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あわれおりなすあねはこび:06

「本当にお暇だったんですかメイシューさん……」 今日は黄色い傘を持っていないキイロは、使い捨てのマスクで顔面半分隠してもなお目立つお顔のお絵かきと括っている長髪とすらっとでかい長身のせいで、結局傘なんかなくても道行く人間の視線を独り占めしていた。 あの傘はファッションじゃなくて『警戒されるため』の道具だ。不必要なものをふらふらと持ち歩く人間は、やっぱりちょっとおかしいと思われるだろう。 雨が降っていないのに雨傘をさす。夏なのにマフラーとコートを着込む。男なのにスカートとハイヒールを身に着ける。そういう違和感というか異質感は、本能的に『自然じゃない』と判断されて距離を取られる。 普通の人間だったなら癪に障るような他人の警戒心が、刈安キイロには必要なものだったわけだ。 つーかいつもは一日でも多く一時間でも多く一分でも多く一緒に居れたら嬉しいですみてーなさー、なんかこう犬かよって感じの懐き方をしてくるくせに、今日のキイロは目に見えて顔色が悪いしテンションが低い。 先週の土曜の定期飯会で『なーなーキーちゃん承和団地って知ってるー?』って俺がきゅるんと首を傾げた時から、コイツのテンションは底辺だ。 まさか承和団地がそんな地雷キーワードだったなんて思わねーじゃんよ。 つか、キイロは基本よくも悪くもテンションが一定で低いから、これ以上ずどーんと下がる事があるなんて思ってもみなかった。 「お暇っすよ。暇じゃなかったら俺よりでけー男と二人楽しく住宅街をお散歩なんかしてませんことよ。つかキーちゃんこそ仕事じゃねーの? 俺付いてってお邪魔じゃないなら別にいいけどさぁ」 「……はい、あの、悩んだ、ん、ですけど……」 「うん? うん。おう。なんか先週からキーちゃんがどえらくド底辺テンションでウンウン唸ってんのは存じていましたけど。それってやっぱ承和団地の五十嵐某さんの件?」 「はい……あの、メイシューさんは、なんていうか……スパっと、言葉を、濁さないでくださるので、すごく楽です……」 アリガトウゴザイマス、なんて軽く頭を下げられて、いやいやデリカシーがねえだけだろと苦笑しそうになるのを誤魔化してケツを蹴る。 回りくどいのが面倒くさいだけだ。顔色伺うのも疲れるし、空気読むのも好きじゃない。どうかな、いけっかな、どのくらい刺していいのかな、なんて伺いながらやわやわと言葉を探すくらいなら、ずぶっと一刺し、さっさとナイフ突き刺しちゃって痛かったらごめーんと謝った方がいい。 ちなみにこれは面倒くさがりのクソヤロウ方式の対人術なので、よいこは真似しない方がいいと思うとだけ言っておく。やわやわと言葉を選べる奴の方が、絶対に優しいし絶対にすごいからだ。 「俺ァキーちゃんに気ぃ遣うのが面倒なだけのクズなんでぇ、感謝なんぞしないようにー。んで、今日キーちゃんが行く仕事先ってのは承和団地なわけだな?」 「はい。……承和団地の、D棟の、三〇六号室、です」 まあ俺は直接五十嵐ナントカ氏にお話を伺ったわけでもねーので、その三〇六号室に誰が住んでいるのか、五十嵐宅なのか近場なだけなのかわからない。わからないが、やっぱりキイロが関わっていることは確定らしい。 デスヨネーとしか思わない。別に、意外でもなんでもない。黒くて黄色くてタトゥーまみれの長髪の男なんて、この世単位ならあと十人くらいいるかもしんないけどこの街に二人もいたら困る。倍率おかしいだろ。どう考えても、件のカメラに映った怪しい男は刈安キイロで確定だ。 それなりに心霊現象的なものには慣れていた。慣れていた、と思っていた。いや実際問題いきなりバーンて出てきてもうわお! くらいの悲鳴で誤魔化せると思ってるし、泣くほどビビるってこともないはずだ。 物心ついた頃から、そういうものは視界の端にチラッちらと映った。 死にそうなほどビビったこともあるし、震えて寝れない夜もあった。そんでも二十歳超えりゃあ慣れもする。人間ってマジですげえよ、だってあんなもんにも慣れちまうんだもの。 親しみこそないものの慣れ切った奴らに、特別な恐怖ってのはない。そう思っていた俺は、正直大して覚悟なんてものをしていなかった。ビビる覚悟も、慄く覚悟もしていなかった。キーちゃんの背中をさすって介抱して最悪抱え上げてタクシー呼ばなきゃいけねえかもなあみたいな、身体的な労働の覚悟くらいしかしていなかった。 ほぼ付き添い感覚だった俺は、だから最初は気が付かなかった。緊張していたわけでもなかったし、よしやるぞっていう覚悟みたいなものもないんだから、そりゃ意識も散漫になる。 ぽよぽよとキイロの後を付いていくだけの俺は、やたら閑静な住宅街の公園を過ぎた所でやっと、あれさっき降りた駅って承和団地の最寄じゃなくない? と気が付いた。 キイロはすたすたと進む。上体はふらっふら揺れるのに、なんでか足は速い。 さっさと歩いて、さっさと『味』のしない場所に逃げ込むためなんだろうけど、コイツは本当に足だけは速い。よく考えたら足の長さだって違うんだっつの。せかせかと小走りで追いつきながら、なあこっちって承和団地じゃなくない? と声を掛けようとして、急に止まったキイロの背中に思いっきりぶつかった。 いってえ。クッソ。びっくりして「おっふ」とか言っちゃったじゃんかよ。 普段だったらあわわすいませんと平謝りするはずの男は、じっとりとしたテンションのまま目の前の一戸建て住宅をねめつけていた。 視線もそのままに、口を開く。薄い唇には、いつも以上に色がない。 「……あの。迷ったんです、本当に。まだ、実は、迷っています。ボクは、本当は……メイシューさんに、隠し事をしたくないと、思っています。でもそれって、ボクが楽になりたいだけのことで、メイシューさんにとっては迷惑なんじゃないかな、とか、思っていて……」 「あん? あー。あー? ……なんかようわからんけど、主語なしでふわっふわ語るのよろしくねーよキーちゃんつまり何?」 「ええと、すいません、つまり……メイシューさんは、少し、嫌な気持ちになるかもしれません」 「……うん。そんで?」 「でも、ボクは、メイシューさんに、背中を撫でてもらいたいので、本当にすいません。ごめんなさい。申し訳ない、です。……隣で、見ていてほしい、です」 「おう? んー、なんだかわかんねーけどとりあえず了解よ」 つかちゃんとお願いできんじゃん。えらいぞキイロその調子だぞキイロすんげー進化じゃないっすかねキイロ。なんて、うっかりじんわりしてしまった。 キイロは基本、要望を言わない。なんでも許すし、なんでも怒らない。でも最近はこうしてくれると嬉しいとか、ありがたいとか、そういうことを少しくらいは口にするようになった。 もっと、我儘になってほしい。 先週うっかり桑名の馬鹿野郎に言い当てられた言葉がうっかり頭に蘇り、テンション馬鹿下がりのキイロの横で一人でマックス赤くなっちゃいそうだった。真っ青男と真っ赤な俺とか全然トキメキ少女漫画じゃねえよギャグかよ信号機かよー。はーよくない。真面目な感情とかぶわーっとあっついような気持ちとか、そういうの考えるのは性に合わないのだよワトソンくん。コナンドイル読んだことないけど。 「とりあえずキーちゃんのそのごつごつした骨浮いた背中撫でんのが俺のお役目なのは理解したけど、承和団地行くんじゃなかったの?」 「はい、このあと、伺います。でもまずは、こちらの家にいらっしゃる、方を、食べなくてはいけないので」 「……こちらの家に、いらっしゃる、方を、食べ……食べ?」 「はい。食べなくてはいけない、です。ボクは、運び屋なので。食べないと、運べない」 「おまえ、何――言ってんの?」 笑おうとして、顔が引きつる。 焦げた臭いがした。髪の毛とか、肉とか、骨とか……そういうものが焦げたような、鼻に付く吐きそうな臭いだ。ついでに肌がひりひりと熱い。思わず口元を抑える。息を吸い込むと吐きそうだと思ったからだ。 なんだこれ、と声を出そうにもうまく息ができない。 思わず一歩下がると同時に、目の前の一軒家の玄関がかちゃりと開いた。 顔を出したのは、清楚って感じの普通の主婦だ。同世代か年下って感じで、細くて、なんていうか普通。幸薄い美人というわけでもないし、根暗そうな肥満というわけでもない。本当になんの特徴もないと言ってはめちゃくちゃに失礼だけど、二時間サスペンスドラマで出てくる脇役みたいな人だった。 普通のブラウスに普通のスカートに、普通のサンダルを引っかけて、普通に髪を括ったその人は、普通じゃないものを背負って玄関から姿を現した。 彼女の肩の後ろにいるのは、あれは、あー……爛れた肉の塊、としか言いようがないものだった。 でろっと垂れ下がった肉は焼け焦げて熱で変形した皮膚、らしい。そう気が付けたのは、口のような空間から歯のようなものがのぞき、その暗い穴がが蠢くたびに声のようなものがアガアガと耳に届いたからだ。 「どうも、お世話様です……毎回、本当にすいません」 彼女が頭を下げる。後ろのでろりとした肉が、ごぼっと口から赤黒い液体を吐く。 「いえ。やっぱり、戻ってきてしまっていますよね」 「……本当に毎回、ご足労いただいて申し訳ないです。御札をもらってきては、試しているんですけれど……玄関に貼っても、駄目なんでしょうか。気が付くと、家の中に戻っているんですよね……」 「…………今回も、同じ場所で大丈夫ですか?」 キイロの問いかけに、彼女はお願いしますともう一度頭を下げる。ごぼり、ごぼり、と肉と体液と何かそれ以外の物を吐き出すものは、よろよろとこちらに向かって近づいてきた。 キイロに呼ばれているんだろう。キイロは幽霊を食う。正確には、勝手に胃の中に入ってくる、らしい。それはつまりは霊媒体質の一種なんだろう。ふらふらと近寄ってくる肉塊は、これからキイロの胃に収まるのだ。 気が付くと平凡な主婦は家の中に戻ってしまっていた。キイロがもういいですよと声をかけていた、ような気がしないでもない。俺はそんな事より、目の前の肉塊から目が離せなくて、ついでに頭ん中を一生懸命整理していてキイロの言葉をちゃんと聴けていたのかすら怪しい。 「――き、きい、え、ちょ……これ、何……戻る、? って?」 やっと口から言葉が出たのは、キイロが俺の手をぎゅっと握って大丈夫ですかと声をかけてくれたからだ。 俺は昔からやたらと目がいい。そんでキイロは、幽霊を味覚で感じるけれど目では見ない。 「メイシューさん、もしかして、見えてます……?」 「……おまえ、これ、食うの、まじで……まじでいってるの?」 「ボクは幸いにも、というか、仕事的には不幸なのかもしれないんですが、その、見た目はわからないので……抵抗感はありますが、ある程度は、慣れていますし、大丈夫ですけど、あの、メイシューさん、何が見えますか」 「………………おにくのかいぶつ……?」 「あー……やっぱり、そうなんだ」 「……あのおねーちゃんもコレが見えてんの?」 「いえ、彼女は見えないそうです。ただ、いることはなんとなく、肌で感じるそうですけれど。四歳になるお子さんが『赤いお肉がごぼごぼおしゃべりする』と言うらしくて」 「おえ……的確なお子さん……つか、これ、何、この家に因縁があるなんかなの……? おまえ承和団地に用事があるんじゃなかったの……?」 「はい、これから承和団地のD棟三〇六号室に、この方を運んで捨ててきます」 「捨て…………は?」 「因縁、というものかは、ちょっとわからないけれど。メイシューさんと、お子さんが言うところのこのお肉の方は、先ほどの女性のお姉さんで、承和団地D棟三〇六号室にお住いの五十嵐哲也さんの、奥さんです」 「………………んっ」 なんかいろいろ考えたくなくて、整理できなくて、理解できなくて、息を飲んだら変な声が出てついでにズハッと息吸っちゃって腐ったような焦げた臭いを存分に吸い込んじゃって、わりと本気で涙が出そうになっちまった。 なんだそれ、なんて、久しぶりに思った。 見た目が怖いとはあんまり思わない。肉塊さんなんて、線路やら交差点やらでわりと見かける。臭いがきついのは新感覚だけど、そこまで怖いとは思わない。 ただ、コイツが冷静に語る言葉の方が、怖かった。

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