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あわれおりなすあねはこび:02

嫁と喧嘩とかすんの? と、最高に不躾な質問を繰り出した俺の目の前で、そいつを思いっきりぶつけられた社内のアイドル桑名パイセン(実際桑名の方が俺より若干年上だし先輩だったりする実は)は、その寛大かつ若干無関心の混じる心意気で怒る事もなくごく普通にジンジャーポークを口に放り込んだ。 「喧嘩……喧嘩なぁ……そういやあんまりしないかなー。てか嫁っていうのやめろよ誰か聞いてたら面倒だろ」 「こんな辺鄙な洋食屋まで足を伸ばす同僚なんて、弊社周辺のランチゾーンに飽きたコア趣味なお局妙齢社員くらいでしょーよー。ダイジョーブよ俺たちの他はカウンターにじいさんがいるだけだから。何よ桑名ちゃんってばおホモだってバレたらやっぱやばいなーって感じ?」 「そういうんでもないけど……例えば恥ずかしいとか気持ち悪いとか、そういう感情はないけどさ、他の人間がそうとも限らないだろ。仕事しにくくなるのは面倒だし、じゃあ転勤しますねってわけにもいかないし。引っ越したばっかだし。あと最悪俺はカミングアウトしてもいいけど、木ノ下くんはそうとも限らないだろうし」 「はーん。なんかこう、相変わらず清く正しくジェントルねぇ桑名っちってば」 「いや普通だよ。お前がふわっふわしてんだよ」 このセリフにはまったくその通りだと同意せざるを得ないので、俺は口に入れかけたオムライスを一度離してからふははと笑った。 俺の性格はもとより、人生すらもふわっふわだ。実家連中には仕事なんかするなって言われてるのに意地でも自分で金稼ぐぞって思って働いているだけであって、結局仕事自体に誇りややりがいがあるわけでもない。正直家に居たくないから働いてるって感じだし。 生活するために頑張って仕事こなしてる人間にしてみたら、ふわふわしてるボンクラぼっちゃんとしか思われないだろう。事実他に言いようもない。 そんでそのふわっふわ生きてきたツケは、『真面目な人間関係が構築できない』というクソみたいな悩みに繋がっていた。 遊ぶ人間がいない訳じゃないし、社内で孤立しているわけでもない。でもやっぱ、腹割って話せる奴ってホントに少ないし、それだって俺より人間出来た奴ばっかりで、なんていうか、俺はあんまり頑張らなくても友人関係はそのまま続くし会話も続くし若干話を聞いていなくても誰も怒らないし誰も死なない。 要するに、フリーダムな俺のままでも、問題なかった。俺の現在のそこそこまともな友人関係や同僚関係は、俺の努力や俺の性格じゃなくって、相手方の優しさで成り立っているっつーわけだ。 馬鹿だなーあほだなーって自分でも思うよほんと。 この歳になって、人間との付き合い方が危ういなんてちょっとどうかという話だ。俺の周りって大人ばっかりだったのねーと実感すると共に、自分のコミュニケーション能力の薄っぺらさに笑いが出る。 もうちょい人生真面目に生きていれば、平日の昼休みに同僚と洋食ランチ食いながら『恋人と喧嘩とかしちゃうの?』なんていうクソみたいな質問をすることもなかった。筈だ。多分だけど。 桑名は本当によくできた男だと思う。性格も、ついでに顔も背格好も悪かない。むしろ良い。ほんとやんなっちゃうくらいかっこいいから俺ってばいつだってこいつに頼ってしまうのだ。単純に席が近いってのもあるけど、桑名のさらっとした魅力は例え隣の部署であっても俺をホイホイしちゃったんじゃねーのと思う。たぶんだけど。 以上俺の心の中の言い訳で、さてジンジャーポークランチを食いきったイケメン桑名は、食後の珈琲を片手にスマホ眺めながら『で、どうしたんだよ』なんて問いかけてくださる。 本当に気の利くイケメンだこんちくしょう。 「どうしたって、いうかー、えーと……いや、べつに、どうも、してないんだけどーさー」 「なんだよそりゃ。お前が割と木ノ下くんのこと気にかけてくれてんのは知ってるけど、無駄に下世話な話するような事なかっただろ」 「えーそりゃーさー、桑名が俺の知らないムキムキマッチョとお付き合いしてますってんなら興味本位でマジカヨ夜はいかがなの? って笑ってえぐい質問ぶっかけるかもしんないけどさーだって木ノ下ちゃんとも顔見知りなのにそんな想像力逞しくなっちゃうお話したくないっしょ。つかわりとどうでもいいじゃん他人の恋路とかさー。でもさ? やっぱ、そういう人と人の機微っていうか? そういうの? 他に聞き出せるようなイケメンもいないっていうか?」 「……誰かと喧嘩でもしたのか?」 「え、いや別に。してないしてない。してないけど木ノ下ちゃんはなんかこう急に怒ったりとか不機嫌になったりとか、そういうのないのかなーと思って」 「別にないよ。気分で言動変わる子じゃないし。何か言いたい事があるなら割とちゃんと話してくれるし、こっちも聞くようにしてるし。あーでも、まあ、全部完璧に把握してますってわけでもないだろうけど、気まずくなったりするような事は少ない、はず」 「ふーん」 「…………なんだよ歯切れ悪いな……。なんかあったの?」 まぁ桑名さんってばやさしーんだから、と茶化すのは止めて、俺はいい加減真剣に自分の直面している問題に目を向けるべく、珈琲をぐるぐると回しながら言葉を探した。 ガラス張りの洋食家の外は秋晴れで、ひどく爽やかで逆に苛立つ。ランチタイムらしきOLやらリーマンやら、行きかう人々を眺め、頬杖をついてやっと、最初の言葉の端っこを掴んだ。 「なんてーかさ、うーん……新人類っていうか今まであんま相手にしたことないタイプの人間と出会っちゃっててさー、いやべつに関係性は良好だし向こうは俺の事かなり好きなんだろうなってのはわかるんだけど、こう、何しても本当にびっくりするくらい怒んないし不満もないっていうから、段々不思議に思ってきてさー」 これは勿論、件の霊媒体質の男の話だった。 詳細を語るのは気が引けて若干ぼかしたけれど、桑名は無駄に勘がいいから本当はあんまりアイツの話はしたくない。したくないのだけれど、残念ながら他に適任者もいない。 俺の言葉を聞いて一回かみ砕いて飲み込んだらしい桑名は、珈琲のカップを置いて携帯から目を上げた。 「……いるんじゃないのか? そういう、こう、いい人っていうか、感覚が良心的な人」 「うーん良心的……そうだなー良心的つったら良心的なんだけど。こう、俺がうっかり遅刻してきても、全然気にないって言うし、俺がうっかり失言しても、構いませんよって言うし。本当にそう思ってんだろうなってのはわかるから嘘つくなって話じゃないんだけどーなんていうかーなんてーいうかー」 「お前の遅刻を許せるとか聖人っていうか神様みたいな人だな……一時間余裕で遅れるってのに。それ単に聖人なだけじゃないのか?」 「聖人っていうかなんていうか今まで他に友達がいなかったからもうなんでも許すっていうかでもそういうのっていつかバーンって爆発しちゃったりしないのかなって思ったりとか俺が遅刻すんなって話とは別で、ええと、つまり、あー」 「もっと我儘言ってほしいってこと?」 「…………わがま、ふ……っ!」 なんかすげえ単語出してきやがった、と思って途中でふいちゃって、桑名に呆れたような視線を向けられてしまったけどいやお前が悪いよなんだよ我儘って。 単語が可愛すぎてやばい。 そんで言われた瞬間『それだ!』って思っちゃった俺がもっとヤバくてなんか色々誤魔化したくて笑ってしまった。 我儘。それだ。やばい。絶対それだ。 このところふわっと感じていた違和感がわかってしまった俺は、気持ちよく納得すると共にものすごくいたたまれないような尻が浮くような気持ちに苛まれることとなった。 俺はどうやら、キイロにもっと我儘になってほしい、と思っているらしい。 まー普通の友人関係でもこの文節はおかしくないのかもしれないけれど、キイロはつい先日さらりと告白してきたばかりだ。そんで俺はそれをさらりと流したばかりで、付きあえって迫られるんじゃないんなら別にいいよどうでも、なんて大人なんだか人でなしなんだかわからない回答を踏まえた関係を継続していた。 キイロは誰がどう見ても聞いても生き辛い人生を送っている。今までも、そんでたぶんこれからも相当生き辛いに違いない。 その中で多少人生上向きになるかもしれない要素が俺なわけで、これは恋とか云々抜いても『食事』という生きていく上にかなり必要なものをサポートする存在であるからだ。 キイロは普通に生きているだけで、食事の大半を吐いてしまう。 でも、俺がいればほぼ消化できる。飲み込み、身体が吸収できる。 それはとんでもなく大事な事だ。たぶんどんな馬鹿にだってキイロに対する俺の重要性はわかる筈だ。食わないと死ぬ。眠れないと死ぬ。この辺は当たり前すぎる知識だ。 キイロにとって自分がどんだけ重要か、勿論承知している。承知しているからあいつが俺の全てをふわっふわと許してしまう事も、性格云々置いといてもそういう理由もあっての事だろうなと理解している。なにせ俺がいないとあいつは飯もろくに食えないのだマジで。 ……いやでもやっぱり性格なのかもしんない。 ほらあいつって、友達とか居たことないだろうから。こんな時どんな顔していいかわからないの、を地で行きそうな男だから。我儘なんていう概念がないのかも、というところまで考えてちょっと不憫がすぎて目頭が熱くなって、やっぱこの話よくねーな隣の課の新人派遣ちゃんの麗しい足の話で場を誤魔化そうかな、と、思っていたところ目の前の桑名が珈琲カップ持ったまま固まっている事に気が付いた。 桑名は青ざめた顔でガラスの向こう――外を凝視している。 なんだ。ホラーか。なんかいんのか。またいつものホラー案件か。 最近アレじゃない? 木ノ下ちゃんいなくてもホラーに侵食されちゃってない桑名っち。頼むから俺にまでホラーの御裾分けはしてくれるなよマジでそういうのもうお腹いっぱいだっつの。つーかアナタ一体何を見ちゃってるのよ。 かかってくるかオラァ、と若干の気合と緊張と滲ませながら桑名の視線を辿った先に、俺が見たものは、……ものすごく見覚えのある長髪の男だった。 店の硝子にべったりと張りつくように立つそいつは、今日も薄手のコートと黄色い傘をさしていて、桑名だけではなく道行く人間や店内の他の客や店員の視線すらかっさらっている有様だった。 叫ばなかった俺は、やっぱりえらいと思うし、叫ばなかった桑名にも感謝をしなければならない。 机の上に置きっぱなしだったスマホを手にした俺は、警察ではなく最近やたらと見慣れてきた馴染みの番号に電話をかけた。多分着信音はならない。バイブにびっくりしたらしい男は、急に我に返ったような顔つきになって慌てた様にコートのポケットに手をつっこみ、半歩だけ硝子から下がる。 「――……キーちゃんそんなとこで何してんの?」 電話向こうの相手がすいません、と口を開く前に、俺は眉を下げて息を吐いた。

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