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第86話

 多少なりとも身体が動くようになると、なんとか着衣を許されはしたが、それはただ布を巻きつけただけのようなものだった。柔らかい、シルクの極薄い生地はかろうじて外気と肌とを隔ててはくれるが、半ば透ける肌が寧ろ淫猥に見える。下半身はさすがに帯のような布地で隠されてはいるが、なんとも心もとない。 「なぁ、これ薄すぎやしないか......」  邑妹(ユイメイ)に着付けられる様を傍らで無表情で眺めている崔に、クレームを入れたが、まったく表情を変えず、むしろほんの少し目を細めて、 「よくお似合いですよ。レディ...まさに地上に降りたった観音菩薩のようだ」 ーなんで、俺の周りの奴らはこう頭が沸いてるんだ?ー  俺は目眩を覚え、深く溜め息をついた。  もっとも、熱帯の気候のもとでは暑さに慣れない俺には、それでもかなり汗だくになる。邑妹(ユイメイ)も薄物を羽織っている下はタンクトップにチノパン、サンダルだ。にも関わらず、崔は黒の長袍をしっかりと着込み、汗の気配も無い。絽の薄手のもの....かと思ったがそうでも無い。 「なぁ、あいつはなんであの格好で平気なんだ?」  俺は邑妹(ユイメイ)が運んできてくれた果物とペットボトルの水を口に流し込みながら、訊いた。既に熱中症気味の俺には信じられない有り様だ。邑妹(ユイメイ)は、辺りを窺い、声を潜めた。 「伯嶺は、アーマードスーツだから、腕や脚は露出できないの。.....機能を損なうから?」 「え?」  俺は思わず身を乗り出して聞き直した。 「あいつはサイボーグなのか?」 「下肢と左腕はね。心臓や内臓は移植を繰り返してる。だから、彼本来のパーツは脳だけ.....に近いわね」  信じ難い話だ。俺には到底考えられない。 「なんでそんな.....」 「少しでも長く生きるためだって....伯嶺は身体にメスを入れることになど何の躊躇いも無い....って」 「考えられない...」  何故、そうまでして生き永らえようとするのか....。理解できない。それに.....。 「まさか他人の命を奪ってまで、臓器を移植してきたのか?」  俺は訊いた。聞きたくない話ではあるが、人身売買や臓器の売買を生業とする崔ファミリーの闇は、崔自身の生への盲執から始まっているのか......。 「それは私にも良く分からないけど......」  口ごもる邑妹(ユイメイ)の表情が固まった。背中越しに吹雪(ブリザード)のような声がした。 「いけないのかね....」  俺が振り返ると、崔が....死神が薄ら笑いを浮かべて立っていた。 「生きるに値しない、生きていても苦しむだけの者達から苦痛を取り除き、その報酬として臓器の提供を受けるだけの話だ。.....私だけでは無い。『需要』は増加している」  俺は唖然とした。勇気を振り絞り、他の崔の生業をも問い詰めた。 「誘拐したり騙されて売られた若者や子供を異常性癖者の餌食にしたり、麻薬や違法薬物を売り捌くのも、その『需要』ってやつのためだとでも言うのか?!」 「その通りだ」  崔は、口許をニヤリと歪めて言った。 「人間の『欲』には際限が無い。中でも『快楽』に対する欲求は底知れない。特にセレブリティを気取る連中は貪欲で、ほんの『気晴らし』程度のモノにも気前良く大枚をはたく。私はその『需要』に答えるだけだ」 「なんだと....?!」  俺は思わず立ち上がり、崔を殴りつけてやろうと思った。.....その手を邑妹(ユイメイ)がテーブルの下で必死に抑えた。 「人殺しの道具をせっせと売りつけるよりはまだ上品だと思うがね」  崔はミハイルを揶揄して、冷ややかに俺を見下ろした。 「私は私や同胞を苦しめてきた者達に、その報いを味あわせているだけだ。私の行いは間違ってはいない。苓芳(レイファ)なら分かるハズだ」  崔の血の通わない手が俺の肩に触れた。触れられたそこから、凍りついていきそうな気がして俺は身震いした。 「俺は....そんな名前じゃない」 「すぐに分かる。レディ、君は神が私の正しさを認めて下さった証だ。私の王国の繁栄を祝して、愛しい苓芳(レイファ)をお引き合わせ下さった....」  崔はおそらくは高揚していたのだろう。だが、その声音はますます冷たく不気味に俺の耳に響いた。 ー狂ってる....ー  灼熱の太陽の下、俺は地獄の底で死神が嘲笑(わら)う凍てついたおぞましい声に身を震わせた。

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