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第71話
「はあぁ~....」
崔の乱入もひと通り片付いたあと、俺は微かに差し込む太陽の光を浴びて、デスクに突っ伏していた。
「どうしたんですか?」
ニコライが規則正しい足取りで部屋を横切って、俺の傍らに書類の山を置いた。
「それは?」
「日本との事業の企画書と報告書、それと資料です。翻訳をお願いします」
「アイツもいい加減仕事熱心だな。ワーカホリックも大概にした方がいいんじゃないか?」
「以前は心配してましたが、最近はきちんと気分転換もされているようですので。....あぁ仕事量が多すぎるなら、報告しておきますが...」
至ってしれしれと言いやがる。まったく主人も主人なら、こいつもこいつだ。
「仕事量は問題ねぇよ。.....どっちかと言えば、その気分転換てのをもう少し何とかしてもらいたいだけだ」
「......と仰いますと?」
ーこいつは......ー
白々しく訊くニコライに俺は切れそうになった。結婚式もどきの一件から、ミハイルは、前にも増してしつこくなった。
『目を離すと直ぐに無茶をする。その性格をなんとかしろ!』
とか言われても、生まれついての性分だ。今さら何とも出来るわけが無い。
『首輪をつけるぞ、本当に!』
とか言われて左手の薬指に発信器付きのリングをはめられたが、端から見ればどう見たって結婚指輪だ。
ー永遠の愛を誓うー
裏側に御大層な彫り込みまで入れて.....結婚指輪以外の何物でもない。
「ちゃんとした、惚れた女性に贈るもんだろう、こんなもんは.....」
俺は凝ったデザインのプラチナのそれを日に翳す。ニコライが心血注いで開発した極小-高性能な発信器が搭載されている。
「お前だって、最高傑作をこんなことに使われて不愉快なんじゃないのか?」
横目でチラリと窺うとニコライが、ふっ...と小さく鼻で笑った。
「ロシアでは、同性婚も認められつつあるのをご存じ無いんですか?ボスはあなたを伴侶に選ばれた。それは厳然たる事実です」
結婚は両性の合意の上でするもんじゃなかったのか?!それに合意なんて.....と言いかけてオーク材の立派なケースの上、これ見よがしに豪華な額に飾られた『結婚証明書』をチラ見されて、俺は言葉も出ない。崔を口実に完全にハメられた.....と気づいた時には遅かった。
「セキュリティ-ツールの性能を確認するのに、実に最適な方ですよ、あなたは。貴重なデータを充分に収集できて助かります」
さすがにモルモット扱いされるのは癪にさわった。と同時に以前から抱いていた疑問をぶつけた。
「ニコライ、あんたIT 部門の責任者なんだろ?会社行かなくていいのか?俺なんかの相手をしている立場じゃないだろ?!」
ニコライはーそんなことか...ーと言わんばかりに、冷ややかな眼差しで俺を眺めて言った。
「我が社の中枢はここにあります。出先に出向くのは必要最小限で充分です。クラウドにもしてありますし、ネットワークシステムも問題ありません」
ーつまりは、『本社』自体もダミーというわけか....ー
最先端の巨大企業は、俺には理解不能だ。溜め息をつく俺に、ニコライが真剣な眼差しで詰め寄った。
「ところで.....あなたは、戦争の経験がおありでは?ラウル」
「あぁ、あるよ。なぜ判った?」
別に隠すことでも無い。俺はニコライの方に向き直った。
「アサルトの使い方がギャングのそれとは違います。脅しや威嚇とは程遠い。『実戦』の使い方ですね」
「まぁな....」
俺は大きく息を吐いた。忘れようにも忘れられない経験だ。
「どちらで?」
「イラクだ。対I S の駐留軍に、傭兵で参加してた。....オヤジが倒れて、一年で戻ったけどな」
乾いた熱砂の地...植物も人の心も渇いて、魂が干上がりそうな不毛な戦い....まさに不毛だった。狂信者につける薬は無い。獣と化した敵と、敵に洗脳され銃を握らされた子供達をどう分断して正気に戻すか...その難題に頭を悩ます日々だった。
「そう.....ですか」
心なしか、ニコライがほっとしたように息をついた。
「まさかミーシャは、I S に武器を流してたりしなかったろうな?」
「してない」
暴君の『旦那さま』が背後で不機嫌そうに言い放った。
「我が国の軍に提供した武器をI S に横流しされて、えらく不快な思いはしたがな」
「横流しって、誰が.....」
言いかけて、ミハイルの目が怒りを帯びているのに気づいた。
「崔か.....」
「手先は全て始末したが、な」
ニコライが深く頷いた。
「許し難い.....わかるだろう?!」
「あぁ」
俺にもその見解に異存は無かった。
「許すわけにはいかないな......」
忘れていた俺の希みを叶えるためにも......。
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