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ミハイルside 10~撤収~
ふたりで邑妹(ユイメイ)を担いで光の方へと進む。バックヤードの外へ踏み出すと同時にバタバタと慌ただしい足音が近づき、イリーシャの野太い声が叫ぶのが聞こえた。
「ミハイル...!小狼(シャオラァ)....!無事か?!」
「ここだ!無事だ!」
イリーシャに答える私に、ラウルはやっと微笑みかけてくれた。
「こちらへ、早く」
軍人らしい表情で指示を飛ばすイリーシャとその部下の背に邑妹(ユイメイ)を預け、私達は太陽の下に走り出た。
「引き揚げるぞ」
私が片手を上げると、ニコライが搭乗するMi -26が近づき、私の頭上でホバリングを始めた。
「急いでください」
昇降エリアからニコライが顔を覗かせて、大きく手招きした。
私はラウルを抱き抱え、下ろされた救助ロープに掴まり、ゆっくりと地上を離れた。
「帰還します」
コックピットで、ヴォロージャがにっこり笑って親指を立てた。ニコライがラウルの格好をしみじみ見て、口を少し歪めて言った。
「お似合いですね....」
「あんたは似合わねぇな、軍服」
私は思わず吹き出しそうになった。ニコライがほっとしたように眼鏡のブリッジを上げ、小さく笑った。
「ここは.....」
私は呟く彼に頬を寄せて言った。
「ゴールデン-トライアングル......崔の野望の温床だ。奴はここに野望の城を築いていた」
ラウルは遠い眼差しで風に揺れるオレンジの花畑を見つめていた。
「迎えに来てくれて、ありがとう...」
ラウルが、肩で大きく息をついて私の胸にもたれた。私は取り戻したラウルの匂いと温もりを腕に抱きしめ、万感の思いを込めて唇を重ねた。
「当たり前だ。ラウル、お前は俺の観音菩薩なんだからな......」
ラウルは胸を張る私に呆れたように溜め息をつき、そして、私を強く抱きしめた。
「指輪、壊されちまった....」
申し訳なさそうに項垂れて囁く彼に、私は心配ない、と笑った。
「私達の絆はもっと深いところにあるからな」
私達の絆は心臓の裏.......ではなく、ハートそのものにある。彼が認めなくても、私はそう確信した。
崔が最後に彼に何を言ったとしても、それはたぶん、私の手の届かないラウル-ヘイゼルシュタインの遠い過去に関わるものだ。
彼と彼の二人の父と崔と....彼らだけの知る、この土地に刻まれた物語なのだ。そして、その主役だったラウルは、今のラウルではない。
その物語は、彼らの胸の中にだけ仕舞われ、他の者に手を触れることは出来ないのだ。
私は彼方を見つめる彼を傍らに抱き、救いだした子ども達を親元に還すよう、国家に依頼した。ロシアは誰からも信頼され、尊敬される国家になるために、寛容と慈悲を示す必要がある。売春を強要されていた男女はやはり薬物を使用されていた。しばらくはダルクやシェルターでの治療とリハビリが必要だ。個人の状況においての判断が必要になる。
問題は『客』だ。お忍びで馬鹿な遊びにうつつを抜かしていた西側の政府高官や財界の重鎮をどう扱うか.....戻ったら、政府と協議しなければならない。
だが、その前に、私は私の菩薩の慈愛を確かめねばならない。救出が遅れたことを詫びて、心からの抱擁を交わすのだ。
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