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たんすのおんなとはこびやかぎょう:04
夜のファミレスがこんだけ似合う奴もあんまいないよなぁ、と思う。
「…………胃もたれしない?」
ズラァっとテーブルいっぱいに並んだ料理の数々に若干どころかかなり引きつつ、ここがファミレスでほんと良かったと思う。いや、別に驕るわ! とか言ってここまで来たわけじゃないけど、いざ店を出る時に金持ってないですなんて言われてトホホ、なんてことになってもとりあえずは払えそうでよかったとか思ってる自分がなんだか情けなくてしんどかった。
俺の言葉に細くて長い首をかくん、と傾げる男はフォークを銜えてもぐもぐしたままで、そういうのは可愛い女子で頼む、チェンジで頼む、と思わずにはいられない。
「ああ……ええと、流石に全部は食べれないんで残しちゃうかと思うんですけど……つい、あれもこれもと試してみたくなって……あ。ボクの、箸がついているのが嫌じゃなければですけど、メイシューさんも、食べてくださって良いです。支払いはボクが全部、持ちますので……」
「いやー俺見てるだけでおなか一杯だわー……会社出る前にちょこっと食ってきたし」
本当に見ているだけでげんなりしそうだ。料理もそうだけど、まず夜のファミレスに怪しい男と二人でメシ、という状況がもうげんなりの第一理由に違いない。
完全に身体ごと後ろに引いている俺に対し、対面に座ってゆっくりもぐもぐと飯を食う男は、第一インパクトよりもいっそう奇抜な様相をファミレスの照明の下に晒していた。
刈安キイロです、と丁寧に頭を下げたおにーさんは、何よその漫画みたいな名前(笑)なんて言えないくらいには漫画みたいな外見をしていた。漫画っていうか中二病の敵キャラだ。
蹲っていた時はわからなかったが、立ったら滅茶苦茶デカかった。その上服装は真っ黒で、まあでもパンク系っていうかV系バンド系っていうか、そっち系は大体黒だし細身の服はダサくはないし、フード付きのサマーコートもちょっとカッコいい。それはいい。服はいい。問題はちょっと目を引く赤黄色い長髪と、右半面から首にかけてがっつり入っている入れ墨らしきお絵かきだった。
トライバルってのとタトゥーの区別がつかないんだけど、一緒なのどうなの? 知らんけどでも痛いんでしょそれ肌傷つけて直で色いれてんでしょってのはしってるよ俺だってさ。痛いアートを好んで身体にぶち込むなんてどMか変態か変人かどれかだって俺の中の偏見が叫んでいた。
どうみてもお触り禁止のおにーさんだ。
見た目は完全にイッちゃってるチンピラなのに、頭が座っていないのかどうもふらふらしているように見える。その上、あの黄色い傘だ。そらもう、どっからどう見ても、なんかもういろんな意味でやばい。
いろんな意味でやばいし絶対に関わり合いになりたくない。ないけど、やはり俺は、好奇心とほんのちょっとの打算的感情に負けて結局ファミレスで珈琲を啜っているわけだ。
……だって思い出したんだもの。
この人アレだ。マスクしてなかったから気が付かなかったけど、アレだ。霊能者の奥襟さんの事務所にいた人だ。
それに気がついちゃったらもう、っつーことは除霊とかって割とマジな話なのかなって思ってしまってずるずると、サヨナラするタイミングを失った。
どうやらキイロ氏は俺を助けるつもりで、箪笥幽霊の件に首を突っ込みたい、らしい。けれど俺は箪笥幽霊なんてわりとどうでもよくて、あわよくばというかこの人が本物なら、別件というか桑名木ノ下夫妻が延々悩み続けている例のアパートの件に関して相談させてもらえるのかもーなんて考えていた。
「刈安さんは、あのー……霊感ある人なの?」
なんか喋らないとーと思ったものの、俺の口から出たのはなんとも朴訥とした馬鹿っぽい言葉だった。それでも真面目に口を開いてくれるから、キイロたんは基本的には良い人なのかもしれない。見た目はとんでもねーけどマジで。
「そう、ですね……幽霊というものを、見る事が霊感なら、ボクの霊感はゼロだけれど。それを排除したりすることはできるし、それが、どこにいるのかもなんとなく、わかります」
「へーぇ。見るんじゃないなら、聞こえるとか、感じるとか、そういうの?」
「いえ。……ボクの場合は、味、です」
「…………あじ?」
わりと予想外の言葉だった。思わず、本気で聴く体勢を取ってしまう。ほんのちょっと乗り出した俺の身体から逃れるように、キイロたんはちょっとだけ背を伸ばす。三白眼で目つきはめちゃくちゃ悪いのに、青い顔とおどおどとした視線でなんだか色々台無しだった。
「ええと、そう、味です。……霊媒体質、っていう奴なんじゃないかって、エリちゃ……奥襟、さんは言っていました。ボクの身体の中に、そいつらは入って来ようとするんです。その時に、酷い味を感じる。吐きそうなくらいに酷い味です。腐ったような、ごみのような匂いと味。そのままにしていると、ボクの中がどんどん酷い味になって、どんどん、浸食される感じがするので……だから僕は、吐きます」
「え。入って来た幽霊を吐き出す、ってーこと?」
「はい。吐きます。食べて、吐く、みたいな感じです。好きで、食べている訳じゃないですけど。だからなんというか、ボクは目で見えたり肌で感じたりはしないんですけど、食べて移動して吐くことで、幽霊を排除できます。だから、それを商売にしています。……他に、何もできることがない、だけなんですが」
うーん、と唸りつつも、まあ理屈は通ってるなーと思う。霊感ってやつは割合あやふやで、幽霊ってやつの存在も割合あやふやだ。俺はたまにそういう存在を目で確認しちゃうけど、例えばそれがいつどこで死んだ何々さんだ、とかわからないし、なんならはっきり見えすぎて生きているのか死んでいるのかもよくわからない。要するに感じる系の人じゃないし、わかっちゃう系の人でもない。
だから『心霊写真を見ただけで霊の無念がわかってしまう』みたいなテレビでよく見る霊能者さんよりも、刈安キイロの話は理解しやすいというか、納得しやすいものだった。
見るだけの俺みたいな奴がいれば、味がわかるだけみたいな奴がいてもいいと思う。なかなか新しいパターンではあるけど。
「はー。まあ、幽霊食って吐く事で除霊するぜ、って話は理解できたけど。そんでまあ、刈安さんが細川夫妻の箪笥幽霊を退治できるぜ、って話も理解できたけど。退治の見返りに俺と飯食いたい理由って何よ。ちょっと正直何がどう飯につながるのかさっぱりわからないんだけど」
「あー……」
シーザーサラダをゆっくりと食っていたキイロたんが、首をすくめてほんの少し思案する。言葉を選ぶときに斜め上を見る癖があるらしい。三白眼が際立ってなかなかに怖い。でもなんか猫背でなで肩だからちょっと迫力がない。ほんとつくづく残念だなこの人は。なんだか不憫になってきた。
しかし本当に不憫なのは、この先の話の方だった。
エビピラフに手を付けながら、キイロたんは間違いがないか確認するような緩慢な言葉遣いで、少しずつ話し始めた。
「……幽霊が、すごく、というか、かなりおいしくない味がする、っていうのは、今、言いましたよね」
「あー。まあ、なんかそうだろうなって感じはするよーねー。すごく甘いんです! とか言われたら逆にこええわな。ゲロみたいにまずいっていわれりゃそりゃそうだろうなと思いますよ。霊の出る場所って臭いってきくし」
「そう。ええと、臭いし、不味いんです。味って、たぶん、すごく匂いに左右されているから。それで、ええと……生霊、とかあるじゃないですか。呪いとか。恨む気持ちとか。そういうのも、霊障で、でも死んだ人の幽霊とかが原因じゃないわけで……なんていうか、うーんと、つまり……生きている人にも、味が、あるんです」
「え、生きてる人間の魂も身体の中に入ってくんの?」
「吐き出さなきゃいけない程、入ってくることはないです。なんていうか、魂っていうか……オーラ? みたいな……たぶん、その人の、気とか、そういうものなんじゃないかなってボクは、理解しています。もしかしたら守護霊とか、憑いている霊とかの、影響なのかもしれないけれど。とにかく普通に生活している普通の人たちにも、ボクの味覚は影響されるみたいで。人と触れ合う度に、その人の味が、ボクの口の中に満ちる」
「……それって、まさか、おいしくない?」
「おいしく、ないです。何を食べても、そこに誰かがいるだけで、そこに霊がいるだけで、ボクの味覚は強制的に吐きそうな味を拾い上げるんです。すごく不味くて強制的な調味料みたいな、感じです」
いつでも、どこでも、何を食べても不味い。この狭い日本で、誰も居らず何もない場所なんてそうそうない事は、馬鹿な俺にだって想像できた。
思わず自分の口元に手を当ててしまう。珈琲の苦みを感じているこの舌が今、腐った泥のような臭いと味を感じたら、と思うと自然と眉間に力が入る。
そして次に俺が見たのはそれなりに人が入っているファミレスの様子と、目の前に並んだ料理の数々だった。
「………………え。じゃあこれ全部今不味いの? めっちゃ吐きそうはんぱねーとか思いながら食っちゃってんの? キイロたんどMなの?」
「きいろたん……あ、いや、違います。すいません、ええと、ボクは説明が下手で申し訳ないです。その、つまり、人には霊と同じように味があって、それは、常にボクに影響して、大概というかほとんどは、ものすごく不味い調味料みたいな人ばかりなんですけど。時々。おいしい調味料みたいな人も、存在するんです。……つまり、それが、メイシューさん、です」
「うん。うん? 選ばれた? 希少種的な? つまり俺って選ばれし調味料? ……うーん、ファンタジー」
「……ですよね。ボクも、そう思う」
でも、本当においしいんです。
そう言ってキイロたんはパンケーキを一口齧り、感極まった震える声で甘い、と呟いた。
嘘だとしたら割と無茶苦茶な設定だ。普通に実は僕は霊感があって恐山で修行したイタコですとかなんとか適当にそれっぽい事言った方がまだマシと言う感じだし、じゃあ本当なのかって言ったらうーん味覚なんてそれこそ他人が共感できるもんじゃないしわからない。
わからないから後は信じるか信じないかの二択だ。事実かどうかより大事なことだ。
そんで俺はなんか色々ぐるぐる考えた結果、信じるという選択肢を選んだ。
若干面倒くさくなったことも否めない。ていうかまあ見た目ものすっげファンキーだけどキイロたん喋ってみたら割となよいし、ちゃんと意思疎通できるし、まあ世の中変人はいっぱいいるけど人畜無害っぽい変人って貴重じゃん? みたいなよくわかんないテンションで俺は、とりあえずこの黒くて黄色い男を信用しちゃおうって決めてしまった。
軽率な自分が嫌いじゃない。世の中大体ノリとテンションだ。
「オッケーなんか事情は大体理解した。つまりキイロたんは、たまたま出会った俺がオイシイ調味料だという事に気が付き、俺のストーキングをし、俺の力になれそうな心霊案件見つけたから解決する代わりに調味料としてご飯食べる時に横に居てくれ、ってーいう提案をしている、っつーことでFA?」
「……整理されるとなんか……ボクもしかしてものすごく迷惑な事をしているんじゃ……みたいな……気分に……」
「いや迷惑っつーか行動力すげーなって感じよ。でもさー、確かに味覚って大変じゃん。だって食わなきゃ生きていけないじゃん。生きていくために必要な行為に苦痛がセットになってるとかそれやばいじゃん何食っても不味いとか、想像しただけでとんでもねーわ。そらリーマン一人くらいはストーキングもしちゃうわ」
「ほんとすいません…………」
うーん恥じ入る様は割といいぞキイロたん。
たぶん、必死すぎて周りが見えてなかったんだなぁと思うし。俺が実際そういう状況なら、もうちょっと死に物狂いで相手を脅迫して監禁してたかもしれないし、多分キイロたんは優しいんだろーなーなんて思っちゃう。ちょっと俺は、このなよっとした可哀そうなファンキー男に、同情しちゃっているのかもしれない。
「まーまーイイヨ。別に、一緒に飯食うくらいは、って思うけど、ほんとにマジで今の話が真実じゃなかった場合は流石に一体どんな目的で? とか邪推しちゃうしさぁー、細川さんちの箪笥の件を解決してくれたら、ご飯の件オッケーだしましょ、みたいなこずるい感じでも、キイロたん怒らない?」
「あ、はい。勿論、そちらはお手伝いする、つもりでした。お困りのようでしたので……」
「でも幽霊とエンカウントするとキイロたん吐いちゃうんじゃね? しんどくね? 大丈夫なん?」
「仕事でも、同じ事を、しているので……ちょっとは、慣れました。そういうものだ、と思って覚悟をしていれば、ある程度は仕方ないかな、と思うので……他に、僕ができる仕事なんて、ありませんから」
うーん確かに。人と接触すると吐き気がするとかそれもうあれだよな、接客業はアウトだし、人がいなくても状況次第では吐いちゃうのはどうしようもねえなと思う。最早持病みたいなもんだ。大体ずっと気持ち悪いし大概吐きそうな状態の人間を、雇用する会社はまあ、あんま無いだろうなぁと思う。健康になってから出直してきてね? と思うのが普通だろう。
幽霊を食って吐く仕事。それがどんなに苦痛を伴うものでも、刈安キイロはそれ以外の職業を選択できないのだろう。
ゆっくりと満遍なく机の上に並べられた飯を食うキイロたんにバレないように息を吐き、ちょっと湿った感情は珈琲と一緒に飲み込んだ。
「……キイロたん」
「はい。何、ですか?」
「俺もなんか腹へったわ。フレンチトーストちょっと分けて」
いいですよ、と言われる前に手を出して、しっとりとシロップで濡れたパンにフォークを突き刺した。ちょっと切なくなっちゃったから甘いもので誤魔化しちゃおう作戦だ。メープルシロップって奴は独特のあまい匂いがする。
疲れたからしょっぱいもの食いたいだとか。
泣きそうだから甘いの食っちゃおうだとか。
あー、そういうのも、こいつには難しい事なのかと思ったらまたちょっと無駄にしんみりしそうになって困った。
若干しんみりフレンチトースト齧っていると、ふと思い出したようにキイロは三白眼をこちらに向ける。
「箪笥、といえば……あのご夫婦のお宅には、猫、いますか?」
「は? 猫? ……あーどうだったかな。いたかな。いやでも細川さんちの息子さんが猫アレルギーだとかそんな事言ってたような気がしないでもないし、いないんじゃないかなぁ。あの辺密集してる住宅地でペットとか飼うの面倒そうだし」
「……そう、ですか」
猫がどうしたのか、と訊いてもいいものか迷っているうちに、キイロはほとんどの飯を食い終えてしまった。結局ほぼ食ってやがる。痩せの大食いなのか、それとも無理して食ったのか、俺にはわからない。
「全部食うつもりはなかったんじゃないの?」
「……でも、おいしかったから」
そんな事言ってちょっとだけ口の端持ち上げて笑うもんだから、不憫萌が限界点超えて俺ってば目頭押さえて崩れ落ちてしまった。
いやいや違う別にほだされてなんかいないし同情もしていないしなんならまだ話半分だけど。全部事実なら、こいつの不幸ってとんでもないんじゃないの神様、なんて、祈ったこともない神様にほんのちょっと暴言吐いた。
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