を見ていた。
「...... 誓いますか?」
No ! と言いたい。言いたいが、シナリオが違う。
ーこれは茶番だ。茶番なんだー
俺は恨めし気にミハイルを見上げ、吐き捨てた。
「Da(はい....)」
「では、誓いの口づけを....」
芝居だ。芝居の筈なのに、妙に嬉しそうに肩を抱き、ヤツは唇を寄せてきた。軽く唇を合わせ......そして、ヤツが囁いた。
「来るぞ!」
遠くから、ヘリコプターの羽音が聞こえてきた。次第に大きくなる。車のエンジン音が二度台、三台....。
「Go!」
ワイヤレスのミハイルの声が静な空間に響く。途端に外で銃砲が鳴り響く。木のドアが穴だらけになる。
俺は後ろ手に銃を握りしめる。その肩をミハイルが此れみよがしに抱いている。
ドアを蹴破る音がして、数人の男がドヤドヤと入り込んでくる。真ん中にいるのは....ー崔だ。相変わらず死人のような顔色で、細い眉を思い切りつり上げて唇を歪めた。
「相手を間違ってはいけない。その野蛮人から今すぐ離れなさい、レディ。あなたの夫は私だ」
「冗談はやめてくれ!」
俺は叫び、ミハイルは如何にも吐き捨てるように言った。
「生憎だったな、崔。もう私達は神の御前に永遠を誓った」
ー嘘だけどな...ー
俺は心の中で呟きながら頷いた。崔の凍りつくような怒りの叫びが轟く。
「レディ、可哀想に。あなたは未亡人にならねばならない。今すぐに!」
崔の右手が上がり、銃口が一斉にミハイルに向いた....直後に男達が後ろに跳ね飛んだ。ミハイルの手にはいつの間にかカラシニコフのライフルがしっかり握られていた。
崔が外へ身を翻し、代わりに手下どもが、駆け入ってくる。俺はさっそくM 161の手応えを存分に味わった。使い心地ははまずまずだ。
俺達は居並ぶ連中目掛けて銃弾の返礼を浴びせた。
「奴が逃げます!」
ニコライの叫び声が聞こえてきた。
俺達が、血塗れ、穴だらけになった教会の中から飛び出すとホバリングしていたヘリの縄ばしごに崔が掴まり、引き上げられていた。
と、俺達を見つけたヘリが急に向きを変えた。
「伏せろ!」
ミハイルが叫んだ。ヘリの機銃が唸りを上げ、地面に突き刺さった。俺は走り、ミハイルに覆い被さった。ヘリは高度を下げるのを止めて上昇し、再び旋回してこちらに向かってきた。
ーあいつはミーシャを狙っているー
俺はカートリッジを付け替え、ミハイルの前に出た。
「何をしている!」
ミハイルが背後で叫んだ。ヘリのプロペラの音がうるさい。
ーあいつにミーシャは射たせない!ー
俺は銃口をヘリに向けた。
「やめろ!ラウル!」
ヘリが旋回して突っ込んでくる。俺は構わず、銃爪を引き続けた。機関手が揉んどり打って倒れ、操縦士が一気に機体を引き上げた。が、その胸も血に染まっている。
「やったぜ!」
「この、バカ!」
俺はミハイルに引っ担がれて死体の横たわる車の影に隠れた。崔が操縦棹を握っているのが見えた。崔は表情も変えずにこちらを一瞥するとヘリの頭を返し、飛び去ろうとしていた。
「あいつ、逃げちまう!」
「心配無用だ」
逸る俺を抑えて、ミハイルがニヤリと笑った。直後、ヘリの尾翼のあたりが火を吹いた。
「迫撃弾?!」
「そういうことだ」
ミハイルは、コートのポケットから煙草を出し、ゆったりと咥えた。そしてコートの脱げ落ちた俺を見た。
「汚れてしまったな....」
獅子の鬣が、口元が返り血に染まっていた。
「血に濡れたライオンか...あんたらしいじゃないか」
俺は笑って、ミハイルの口元から煙草をひったくり、咥えた。久しぶりのニコチンが体に沁みる。
「まったく...らしすぎますね。初めての共同作業が、機関銃のデュエットですか.....」
牧師が後ろに手を組みながら歩み寄ってきた。
「あんた、無事だったのか!?」
びっくりするやら呆れるやらの俺に牧師が一枚の羊皮紙を差し出した。
「祭壇をシールドにしていただきましたからね。.....サインがまだですよ」
俺は、ミハイルに促されて、仕方なく『結婚証明書』にサインした。
「法的には無効だぞ」
むくれる俺に、ミハイルは白々しく言った。
「神様には有効だ」
血塗れの大天使は高らかに笑い、俺は神を呪った。
翌日、ヘリは引き上げられたが、崔の遺体は見つからなかった。
「想定の範囲内だ」
『無茶のお仕置き』とかの言い掛かりで散々啼かされ、ベッドから起き上がれない俺の傍らでミハイルが嘯いた。
「無茶はするなよ、奥さん」
ミハイルは、左手の薬指に光る輪っかに凹む俺の額にキスして、小さく笑って言った。
頼むから、それは止めてくれ.....。
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