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たんすのおんなとはこびやかぎょう:05
からころと、コートのポケットで音が鳴る。
ボクは少し忘れっぽくて、いつも意識が散漫としているから、音がして初めてそうだ飴だと気が付く。本当はずっと口の中に入れておくべきなのに、どうしても、音がしないと忘れてしまう。
丸い缶の中から取り出した黄色い飴を、マスクをずらして放り込んで、そして隣を歩く人の視線に気が付く。
「それ、飴? なんか不思議なアイテムだったりすんの? その飴の味だけはわかるーとか?」
他人とこんなに近づいて歩く、なんて久しぶり、というか、もしかしたら初めてかもしれない。エリちゃんはボクには無くてはならない人だったけれど、二人で外出したりはしなかった。彼女は忙しかったし、ボクは移動というものを極端に嫌った。
「いや……別に、特別でもない、普通の飴です。今はすごく甘くて酸っぱい味がしますけど、いつもは、味なんてうっすらと甘ければマシで、外に出ると大概は腐った生ごみみたいな味になります。でも、何かを口に入れていれば、もし何かがボクに入りそうになった時に、先に味で気が付く事ができるから」
「あー。なるほど。レーダーみたいな感じ? 探知機っつーか」
「そう、ですね。それに近いかもしれない、です。でも今は、たぶん、普通の飴の味です」
甘酸っぱい飴をころころと、口の中で転がす。檸檬の匂いが爽やかで嬉しくなる。この人の周りは本当においしい。力みたいなものも、きっと強い。こんなに他人がいる場所でも、この人が隣に居るだけでボクの舌はきちんと甘さを感じる。
別に何味でもいいのだけれど、キイくんはやっぱり黄色がいいと言ったのはエリちゃんで、ボクは何の疑問もなくレモンキャンディーを買った。今でも、同じ飴を買い続けている。味なんてほとんど感じないのだけれど、やっぱりボクには黄色が良いと思った。
ボクが初めて自分で決めたものが、今の住居と、そして今の名前だった。黄色はボクを他人から守る、警戒色だから。
からころ、ポケットの中で黄色い飴が音を立てる。
ひとつちょーだい、と言われて何のことかわからずボクはしばらく固まってしまって、ああそうか飴かと慌てて缶を開いたから、数個零しそうになってメイシューさんが、三個くらいキャッチしてくれた。
苦笑い。ああ、ボクは、他人からそんな風に気安く笑いかけられた経験があまりないから、またびっくりしてしまって、缶ごと落としそうになってしまう。
「キーたんはアレねー見た目よりオッチョコチョイネー」
「……きーたん……………」
「あ、ご不快? なんか別のあだ名考える? つか奥襟さんにはなんて呼ばれてたのよわりと仲良しだった感あるけど」
「エリちゃん、には……キイくん、と」
「ふーん。仲良しじゃーん。もしかして恋人だった?」
「あ、いえ。彼女は、既婚者でしたから。そうでなくても、ボクと彼女はたぶん、そういう関係じゃないです」
じゃあどういう関係か、と改めて考えてもよくわからなくて、言葉にするには難しい。メイシューさんはそれ以上訊いてくることはなく、ふらふらと歩きながら軽やかに笑った。
とても軽やかに笑う人だと思う。重い感情ばかりを目にするボクは、この人のからりと乾いた表情が、とても不思議に見える。
「キーくんって感じするなーわかるわかるー。じゃあ俺はキーちゃんって呼ぼうかなーなんかキョロちゃんみたいだなーイエローさんとかでもいいよなー迷うよなー。でもやっぱ、キーちゃんかなー」
なんかかわいいし、と笑う。彼の、かわいい、という言葉の主語が、言葉の響きなのか、言葉自体なのか、それとも別の何かなのか分からなかったけれど、ボクは首を捻りながらレモン味の甘さを感じることで精いっぱいだった。
からころと、コートの中で飴が鳴る。からからと、不思議な軽やかさで、隣の人が笑うのが、とても不思議だった。
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