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ミハイルside4~冬の夜~
ロシアの冬は長い。延々と降り続く雪の中、人の心も身体も凍てつき凍りつく。度数の高い喉の焼けるような強い酒を、ウォッカを煽っても温まらない冷え冷えとした心を私はずっと抱え込んできた。
あの若い日にラウルに出会い、その凍てついた私の胸に小さな火が灯った。それは小さいがとても暖かく、私の凍った心を溶かしていった。彼と遠く離れた後でもその火は消えることなく、むしろ日増しに大きくなり、私の胸を焦がした。
消せない思い、消えない焔.......彼に銃口を向けねばならなかったあの時、私は私自身をも殺す覚悟だった。彼を殺して、私も魂を殺して、凍てついた氷の人形になる覚悟をしていた。アンドロイドは涙を流さない。私は自分にそう言い聞かせてあの場に臨んだ。
だが神は私を憐れみ、私に彼をラウルを命ある温もりのある、私の最も望む姿で与えて下さった。私はあの時、初めて神の存在を信じた。
傍らに愛しい存在を抱いて眠る夜の暖かさを初めて知った。
「ラウル.....」
強気で、勇ましくて、誰よりもまっしぐらに突き進もうとする無鉄砲さも、しなやかな肢体をこの腕に抱いて口付ければ、蕩けるほどの甘い吐息に、愛らしく淫らな喘ぎに変わり、私を掻き立てる。絹のように滑らかな背に揺れる蓮の花は私を安らぎと歓喜に満ちた極楽浄土に誘ってくれる。
だが....その私の天女は、観音菩薩は、その内に深い苦しみ哀しみを抱えている。私の手の届き得ない深い深い魂の奥底に。.....もし、その傷を付けたのが、あの崔だとしたら、八つ裂きにしても飽き足りないほどに、憎い。
「ん....んぅ.....」
小さな薔薇の花弁のような唇が、苦し気に歪んで、幽かな呻き声が漏れていた。額に玉の汗が滲み、形の良い眉根が寄せられ、何かを振り払おうとしているかのようだった。細い腕が必死に私にしがみつき、私はその背を抱き締め、あやすように撫で擦る。すると...うっすらと瞼が開き、玻璃の瞳が私を見つめた。
私は思いを込めて耳許で囁いた。
「大丈夫だ......大丈夫だ、ラウル」
「ミーシャ........」
悪夢から醒めた彼は、私に縋りついていることに気付き恥ずかしそうに身を翻そうとした、
「すまん、寝惚けた」
「何を気にしてるんだ」
私は彼を一層強く抱き、心の奥底にまで届くように祈りを込めて言葉を注ぎ込む。
「私はお前の『男』だ。縋りつけ。」
彼は私の背中に手をまわし、ぎゅっと抱き締め、呟いた。
「お前は不思議な男だ。酷いのか優しいのかわからない」
私は不思議そうに私を見上げる彼の頭を優しく撫でて、言い聞かせる。
「お前を愛しているだけだ。どうしようもなく.....な」
「意味がわからない」
口をへの字に曲げる彼に私は思わず苦笑した。実に彼らしい。
「そのうち分かるさ.....」
「最近......」
ラウルは私の胸に頬を押しあて、呟くように言った。
「父さんの夢を見るようになった」
「父親の?.....趙の夢か?」
「そうじゃない......」
彼は意を決したように、絞り出すように言った。
「俺の実の父親だ.....優しい人だった。.....お前と同じ眼をしていた」
ラウルの瞳が私の目を真っ直ぐに見詰めていた。子どもが親を見つめる、その眼差しだった。
「そうか....」
私はゆっくりと彼の額に口付けを落とす。
「お前は生きてる....安心する」
切ない、やるせない呟きだった。私は彼に問うた。
「母親は?」
彼はもっと淋しそうに言った。
「覚えてない.....」
私は彼を懷にくるむように抱き、目を閉じた。雪がまた降り始めていた。
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