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ことのあいまにむつみごと:02

「なーどうなのよキーちゃんって童貞なん?」 俺のこの些か唐突で割と下品なQを受けての刈安キイロのAはそりゃあ見事なオレンジジュースの噴水だった。 うっはやばいやばい機械にかかっちゃうメニューにかかっちゃうやっばい、と紙類をサクッと非難させてありったけのお絞りで机拭いてから背中を摩ってやると、げほげほ噎せていたキイロは真っ赤になった涙目で上目づかいに睨んでくる。 うははこっわいこっわい。 でも俺ってばいい加減こいつのヤンキーすぎる身なりにも、顔面と言わず全身に結構ぎっちり入ってるお絵かきにも、ぐっと眉が寄った三白眼にも慣れてしまっているわけで、まあつまりは全然怖くないし全く反省などせずに笑ってごめーんと軽く言葉をぶん投げる。 いや悪いかどうかって言ったら悪いのは俺だしそこんとこは謝ってるけど。会話上の不躾さはすまんと思ってるけど必要以上にこいつの外見にビビる要素など一切ない、的な事が言いたかっただけだ。 悪いとは思ってる。でもだって気になるだろっていう好奇心を押さえきれなかった事に対しては正直そんなに反省してない。だってここ個室だし。歌ってないし飯食ってるだけだけどカラオケだし。他に誰も聞いてないんだからいいじゃーんと思うわけだよキイロくん。 「ごめーんってば。な、だいじょうぶ? ほら水飲んどけ水。あーあーズボンに沁み込んじゃったオレンジこれ帰ってからちゃんと洗えよー? 黒い服で良かったな? つかそんな? そんな動揺す――、え、もしかしてキーちゃんそんな陰キャなのに? 実はブイブイ系?」 「ごっ……ふ、……は、………めいしゅーさ……ブイブイって……たぶん……死語、です…………」 「うははやっぱりーぃ? いや俺の親父が使うのよ俺だって世代じゃねーよナウいとかその辺はさーぎりぎりチョベリバ……あ、もしかしてキイロお前俺より世代上? やっぱ年上?」 「のーこめんと…………あと、その、童貞って言うの、一体、何がどうなってそういう話に……」 「え。いや別に。お前ほらすげーとんでもかわいそう体質じゃん。俺みたいなおいしい人間がどの程度の割合いるのかわかんねーですけど、そういう人間以外と接触するの無理じゃん? てことは普通の男子より数倍ってか相当童貞捨てるハードル上がるんじゃないの? ってふと思っただけ」 「あー……」 オレンジジュースをお絞りで拭ききったキイロは、やっと喉が楽になったのか小さく深呼吸をしてからソファーに深く座り直した。 いつものように俺はふわっとキイロに呼び出され、ふわっとメシに付きあっていたところだった。こいつは先日カラオケルームを初体験し、歌は歌わないし興味もあまりないということだったがしかしこの防音かつ個室な空間をいたく気に入ったようで、最近はファミレスじゃなくてカラオケでメシを食う事が多い。 まーファミレスっつったって腹いっぱい食えばそれなりの値段になる。 定職についていないとはいえ、趣味もなく普段の食材はカロリーブロックと野菜スープだとかぬかしやがるキイロは貯金だけはそれなりにあるらしく、俺と一緒の時の飯代はケチった事がない。現状唯一メシの味を感じつつきちんと消化する事が出来る機会なのだから、そりゃ金に糸目なんて付けないだろうなと思う。 幽霊を食って吐く事を生業にしているキイロは、普段クソみたいな味覚の中生きている。幽霊ってやつはあほみたいに不味いし、幽霊どころか生きている人間でさえもキイロの味覚に干渉する、らしい。 俺はキイロの味覚に干渉しない上にわりと強めの精気というかオーラというかまあつまりエネルギーの持ち主らしく、俺と一緒に居る時だけはキイロは味覚を取り戻すことができるという話だ。信じてるって大丈夫大丈夫。まあ、そういうことだってあるんじゃねーのって、いい加減信用してきた。嘘ついてまでアラサーリーマンと飯一緒に食いたいって奴がいる方が嫌だ。 よくよく話を聞けば、俺みたいな奴は希少種だけどそれなりの確率で存在はしているらしい。ただ、いくら味覚に干渉しない稀有な人間だとしても、それが他人ならば結局意味はない。 キイロはアホほど不器用だ。性格が悪いわけじゃないけどどう見ても根暗だし実際根暗だし引っ込み思案だしネガティブで大体青い顔して俯いている。なんかこう、もっと社交的なら別に事情を話さなくても狙った人間とさっさと仲良くなっておいしいご飯ライフを送れなくもないだろう。 だがしかしこいつは刈安キイロだ。そこらへんのパリピの行動力に及ぶわけがない。 事情を説明して例えば金銭契約を結んで食事の際に同席を願うにしても、ただの病気やアレルギーなんてものとは違う。何といっても、原因は『幽霊』だ。 そこんとこも理解しつつ、キイロの飯に付きあってやれるのは現状俺だけで、いままでもそんな奇特な人間はいなかったらしい。 いなかった、ということは親しい人間もいなかった、という事だろう。大概の人間とは一定の距離を保たないと吐き気がこみ上げてくるなんつー奇抜でしんどい体質のキイロに、友人や恋人がいたなんて想像できない。キャラ的な意味でも。 俺は最初、こいつは奥襟さんの恋人なのかと思った。 でも、奥襟さんは既婚者だったという。じゃあ友人なのかと言えば微妙らしく、彼女は結界というかお札というか、とにかく祓って中に入れないという戦法に長けた霊能者だったらしく、その結界のお世話になっていたのだという。ほう。まあでも仲はそれなりによかったようで、俺はあんまり奥襟さんの話を振れない。 あの人の名前を呼ぶ時のキイロのしんどそうな顔といったら、笑いごとじゃない。そういうの笑う程俺は人間腐っちゃいないので、慎重に彼女の話題はよけつつキイロに詰め寄った。 「お前ほら、見た目ぶっとんでるけど割合中身真っ当じゃーん。ギャップ萌えっての? ほらー不良とかヤンキーとかってさぁ、ちょっといいとこ見せると周りはコロッとほだされるじゃんかぁー。幽霊退治で依頼人の女の子に告白されてーとか、そういうのもねーの?」 「告白……あー……なく、は、ない、です、けどボクは大概の人間とその、一緒に居ることも苦痛なくらい相性が悪いので……普通に、断ります……」 「あ。断るんだ。えらいなお前」 「え。断らない、んですか? 普通の人は……」 「いやだって、依頼人っつったってどうせその時しか会わないんだし、うすぼんやりぼかしてふわっと躱した方が後々恨まれたり泣かれたりしないで楽なんじゃないかなーと、思ったんだけどそうりゃそうかキーちゃんがふわっと人間躱せてたら今カラオケで男二人でメシ食ってねーやな……」 「……いつも本当にすいません……」 「いや俺はおごってもらってるし食費浮くし大歓迎っすけどねー。で、童貞なんすか?」 「…………その話続けるんですね……」 ぐったりした面持ちのキイロは、オレンジジュースの魔の手から生き延びたタコ焼きを咀嚼しながらううんと唸る。 こいつはやたらと謝るけれど、会話ができないわけじゃないし、わりかしなんでも素直にぽんと言葉を返す。会話してて面倒くさくないところは結構気に入っているポイントだ。 しばらく唸ったキイロは、たこ焼きを飲み込んだ後に行儀悪く頬杖をつく。手足が長いから、どんなポーズも骨格だけならモデルみたいに様になる。かなり猫背なのが残念すぎるし、顔は怖いのでもっと残念だ。 「試してみた、ことは、あるんですけど……やっぱり、途中で吐いちゃって、だめでしたそういえばそんなことあったなって、今思い出した……」 「トライしたのかよすげーなどんだけその相手の事好きだったんだ」 「あ、いえ、その……大して、というか、ほとんど知らない方だったんですけれど。なんとなく、そういう風に口説かれて、事情は説明したんですがどうも信じてもらえなかったみたいで、したくないならいいけど途中でやめてもいいからと言われて」 「つかお前あれなのね、普通に欲求とかあるのね性的な」 「まあ……その、ボクは生きるのに精いっぱいで普段はそれどころじゃないですけど、性的に不能だったり、特殊な性癖だったりというわけでも、ないので一応……いえあの、普段そういうことは考えないし結局吐いちゃって何もしてないので、なんとも言えませんが……」 「ちゅーもむり?」 「はぁ。というか、そのー、キスが、一番無理でした。もう、強烈に、不味くて」 「あー。ダイレクトに口だもんなーそういうもんかー。つかオーラとか精気とか云々じゃなくてもうその人間自体が不味いのな。そういうもんかーへー。じゃあ、俺は――」 俺は、不味くないのだろうか。 と、言いかけて言葉を止めた。 あんまり喋る時にモノを考えないのは悪い癖だ。喋るって行為が好きで、割合ぽんぽんと言葉を放り投げてしまう。言ってしまってから後悔することは多い。つーかほら、未だってそうだ。俺今何言おうとしたのよ馬鹿かよ何だよこの流れいや先にわけわかんない下世話な話題ぶん投げたのは俺だけどたぶん俺が悪いんだけど。 キイロは落ち着きがないしネガティブだしいつも下を見ているし言葉も独特だけど、別に頭が悪いわけじゃない。だから勿論、俺の言葉の先も想像できてしまうに違いない。 キイロは落ち着きがないしネガティブだしいつも下を見ているし言葉も独特で頭は悪くないけれど、残念ながらコイツは空気を読んだりとかそういう事はあまりしない。人間関係の構築をしてこなかったから、対人スキルの経験値があまりにも少ないわけだ。 空気を読まないキイロは首を傾げ、おいしいのかな、と呟く。 何が、とは言えない。勿論主語は、俺だからだ。 「…………たしかに、変ですよね。食べ物は食べ物の味がする。それに人間の味が被さって、味がおかしくなるんですけど。あの人間の味っていうのは、感情とか霊気とか、そういうものだと思っていたのに、ダイレクトに唾液が不味いっていうのは不思議、というか……単に近かったから、ですかね。でもものすごい味がして本気で嘔吐いちゃったんですけど……メイシューさんなら、平気なのかな」 「あーいやーどうかなーつってもほらー唾液なんて無味ですしーうまいもんでもないでしょちゅーしたってーぇ」 「それは、そうですけど。ちょっと、気になります」 「待て待て待て何こっち来てんだ落ち着けキイロおまえでっけーんだからそんな迫ってくんな怖っ、ちょ、テメ、いやいやよして旦那アタシお嫁にいけなくなっちゃう……」 「メイシューさんはお嫁さんをもらう側なので問題ないと、ボクは思います……」 キイロのくせに正論でつっこんできやがる。最近会話能力上がってると思うけどたぶん俺がめちゃくちゃ喋るせいなんだろうなと思う。空気の読めなさが若干いい味になっていてちょっとむかつく。 しかし空気読まない正直メンズキイロたんは、壁まで俺を追い詰めてずずいと身を乗り出しつつ、ソファーの上に正座をして懇願するみたいな目をする。 この後に続く言葉を聞かずに逃げ出したい雰囲気だ。すごく逃げたいのに今逃げたらこいつ家に帰るまでに今食ったたこ焼き吐いちゃうじゃん可哀そうじゃんっていうほんとよくない同情が勝って言葉を飲み込んでしまった。 「あの、でも、なんか、こう……ええと、やっぱりボクは、あんまり人との付き合い方がうまくなくて、ご不快な思いをさせることもあるかも、しれないので、えーと……もう、全部ぶちまけてしまった方がいいのかなって、思っていて……」 「ん? んんん? え、ぶちまけるって、何、」 「あの、多分メイシューさんはこんなこと言わなくても、そうだろうなって気が付いていらっしゃるとは思うんですけど。ええと、その、好きです」 「………………え、あ、うん。ですよね?」 思わず、マジレスしてしまった。 俺の間抜けな返事を聞いたキイロは、へろへろとソファーに崩れ落ちる。かわいくないこともない。言わんけど。この場面でそんなん言ったら色々不味いから言わんけど。 「はい、あの、まあ……そうですよねわかりますよねー……」 「いやだってお前明らかに俺と一緒の時うきうきしすぎだもんよ……背中摩ると最近真っ赤になるしめっちゃ顔に出るじゃんそんな純情乙女みたいな少女漫画真っ青の状態で知らんふりしろって言われる方がアレなんでぶっちゃけてもらってありがたい気がしないでもないけど、あ、これってガチの告白タイム?」 「え。ああ、いいえ、違いますええと、違うというか、好きなのは本当ですけれど、例えば付きあってくださいとか恋人になってくださいとかそういうのじゃなくて一応言っておこうと思っただけなんでそのー……今まで通り、ご飯食べてくれればボクはそれで、いいんですけどもし、メイシューさんが嫌ならば、と思って」 まあ、それならば問題はない。いやあるんだけど、こいつがわりと本気で俺の事好きなんじゃないの疑惑は結構初期からあったし、むしろぶっちゃけてくれてありがたいのは本当だ。じわじわ、これって俺の自意識過剰? なんて思いながらこいつと飯食うのなんつーか恥ずかしいというか気まずいというか。 惚れられてるってスパーンと分かった方が、気持ちもさっぱり整理できる。ような、気がする。 回りくどいのは好きじゃない。 俺はどうにも面倒な女子力ってやつに慣れない。 合コンで盛り上がるのは好きだけどあの妙な駆け引き感も好きじゃない。話盛り上がってまた会おうよーでバイバイして本気で会いたかったら電話でもしたらええがな、と思う俺はだめなんだろうな~と思う。 だからなんつーか、ほんとスパッと好きですって言ってもらえたのは、いいんだけど。 いいんだけどじわじわ赤くなっていって骨ばったデカい手で顔を覆ってしまったデカいヤンキー男はあんまりよい感じじゃないなこれ。 「……時間差かよ……」 「え、いや、その、あー……実は、ボク、メイシューさんのこと好きだなって、自覚したの、今朝で……」 「え。うそ。あんなに? 全身で? 少女漫画してたのに?」 「だって、そんな、ボクは、普通にごはんが食べられるだけで、もうすごく嬉しいのに、メイシューさんは良い人で尊敬できる方で、だからずっと素敵な人に出会えたなってドキドキしているものだと思って……」 「無自覚かよーなんだよーあの少女漫画キイロたんは無自覚だったのかよーじゃあこれからは自覚ありのドキドキキイロたんライフが始まちょっとなんだよぶちまけたのはお前だろーなんで逃げんだちこうよれちこうよれー」 「さっきはお嫁に行けないって言ってたのにー……」 恨めしそうなキイロはわりとかわいい。 俺はキイロと付き合う気は今のところないし、普通にオンナノコが好きだしオンナノコと結婚したいと思うけど、だからと言って気持ち悪いからもうお前とは会わないぜなんてキイロを突き放すつもりは毛頭ない。 別に、本人がただ言いたかっただけっていうのなら、それでいいんじゃないのと思うし。そんでたぶん俺たちの関係は別に、特に大して変わらないと思うし。だって今までだってキイロは相当俺を意識していましたし。ただ、声にだしていっただけのことだ。 なんつってかっこよく理解しようとしつつも、正直ちょっとだけドキドキした。 人生二十七年、実は告白された事がない。勿論彼女は何人かいたけど、全部飲み会のノリだとかふわっとそういう感じになったとか、もしくは俺からの告白ばっかりで、好きなんですなんて大真面目に言葉にして伝えてもらったのは初めての事だった。 うわーちょっと、うはは、何これあっついあっつい。 キイロがテンパっててよかった。俺ってば結構浮かれててちょっと赤くなっちゃってるのかもしんない。薄暗いカラオケボックスの照明に感謝すぎる。 「それにしてもお前ほっせーのなー体重俺と一緒くらいなんじゃないのー? 身長十五センチは違うだろ。ちゃんと食えなんて無責任な事言えないけどさー、もうちょっと健康になると、楽だろうになって思うけどなぁ」 「健康……」 「健全な精神は健全な肉体からですよキイロさん。おまえコロッと死にそうなんだもんこえーよ」 「……ボクが、ちゃんと生きて、ちゃんと体重増やしたら、メイシューさんに、なにか、ご褒美、もらえたり、しますか?」 くそが。 その上目遣いがたまらんなんて絶対に言わないんだからなマジでほんとやめろたまらんから。という内心をめちゃくちゃぐぐっと飲み込んで、俺はふははと笑った。 「いーね歩合制。一キロ増えたら一回ちゅーしたるよ」 「え。え? ほんと? ほんとに? 約束ですよ? キスしていいんですね? 一キロ。一キロか。一キロ……うん。がんばり、ます」 キイロが健康になるためには、まず食うのが先決ではない。こいつはわりとちゃんと食っている。ただ、それを吐き出してしまうから意味がない。 浮かれて一キロ一キロと繰り返すキイロを眺めながら、こいつが平均体重になって顔色もよくなって体温も普通になる日なんて、来るのかなーなんて考えてちょっとどころかかなり不憫になって、気持ちを切り替えるようにキイロの手をぎゅぎゅっと握った。 変な声を出して、キイロが涙目で睨んでくる。俺はうははと声を出して、鬱な気分がぶっとぶような歌を探して放置されてたカラオケのリモコン機械を手に取った。 終

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