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あわれおりなすあねはこび:04

「思い出した」 すっかり身支度を済ませて腰を浮かせたところで、隣の席の桑名が声を上げた。 独り言を言うタイプの人間じゃないし、若干暗くなってきた部署内には残業している人間も少ない。つまるところ近場にはほかに人もいない。てことはきっと俺に対して話しかけているのだろう。 つーか誰に対しても割合ジェントルな桑名さんがこんなぞんざいに言葉をぶん投げるのは、何を隠そう俺相手の時くらいだ。 「え、なにを? 何を思い出したってーの? まさか、お仕事のはなし? ぼくちゃんもう帰るわよ?」 「違う違う、昼間の、あのー……ほら、お前の知り合いの人。ガラス越しに立ってたあの目立つ感じの。あの人なんか既視感あんだよなーと思ってたんだけどさ」 「え。桑名ちゃんってばキイロの事知ってんの? もしかしてあいつってこの界隈で有名な要注意エキストラだったりとか……?」 「なんだよ要注意エキストラって……違うっての。会ったのは今日が初めてだし、本人見かけたことも無かったんだけどさ、営業の方の同期に五十嵐さんっているだろ?」 「いがらし……いがーらしー、なにがし?」 「哲也だよおまえほんと女子の名前以外覚えないのなんでだ……」 社内の隣の席のイケメンこと桑名健介と俺こと巻明秀には残念ながら一歳という年齢の壁と、一年というキャリアの壁がある。別に一年くらいどうってことないし、実際桑名と俺は普通にタメみたいな感じで付きあってるし誕生日の話するときくらいしか年齢差なんて意識しないんだけど、会社のでっかい飲み会とかだとそうもいかない。 部署で飲む時は別にどうでもいい。うちの部署みんな仲良し★ ってほどでもないけど、まあまあ垣根なく和やかだし。つか大体俺は桑名っちと一緒に飲んでるし。飲むペースがほとんど一緒だから楽だってのもあるけど、桑名は顔も性格もいいから女の子が警戒心なく寄ってきて誠に素晴らしい餌なのだ。 最近は合コン誘っても全然来てくんないけど。あと俺もこのところは飲む時間があるならペット感覚でお付き合いしている不健康な男の食事の為に時間を割くことが多いし。 いや桑名の話はどうでもいいんだよそうだ、五十嵐某の話だ。 桑名と五十嵐某は同期だろうが、俺はその一年下なわけで正直なんのつながりもない。延々とカタカタパソコンのキーボード叩くお仕事していると、営業職なんてものに縁もなくなる。会議出る程えらくないし。それこそ飲み会くらいしか接点ないんじゃないのかと思うんだけれど、その飲み会も部署や同期でまとまるもんだから、そりゃ俺が五十嵐なんとかさんを知らなくても仕方ないだろう。 「俺がお前の同期全部把握してたら逆にこっわいだろーがーよー。んで、何だよそのイガラシテツヤ氏がどうしたっての?」 「いやこの前、食堂で五十嵐と相席になったんだけどさ。体調悪そうだったから声かけたんだよ。そしたらさ、夏前からちょっと寝不足で、って話が始まって、家で変な事が起こっているって話になって、最終的にはお前を紹介してくんないかなって言われたから巻は霊視も除霊もできないよって断っておいた」 「……みんな寺生まれの巻ちゃんに夢見すぎじゃね? 寺生まれのTさんなんて今時流行んないでしょーに。じゃあ寝苦しいってのは幽霊とかそういう関係の話だったわけかよ。その話とタトゥー男に何の関係があるんだっての」 「不審な事が多いからって、部屋の前に監視カメラ仕掛けたんだってさ。部屋の中の物が動いてたり真夜中ピンポンされたらいきなり幽霊だなって思わないだろう」 まあ、確かに。 桑名の場合は『嫁がそういうもんをほいほい引き寄せる』っていう前提条件があるから、そういうもの全て心霊現象だ! って思ってしまうわけだけど、よくよく考えたらまず疑うべきは人間だ。 外出中にモノが移動してたら不法侵入を疑う。最近はストーカーとかも盛んに話題に上るし、アパートの鍵なんてプロにしてみたらあってないようなものだ、なんて話もネットで見かけた。本当かどうかはさておき、そういう知識がまずあれば、もしかして泥棒? ストーカー? それとも悪戯? カメラで確かめてみようか? と思わなくもないだろう。 一人暮らし経験がない俺としてはその恐怖は実は未体験だし想像するしかないのだけれど、いやまあそうよね、嫌だよねそりゃ寝不足になる程の何かがあるんだから気にしないで生きるって選択肢はないんだろうし、まずは原因特定しようとするわなって思う。 器用にマウスカーソル動かしてカチカチ資料を眺めながら、桑名はふわっと言葉を続けた。 「その五十嵐の設置した監視カメラに、ものすごく不審な男が何度か映っていたって言うんだよ。雨も降っていないのに黄色い傘さして、真夏の昼間もコートだかジャケットだか着込んでる、長髪の男だって言っててさ。なんだそりゃライトノベルの読みすぎだろって思ってコスプレ趣味の変人が近場に住んでんじゃないのかって背中叩くくらいしかできなかったんだけど。あれって、刈安さんの事だよなって、今思い出した」 「あー……タブンソウネ」 世の中割とヤバい系の人種の方々はいらっしゃるだろうが、黄色い傘で長髪でコート着込んだ怪しい男なんてものは、そうそう被らない特徴だろう。 九十八パーセントくらいの確率でそいつは刈安キイロに違いない。 ちなみに本日昼に劇的に出会ってしまった桑名とキイロたんであるが、キイロがあまりにも挙動不審だったせいかそれとも元来の桑名の優しさイケメンズ性格がいかんなく発揮されたのか、この同僚はあんまり込み入った事を聞いてこなかった。 そんでもどんな関係かとか勝手に邪推されても微妙な気分になるので、前の霊能者さんの伝手で知り合った男で幽霊関係の相談たまにしてるっていう普通の人が聴いたらかなり胡散臭いのだけれど対桑名としては素晴らしく自然でなおかつ嘘は何一つついていないナイスな紹介をしておいた。 まあ、事実だし。あそこでキイロの味覚の話とか仕事の話とかする必要はないし、この説明わりと面倒だから省きたいっていう気持ちもあった。 刈安キイロの説明なんて、見た目のインパクトだけで十分だ。 あとは幽霊見えるらしいよ、と言っておけばほとんどの人間が半歩どころか三歩は下がるだろうし、今後アイツのネタを話題にすることもなくなるだろう。 しかしながら幽霊関係に耐性がある上に、他人にあまり偏見がないナイスガイ桑名さんは、果敢にも脳みその底からキイロに関する記憶を引っ張り出してきたわけだ。 五十嵐ナントカさんの不眠の原因が幽霊だとか怪奇現象だとかその辺のイカガワシイ物だとしても、それにキイロがどんな関わりを持っているのか、もちろん俺はさっぱりわからない。わからないけど、まあ、そうね、アイツと同じ格好の奴がそう何人も沸いてるわけもないだろうし、っつーことは本人だろうし、ってーことは五十嵐ナントカのお悩みはそうねそれ幽霊とかそういう奴で確定なんじゃないかしらね、くらいには思うよぼくも。 「……んで、桑名は五十嵐某さんに、キイロの事報告すんの?」 「え、なんで?」 「なんでって、だって、相談されたんじゃないの? 家の前に刈安めいた怪しい男がいるんだけどなんだろうねって話じゃないの?」 「まあそりゃそうだし、多分本当に刈安さんなんだろうけど、あの辺に住んでるだけとか別の用事とかかもしれないし、俺はあんまり首突っ込むつもりないよ。まー正直さ、監視カメラに映った怪しい男をどこそこで見かけたとかなら世間話がてら報告してたかもしれないけど、『実は友人の知り合いがお前の言う怪しい人だったんだけど』なんてごちゃごちゃするだけだろ。チクるみたいで嫌だし。ただ、なんか面倒な事になったらそれはそれで嫌だから、一応巻には言っておこうと思っただけだよ」 「お前のそういう思慮深く無駄に愛情深いとこ好きよ……さんきゅ、頭の隅っこに叩き込んどくわ。ちなみに、五十嵐某さんの御自宅って、一軒家? アパート? マンション?」 「賃貸マンションじゃなかったかな。あいつたしか、去年離婚して、奥さんは実家に帰ったけど五十嵐はそのままそこに住んでいるみたいな話だった、気がする。お前んち近いかもよ。あのー、ほら、俺の前のアパートから二駅先の承和団地」 「そがだんち……あー。あそこか」 なんか鬱蒼とした団地だったことは覚えている。 ちょっと前に団地もののホラー映画が流行ったけど、承和団地の前を通る時には『この団地の子どもたち風評被害にあってねーだろうな』ってお節介すぎる心配をした記憶があった。 あんなTHE☆幽霊団地みたいなところにキイロが赴く理由は、奴の仕事くらいしか心当たりないけど。もしかして五十嵐某さんの部屋ではなく、団地全体がホラー化しちゃっているのだろうか。依頼人が五十嵐ではないのなら、キイロに仕事を頼んだ人間が他に居る筈だ。 まあ、キイロの仕事の話は俺には関係ないっつったらそれまでなんだけどさー。 俺は幽霊が見えたりはするけど世間様が仰るような霊視とかはできないし、世間様が望むような除霊もできない。除霊の真似事ができるのはキイロの方だ。そしてその除霊行為は、キイロの身体にひどく負担がかかる。 もし俺が一緒に居るだけでその負担が多少減るなら、若干くらいは手伝ってやってもいい、と思っている。それが同情なのか単純な好意なのかお節介なのかは、今のところ自分でもよくわかっていない。 嫌いじゃないのは確かだ。 キイロは見ていて飽きないし、話していてもおもしれーし、そんで良い奴だ。嫌いじゃない。人として結構好きだと思う。でもやっぱ不憫だなーと思うから半分くらいは同情かもしんないし、俺の好意的な感情が例えばキイロと同じベクトルの好意に変わるかどうかなんてわからない。 つか、そもそも、あいつの気持ちだってぶっちゃけ世間一般的な人間が持ち合わせている恋愛感情と同じものかどうか、怪しいと思っている。 一般常識なんか通じない。『普通の人』の感覚も感情も、キイロは持ち合わせていない。 一種一種目の新人類のようなもんだ。 まーいいや、今度会ったらさらっと聞こう覚えていたら。承和団地の五十嵐某。俺が土曜まで覚えていたらの話だけど、と。 思いながら桑名にさくっとお疲れさんと声をかけ、今度刈安さんに取り次いでよ奥襟さんの件でお礼言いたいからとくそ真面目イケメンな桑名に声を返され、苦笑いでゼンショしますと答えてから颯爽退勤して弊社を出た。 冬が近い夜は肌寒いしすぐに暗くなってしまって憂鬱だ。 さっさと帰って風呂入って寝ようと思いつつ、キイロは一人で、そんでやっぱりパンイチで部屋ン中で丸まって夜をやりすごしてんのかなーとか考えちゃって、同情だか憐憫だかなんだかわかんないような感情がだらっと湧き出て通り過ぎた。

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