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たんすのおんなとはこびやかぎょう:06

 遠目に見ても近場で見てもキーちゃんはやっぱ見るからにナイス不審者だわうははと笑う。 「いやー、吹っ切れるとアレだな、お前の隣歩くのたのしーな。みんなサァっと引いてくのなーすげーすげー。モーゼじゃん。モーゼ・刈安じゃん」 「あの……リングネームみたいに言うの、ちょっと嫌です……道ができるのは、わかりますけど」 「でもこれって意図的だろ? まー確かにさっぱり晴れてる初秋の日に目に痛い黄色い傘さした長身の入れ墨男なんてお触り禁止だわな」  モーゼ気分を存分に味わいながら俺たちが訪れた細川家でも、やっぱりこう、微妙な顔で迎えられた。まあでも心霊現象解決しますーなんて人は、ちょっと奇抜でやばそうなくらいが信ぴょう性あるのかもしれない。  あなたの家の霊障解決します! と言ってバーンと登場したのがそこらへんで買いものしてそうな普通の主婦だとか、頭の薄い普通のリーマンだとやっぱ、『え、この人大丈夫? ほんと霊感とかあるの?』と思うだろう。ちょっとマント羽織ったらもうファンタジーの黒魔術師じゃない? みたいな外見のキイロの方が確かに異世界観はある。リーマンよりは強そうだ。見た目だけのイメージだけど。 「……ところでキーちゃん、俺が同行してて業務妨害になったりしねーの?」  出された二人分のお茶を飲みながら、俺はきっちりとした正座を保つ。寺生まれ故に、長時間の正座は慣れたものだ。隣のキイロもまあまあ背は曲がっているものの、ちゃんと足をケツの下に敷いているえらい。こいつのこういう、地味に礼儀を守るみたいなところは割と好感が持てると思う。見た目のアバンギャルド感が根の真面目さを全てぶち壊しているけれども。まあ、アバンギャルドな外見貫かないといけない人生なんだろうから、深く突っ込む事はせずに単純な疑問を投げかけた。 「はあ、まあ、確かにメイシューさんは、すごくおいしい調味料さんなんですが……霊が入ってくるのとは、また別口なので。むしろ、他の生きている人の干渉を受けにくくなるので、メイシューさんが居てくれるととてもボクが安定します」  そういうもんなのかーなんて適当に相槌を打っているところで、細川夫人が若干暗い顔でどうぞ、と声をかけてきた。どうやら件の箪笥がある奥の間に案内してくれるようだ。  外はからりと晴れているのに、細川家の廊下はなぜか薄暗くじっとりと湿っている。さっきからずっと不思議な臭いがしているんだけど、カビかもしれない。欠陥住宅か、さもなくば、別の要因があるのか。  廊下の途中で、ふと隣のキイロが呟いた。 「……ねこ」  何、と尋ねる前に、キイロはさっさと先に進んでしまう。俺が足を止めた場所にはドアがあって、そこには『みちお』というプレートが掛かっていた。息子さんの名前、みちお君だっけか。よく、覚えていないけれど。 「こちらです。あの……主人は今日、仕事で不在なんですが……もし、廃棄した方がいいのならば、それでも良いと言伝されています」 「え。いいんですか? だって捨てたくない大事な箪笥なんじゃ?」 「いえ……あの、実は先日は、リサイクルショップで買った、と説明してしまったんですが……本当は、主人の実家からもらってきたんです。その……義姉が、亡くなって。義姉にはよく息子を預かってもらっていてお世話にもなりましたし、形見のようなものですから、あまり大っぴらに捨てるのも、と、思っていたんですが。……とにかく、最近はおかしなことが、ひどくなっていて」  おいおいじゃあキイロやら俺やらに頼まずにさっさと捨てりゃあいいじゃん? と思うのに、細川夫妻にはその勇気がないらしい。  とにかくまずは専門家に相談して、その指示を仰ぎたいのだろう。霊能者が捨てなさいと言えば捨てる踏ん切りがつく。捨てた後に何か不都合があっても、霊能者がそう言ったのだからと思えば自分たちに責任はない。そこまで屑な思考回路かは知らんがしかし、俺からしてみればそういう風に見える。  檀家さんじゃなけりゃ今すぐ急用思い出しましたぁっつって帰りたいところだった。胸糞悪い。悪気のない人間の配慮かけた行動ってやつは結構心に来るもんだ。  しかし、当のキイロは細川夫人の配慮の無い言葉なんて気にした風もなく、というか耳にすら入っていない様子で奥の部屋の隅を凝視していた。  箪笥だ。じっとりとした暗い部屋の隅にあるそれは、前情報のせいかひどく禍々しいもののように見えてしまう。古くて、煤けたような色合いで、ところどころ染みのようなものがある。  箪笥の引き出しの中にみっしりと幽霊が詰まっている――。  そんな事を聞かされていなければ、ただの古い箪笥だったのかもしれない。人間の脳みそってやつは、割合感情に左右される。 「……メイシューさん」 「え。何? つかお前だいじょう、ぶっじゃねーじゃん汗やっばいじゃんちょ、息吸え息! 死ぬ! キーちゃん死ぬ!」 「死にません、けど、手、つないでください。あと、扉、閉めて。他の人がいると、ボクが、干渉を受ける」  慌ててご夫人を追い出して終わったら声かけまーすと喚いた俺は引き戸をぴしゃりと閉めた。顔面蒼白でマスクの上から口を押えるキイロはどう見てもやばい。  こんなに顕著に異変が出るものなのか。こんなにしんどいものなのか。……コイツ普段まじどうやって生きてんだ、とどうでもいい事で心配になるのは俺流の現実逃避かもしれない。  細くて骨っぽくてでかいのに冷たい手を握る。普通に握っただけじゃ心もとなくてなんかこうたくさん触れる面積あったほうが効果高いんじゃないかというわけわかんないテンパりっぷりを発揮した俺は、恋人みたいに指を絡ませてぎゅっぎゅとその手を握ってしまった。今思えば『ねーよ』と思う。それなりの年の男二人が冷汗かきながら恋人繋ぎってどういう状況だよって自分でも思う。けれど、割と笑えない。  箪笥の横に女が立っていた。  眼球がなく、真っ黒に落ちくぼんだ両目の位置には暗い穴があるだけだ。髪の毛はぼさぼさで、べったりと脂で汚れているように見える。歯もない、と思う。大きく開けた口の中には舌さえもなく、両目の穴と同じように暗い空間が広がっているだけだった。 「……引き出しの中に、いるんじゃないのかよ……」  開けなくてもいるじゃん。出てんじゃん。めっちゃ出てきてるじゃん。  思わず後退りそうになる俺の手を握ったまま、キイロは視線だけをこちらに寄越した。 「メイシューさんは、見えるんですね……ボクは、だめです。目が悪いみたいで。すごく臭くて不味いものが、そこに居るっぽいのは、わかるんですけど」 「いや見えない方が良いあんなんマジトラウマにな、うっわ揺れ出した揺れ出したなんか左右に頭揺れ出したこっわ……! なにあれこっわ! ちょ、つうか近づいてきてる動いてないのに近づいてきてる……!」 「ボクの中に入る気だと思います。ボクも食べれないと吐けないし、除霊にならないので、近寄ってくれて構わないんですが。メイシューさん、あの……猫、どこかにいますか?」 「は? 猫? お前さっきからなんだよねこねこってそんなもん、この家には――」 「じゃあ、もういないのかな、猫」  それなら、いいかと呟いた後、キイロは空いている方の手でマスクをずらし、その後俺の視界を手のひらで塞いだ。 「ちょ、何す、」 「……あんまり、きれいじゃないから。ボクが、何かを食べるところ。吐くのも、綺麗じゃないけど。本当は誰かと一緒に、こういうことをするのは初めてなんです。いつもボクは、見えないからすごく怖い。でも、今日は、メイシューさんがいるからかな。少しだけ、怖くない感じが、します」  耳元で、冷たい空気のようなものが『ふふ』と笑う。たぶん、箪笥の女の声なんだろう。古くて気持ち悪くてぞわぞわしてむかつく感じのものすごく嫌な声と息だ。カビが生えた排水溝から吹き上がる風みたいな。生理的にぞわっとする息だ。  こんなもんを身体の中に入れて、こんなもんを口から吐くとかあたまおかしいよお前なんでそんな事しなきゃいけないんだよなんか適当に病院かどっか駆け込んで個室かなんかで暮らせないのかよと口から吐き出す前に、ちょっとぞくりとするくらい掠れた声が隣から聞こえた。  視界を遮られると、音はダイレクトに耳に響く。 「……食べる事しかできなくて、ごめんね」  それはどうやら、キイロ流の『いただきます』の言葉らしかった。

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