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終焉 ①
「早かったな」
井上宅へと招き入れられてすぐ、廊下を歩きながら先をいく井上が話しかけてきた。
「ん……残業、早く上がれた」
「そうか」
本当は。早くなんて終わらなければよかったのに、と思った。関係を終わらせる話をしなければならないと思うと、いつもは軽い足どりも今夜だけは重かった。
「なんか飲む?」
「ああ……そしたら日本酒ある?」
「あるよ」
いつものようにリビングの床へと腰を下ろした。井上が点いていたテレビの音量を少し下げてから、キッチンへと消えていった。
相変わらず綺麗に保たれている部屋をぐるりと見回す。ここに来るのも、もしかすると最後かもしれない。
にゃあ、と声がして、井上の飼っている愛猫が顔を見せた。そろそろとこちらへ近付いてくる。この愛猫とも随分長い付き合いになる。優しく撫でてやると、嬉しそうに喉を鳴らした。
「お前と会えるのも最後かもな」
ぼそっと呟いた。
ふと、人の気配がして顔を上げると、井上が日本酒のボトルとグラスを2つ持って立っていた。何も言わずにテーブルへとそれを置くと、なんかつまみ探してくるな、と再びキッチンへと戻っていった。
聞かれたかな。
最後かもしれない、と井上の愛猫に投げた言葉。どちらにせよ、すぐに分かることだ。
再び井上が皿を手にして現れた。
「大したものがなかったんだけど」
そう言って、チーズの乗った皿をテーブルにことん、と置いた。
「いいよ、なんでも。うまそーじゃん」
「これ、もらいもののチーズ。結構高級みたいだけど」
「いいじゃん、食おうぜ」
井上が愛猫をケージに入れてから床に腰を下ろした。グラスを持ち上げると、井上も同じタイミングでグラスを持った。
「お疲れ」
「うん、お疲れ」
乾杯して、呑み始める。いつもと同じような時間が過ぎた。テレビを見ながらぽつぽつと軽く会話を交わす。
ほとんど流すように見ていたバラエティー番組が終わり、ドラマに変わった。そのタイミングで井上がトイレへと席を立った。
相変わらず浮かない気分のままぼけっとテレビに目を向けていると。テーブルの上に置きっぱなしにしてあった井上の携帯が鳴った。なんとなく、画面に目を移す。
あいつじゃん。
画面に現れた名前は、井上と親密そうに見えた例の若い社員のものだった。やはり、井上とは個人的に連絡を取る仲だったらしい。
なんとなく、井上に尋ねてみたくなった。トイレから戻ってきた井上が隣に座るのを待ってから口を開いた。
「なあ」
「んー?」
「お前、今、男いる?」
「……なんで?」
「聞いてみたくなっただけだけど……嫌ならいいよ、答えなくて」
井上は少し困惑した顔をしていた。そりゃそうだろう。今まで、お互いの相手の話などしたこともなかったのだし。聞かれるとは思っていなかったのだろう。
「……今、いないけど」
「……そうなの?」
「ん。もう結構長いこといない」
「え……だけど……」
桜井が先ほど鳴っていた井上の携帯に目を向けた。井上がその桜井の視線を追って、携帯を見たのが分かった。怪訝な顔をしつつも井上が携帯を手にして画面を確認した。あ、という顔をして画面を見つめている。
「……そいつと付き合ってんじゃないの?」
「…………」
井上が訝しげな顔で桜井を見た。ああ、と桜井は説明を加える。
「この前、見かけてさ、会社の廊下で。お前と2人でいるとこ。普通の雰囲気じゃなかったから」
そう言うと、井上は少し考えるような仕草をした後、こちらを見た。
「いつのことか思い出せないけど……こいつとはなんにもないよ。ただの友達」
「そうなんだ」
「うん。誘われたけど、断った」
「……なんで?」
「……まあ……若すぎたな」
「そいつ何歳?」
「25とかだろ。さすがに10歳近く年下だとな」
「ああ、まあ、分かる気はする」
「お前も知ってると思うけど、俺、今、仕事で結構いっぱいいっぱいだし。満足に会うこともできないだろうし。こんな俺に付き合わせるのも悪いしさ。そう思ったら、作るの自体面倒になっちゃって」
「……そうか」
俺とは定期的に会ってるじゃん、という心の声は出さずにおいた。
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