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第83話

 再び眼を開けた時、俺はそこが天国かと思った。眩しい光がそこここから差し込み、視界の端々で白い布が揺れている。カラカラと乾いた音が頭上てなっている。見上げるとあの大きな羽がゆっくりと回っていた。南国特有の、あの父さんと暮らした家にあったような......。 ー父さん.....ー    気を失っていた間、俺は父さんの夢を見ていた。正しくは、父さんとオヤジの夢だ。  俺は眼を閉じて、ふたりの姿を反芻する。  ふたりは、棕梠の葉の団扇をゆったりと動かしながら露台らしきものに座って何かを喋っている。耳を澄ますとそれは不器用な片言の日本語だ。 『父さん(Vater )』 と俺は呼び掛ける。 『オヤジ(爸爸)』 とも....。  ふたりはこちらを向き、にっこりと笑う。 『息子(Sohn 儿子)よ』  彼らは同時にそれぞれの言葉で答える。俺は自分が小さい子どもの姿に戻っていることに気づいた。ふたりは囲碁らしき台を除けて、俺を真ん中に座らせて、頭を撫で、肩を抱く。  俺はふたりに尋ねる。夢の中だから何語かは覚えていない。 『父さん達は、なんで日本語で話すの?』  オヤジが答える。 『お前の母さんの国の言葉だ。世界で一番難しい言葉だから、内緒話にいいんだ』  父さんが微笑む。 『それに、世界で一番平和な国の歴史の深い言葉だ。お前も覚えるといい』  そして俺はオヤジに連れられて日本に渡り、日本語を覚えた。母国語として......。文字通り母親と自分を繋ぐ唯一のものとなった。  ふたりの会話は続いていた。  『趙.....私にもしものことがあったら、この子を頼む』  父さんが言った。 『リヒャルト......わかった。坊には必ず日本を見せる』  オヤジは大きく頷き.....そして男の約束を果たした。崔に父さんが殺された時、命がけで俺を救い出し、日本に逃れた。  ふと、ふたりは物思いにふけるような顔になり、俺に言った。 『もう行きなさい、ラウル....。お前はここにいてはいけない』 『そうだよ、小狼(シャオラア)、お前のあるべき場所に戻りなさい』  振り向くと...ミハイル、いやミーシャがいた、あの頃の......。泣きそうな顔をして立ち竦んでいた。俺は立ち上がり、ミーシャのほうに駆け出した。  そして......目が覚めた。   ーここは何処なんだ.....ー  父さんと暮らしたあの密林の中の村よりは少しも風が通るような気がする。  あたりはしん....としていて、ファンが回る音だけがやけに響く。周りを見回すと大きく窓が切られ、椰子の木の葉が揺れていた。......が、幾本かの南国の植物の向こうに白い壁が高く聳えていて、横になっている俺の視界には空は見えない。 ーう.....ー  身体を起こそうとしたが、力が入らない。弛緩剤でも討たれているのだろうか....。視線を走らせると両手はまだ拘束されていない。  はっ......と、気づいて、俺はなんとか力の入らない腕をずらせて、下半身に手をやった。そして萎えてはいるが、まだ無事にそれが存在していることに大きな安堵の息をついた。 ー良かった。まだあった......ー  崔の不気味な発言はまだ実行はされていない。まず、その事にだけは神に感謝した。  そして....微かな足音とともに人の気配が近寄ってくるのに気づいた。俺はそれが誰だか、知りたくは無かった。  だが、そいつは南国には不釣り合いな黒い長袍...を揺らめかせて、横たわる俺の側に歩み寄り、青白い頬を緩め、ニィ.....と笑って俺の顔を覗き込んだ。 「気がつかれましたかな.....レディ...」  

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