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たんすのおんなとはこびやかぎょう:08

 ぎゅっぎゅ、と埋めた土の上に何度も足を乗せて踏み固め、汚れた手をパンパンと払ってからやっと一息つくことができた。 「……っはー……あーびっくりしたマジ割とナマモノっていうかリアルな感じで出てくるのなぁお前の胃の中から……つかもうちょっと気ぃ使って細切れになってくれないのかよアレ……いやそうしたら味がより一層リアルになっちゃうの、か?」  キイロ自ら持参していたタオルを渡してやると、しばらくタオルに顔を埋めていた男は顔洗ってきます、とよろよろと立ち上がり、数分後にまたよろよろと青ざめた顔で帰って来た。  細川家を訪れてから一時間は経っている筈だった。箪笥の前で目隠しをされ、それが取れた時にはもう、そこにはゆらゆらと左右に揺れる口を開けた女はいなかった。代わりに、ひどい顔色で蹲るキイロが残されていた。  先に段取りをふんわり聞いていて本当によかったと思った。俺ってば働く社会人の鏡のような男だ。寝坊と遅刻さえしなければ、とよく桑名に言われるけど、寝坊と遅刻を差し引いても褒められて然るべきだと思うよマジで。  幽霊を『食べて』完全にノックダウンしているキイロを担ぐように外に引きずりだし、迅速にタクシーを呼び、怪訝な顔の運転手に告げた先は俺も知らない神社の名前だった。知らない訳だ。付いた先は鬱蒼とした森林で、当の神社はすっかり廃墟と化していた。  真っ青な顔のキイロを連れた俺は、一体どういう人間だと思われたのかわからないのが怖い。まるで死体を捨てに行く人間を見るような目で見られたけど、都市伝説になんないといいなぁうははと思うだけで精いっぱいだ。今はタクシーの運ちゃんの怪訝な視線などどうでもいい。  タクシーから降りたキイロはふらふらとしながらも、どうにか一人で歩き、ゾンビのような足取りで地面に膝をつくと、でこぼことへこんだ土に思い切り何かを吐き出した。  よく見れば、ところどころ地面がへこんでいる。というか、掘り起こした痕がある。そのくぼみに、キイロが吐き出したのはどうみても肉塊で、それはとんでもなくどろどろに腐って溶けている人間にしか見えなくて、流石のスプラッタホラー光景に流石に茫然としてしまった――のだけれどぼうっとしている場合じゃねえと思ってすぐに背中を摩った。  だって可哀そうだろうこんなん。普通に食った粥を吐くときだってしんどいのに、肉の塊が喉を逆流してくるしんどさなんて想像もできない。  とりあえず見るも無残なお肉の塊たちに土をかぶせ、何事もなかったかのように埋め立てた。  吐ききってその辺の湧き水で顔を洗ったらしいキイロは、ふらっと錆びたベンチに腰を落とした。たぶん、不法投棄じゃないのかなーという感じの、明らかに場違いな清涼飲料水のペイント入りのベンチだった。 「…………ありがとう、ございます……メイシューさんが、いてくれると、やっぱりボクは、安定、するみたいです。猫も、……いなかったみたいだし」 「なあその猫って何よ。そういやこの前から猫がどうとか言ってたよな?」  思い返せば最初に一緒に飯食ったファミレスでも、キイロはあの家には猫がいるのかと尋ねていた。今日だって俺は猫の鳴き声なんて聞いてないし、そういうものがいる気配も感じなかった。少なくとも目に見えているところに、猫というキーワードはなかった筈だ。  俺が怪訝な顔をしていると、キイロはタオルで押さえた顔の合間に手を突っ込み、口の中から何かを出した。 「……なんだよそれ」  キイロの手に吐き出されたものは、たぶん、動物の毛だった。猫、という言葉がひどく嫌な響きを持って、俺の頭に蘇る。 「昔、犬を吐いた事が、あります。猫も。これ、たぶん、猫の毛です。……初めて、メイシューさんのお家に行ったとき、ボクが側溝で吐いていたのは、猫の毛です。あのご夫婦に近づくと、胃の奥から猫の毛が湧き出てくる」 「え、あの家で猫が、死んでるってこと? いやでもそりゃ、飼い猫が死んだとかならあり得る話じゃ……」 「五匹」 「……は?」 「最低、五匹は、死んでいます。たぶん。味が、違うから、わかります。あとボクはあんまり、感じる系の人じゃないから、断言はできないけど……箪笥の幽霊さんは、元々箪笥に憑いているものじゃなくて……箪笥に、呼び寄せられたものじゃないかな、と思います。すぐに剥がれた、感じがした。場所とか、モノに執着している人たちは、食べきるのが、すごく大変なんです。抵抗するから……」 「箪笥のところにいた女の幽霊は、箪笥が原因じゃない?」 「たぶん……猫、じゃないかな……すごくたくさんの猫が死んでいるような気がします。あの箪笥、下の段に大きなシミがありましたよね。あれ、猫の血じゃないかな。……誰が殺したのかわからないけど、誰かが、猫をあの箪笥に、いっぱい押し込めて殺したのかもしれない。死体を詰め込んだだけかもしれないけれど。猫は、恨むし、祟るから、怖いし嫌なんです」  みちおの部屋のドアが思い浮かぶ。あそこを通る時に、キイロは『猫』と呟いた。口の中に、猫の毛が湧いて出たのかもしれない。そうすると、猫を殺した人間というのは、まさか。  義姉には息子がお世話になっていて、と言っていた細川夫人の声まで思い出してしまい、嫌な妄想が広がってしまう。 「あー……それってつまり、今回の除霊じゃ解決してないってこと? 今キーちゃんが食って吐いたあの女は元凶じゃないから、結局箪笥捨てないと駄目ってわけか?」 「……どうかな。ボクの推測でしかないですが、その可能性が高いとは思います。捨てても、因果が、あの家の人にある限り、もしかしたら意味ないのかも……何にしても、ボクには殺された猫の気持ちも、あの箪笥に憑いていたらしい女の人の気持ちも、訴えも、わからないし、聞こえないから」  食べて吐くことしかできない、と、キイロは肩を落として一呼吸置いた。これ以上は、妄想で補完するしかないだろうし、正直俺は細川家の事情には首を突っ込みたくない。一応除霊のお手伝いはしたし、更に何か不都合があるなら箪笥捨ててもらうしかないだろう。考えても、推理しても仕方がない。見るだけの俺と、食って吐くだけのキイロじゃ、真相も何も、霊の未練も訴えも、結局何も解決することなどできない。  気持ちを切り替えるしかない。ちらちらと頭にこびりついて離れない細川夫妻の顔を振り切るように、現実的な質問に逃げた。 「つかいつも一人でこんなとこまで来て吐いてんの? まじで?」 「……ボクは、原因をたどって成仏させる、みたいな、そういう因果解消系の除霊はできないので……そもそも、原因とかわからないし、幽霊が見えるわけでもないし。そこにあるのものを食べて吐いて移動させることしかできないんです。だから、除霊目的で吐く時は、できればもうそこから吐いたものが移動できないような場所に、吐きます。ボクも詳しくはないんですが、結界、みたいな、ものかな……ここは昔、多分貝塚とか、首塚だったような、場所だと思います。出れないような結界がある、らしい」 「あー。昔の人の作った結界ってこと? まあ、そういうのあるんだろうなとは思うけど、つか除霊目的で吐く時って言い方なんだよ、除霊目的じゃなくて吐く事なんかあんのか」 「あ、はい。そうか、ボクは、きちんと名乗っていませんでしたね」  そう言ってキイロはしばらくコートのポケットをくまなく漁り、あったと声を上げて少し角の折れた名刺サイズの紙を差し出した。  それは角の折れた名刺サイズの紙じゃなくて、事実ちゃんとした名刺だった。角は折れてたけど。 「……運び屋FOX……え、なにこれ名前かっけーけど、まさかこのFOXっての、キイロたんで、運ぶのって、えーと……幽霊?」 「はい。任意の場所に、幽霊を運びます。まあ、食べて、移動して、吐くだけなんですけど」 「まあ、そりゃ、単純に言ったら運ぶって感覚になんのかもしんないけど、あー……いや、そっか、他に、仕事できる体質じゃねーもんなぁ」  それにしたって食って吐く、という動作を間近で見た俺としては、アレを『運ぶ』だなんて単純な作業だとは思えない。  でも、じゃあキイロに他の仕事斡旋できるかと言えば、思い浮かぶ道は無かった。納得しきれないし、どうにかなんねーのかなーって、思うけど。  空を見上げて息を吐く。秋晴れがむかつく程爽やかだ。ぐったりとしているキイロの横に腰を下ろし、俺はもらった名刺を財布の中にしまって、ついでのようにいつも三枚くらいは持ち歩いている自分の名刺を取り出した。 「キーちゃん、ペンある?」 「……ペン……持ってたと思います、けど、あー、あった、ありました」 「ん。それちょっとおにーさんに貸してちょーだい」  なんか、キーちゃんのコートわりと何でも入ってるな……。ペン取り出したついでのように、キイロはからころと耳に心地いい音を立てる缶を取り出し一粒、口に放り込んだ。  今こいつの口の中に広がっているのは、さっきのくそ不味い幽霊の味じゃなくて、ちゃんとしたレモン飴の甘さなんだろうか。俺は他人の味覚を体感することはできないから、わっかんないけど。檸檬味だったらいいよなーと思いながらさらっとペンを走らせて、借りたペンを返すついでのように名刺を差し出した。  会社の名刺だけど、俺が直々に書いたのは十一桁の番号と個人のアドレスと暇な時間帯のメモだ。 「………………メイシューさん、ええと……これは、あの……」 「うちの会社割合社畜系でさぁー、リリース近いと徹夜覚悟とかあんのよ。その上実家があれじゃん? 寺じゃん? なんかわりと家の仕事も手伝わないと殺されそうな感じだったりするし、確実にこの日は暇なのよって時間ねーのよなぁ。というわけで、まあ、都度連絡して。暇なら出てくから。あ、でも驕りな? そっちの方が、おまえも誘いやす、え、ちょ、泣いてんのまじでうそでしょ落ち着け本当に」 「落ち着けない……嬉しくて死にそうなの、人生で、初めてです…………」  泣いてる上に照れているらしく、タオルで顔を隠す入れ墨男の骨ばった耳は真っ赤でなんつーかおやめになってこちらも照れちゃうじゃないのおバカ、って感じだった。  まあ、可愛くない事もない。あまりにも不憫すぎる体質だから、桑名と木ノ下ちゃん案件には関わらせたくないなぁって感じだけど。別に個人的に飯を食う人間が増えるのは、損な事じゃないんじゃないのー? なんて誰宛かわからない言い訳をした。  出会ったのは間違いだったのかとか、あの時振り払わなかったのは正解だったのかとか、今さら思い返してもどうしようもない。俺の割合平凡で平和な人生がほんのちょっとくらい脅かされる程度なら、こいつのくそみたいな不幸な人生に干渉してもいーじゃんって思った。  ぐすぐす泣くキイロの手はやっぱり冷たくて、ぎゅーっと握ったら今度は変な声を上げて飛びのいてへたり込んだ。揶揄い甲斐がある男で最高だ。桑名は最近構ってくれないし、木ノ下ちゃんにちょっかいかけるとその桑名が煩いし。うーんでも、桑名の気持ちちょっとだけわかっちゃう感じがして嫌ではある。  自分の一挙一動に反応してくれる可愛い子って、やっぱいいじゃん? できれば女子でお願いしたいところだけど。  可愛いとはかけ離れた外見のデカくて細くて怖くて顔いろ悪いキイロは、赤い顔のまま『おなかすいた』と呟いて、ちょっと笑ったみたいだった。

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