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あわれおりなすあねはこび:08

「自殺だったんだそうです」 ずるずると白い麺をすする合間に、キイロは殊更淡々と言葉を吐いた。 先週からやたらめったら鬱蒼としていたこいつのテンションは、今はまあまあ普通にいつもどおりのローテンションか? ってくらいに戻ってきていた。 何がトリガーなのかいまいちわかんねーけども、まあ、テンション低くても高くても他人に当たり散らすような奴じゃないからそういう意味ではどうでもいい。ただこいつのテンションが低いと具合わりーの? なんなの? あたまいてーの? なんなの? って俺が若干世話焼きモードになっちまうのが自分でもどうなのこれっていう感じで微妙な気分になっちまうから嫌だわぁってだけだ。 元気ならそれでいいけど。つか、お前よくあんなもん食って吐いた後にうどんずるずるすすれるよなって変なところで関心しちゃうわ。残念ながら俺はとてもじゃないけど何かを口に入れるお気持ちになれない。 なるべく赤くなくなるべく肉っぽくない食い物、と頭をひねった結果がチェーンのうどん屋だったわけだけど、さっぱりしたしょうゆ出汁のニオイすら鼻の奥にガツンと来る。向こう一週間くらいランチは蕎麦かなぁとぽやぽや考えながら、うどんなうなキイロたんに向かって頬杖ついたまま相槌を返した。 「あー……それって焼身自殺? あの妹さんちで?」 「はい、ええと、いえ……あの、焼身自殺ではあったんですが、場所はどこかの、公園のトイレとかだったみたいです。沙月さんは、五十嵐哲也さんと離婚した二か月後に亡くなったそうです」 「はえー。離婚直後に自殺って、つまりは沙月さんとやらは離婚に納得してなかったって事? なの?」 「さあ、ボクは、詳しくはわかりませんが……ただ、夫婦仲はあまりよくなかったようで、妹さんはよく愚痴の電話を受けていたという話、です」 ずるずる、うどんの合間にキイロが語ったのはなんつーか、そりゃテンションも下がるわなぁって感じの話だった。 武藤弥生は姉の沙月の四十九日を終えた日に、玄関前にたたずむ黒い人影を見たという。どうにも人間だとは思えずおびえていたものの、夫は気のせいだろうと言って笑うばかりだ。人影はふと気づくとそこに立つ。けれど凝視しようとすると消える。 そのうちに害もないならと慣れ始めたが、四歳の娘がその人影を家の中に『入れて』しまった、らしい。 おねえちゃんが帰って来たよと娘は言った。そしてその日から、家の中に確かに焼け焦げた姉の気配を感じるようになる。 ……まあまあ、よくできたホラー映画の導入って感じの展開だ。言葉にして羅列すると、んーもうちょいインパクトほしいねとか適当な事も言えちゃうが、当人にしてみたら本当に死ぬほどの恐怖だろう。 家の怪談ってやつは嫌だ。帰る家に、安全な家に、異変が起こる。ウチの中なら安心だと思えないのはなんつーか最悪だ。 恐怖し悩んだ武藤弥生は、人づてに刈安キイロに姉の運搬を依頼した。 姉の幽霊を捨てる場所に弥生さんが選んだのは、姉の元夫の部屋だった。 「……いつもお前が吐いてるあのー、廃神社みたいなとこじゃ駄目だったの?」 キイロが幽霊的なアレソレを吐き出す場所は、たいてい決まっている。コイツ流の幽霊捨て場みたいなもんがあるらしく、その場所を思い浮かべた俺に対し、キイロは少し陰鬱そうに息を吐いた。 「――ボクも、最初にご提案しました。ボクは運ぶことしかできません。浄化とか成仏とか、そういうのとは無縁です。だから普段は、そういうものが脱出しにくい場所に運んでいくんですが……弥生さんは、あの男の部屋に捨ててきてください、と仰って、それで、」 「それで、月に二回、武藤家に戻ってくる沙月(肉塊)さんをちまちまと元旦那の部屋に捨てに行くのを、繰り返してる……?」 「……はい。そこに、と、おっしゃるので……」 依頼人がそうしてくれと言って金を払うなら、キイロは断れないだろう。 それが刈安キイロの仕事だからだ。除霊はできない。キイロにできるのは、言われたとおりに運ぶことだけだ。 デバガメ精神全開で妄想してみても、あんまり素敵なシナリオは思い浮かばない話だ。弥生さんが何を思って自分の姉を義兄のもとに押し付けるのか、元旦那はどうして沙月さんと離婚したのか、沙月さんはなんで焼身自殺なんかしたのか、正直さっぱりわからないしズバッと訊く以外に疑問が解消される手立てはないだろう。 ただ、弥生さんと沙月さんは仲睦まじい姉妹ではなかったそうだ。 そりゃ、まあ、確かに……死んで、今更付きまとわれても、困るだろうなぁと思うよ俺も。 沙月(肉塊)さんが、何を思って不仲の妹の家に戻ってくるのか、それもたぶん一生わからないことだ。 なんでうちなの。と、武藤弥生が取り乱し泣き叫んだ言葉を、キイロは覚えていた。 俺は想像することしかできない。キイロも詳しくは知らない。けどまあ、生前たいして付き合いもないような嫌いな親族が死んでからも付きまとってくるようならば、まーうん、そうね、鬱にもなるわよねと、思わないでもないけどさ。 そういや会社の方でチラッと女子諸君にお話を聞いてみたけど、五十嵐某サンは去年離婚成立してから随分と女の子にちょっかいをかけることが多くなったらしい。職場で異性を口説く奴なんて大概アホだ。そんでそういう奴は、職場以外ではもっとアホな行為に及んでいると勝手に確信している。 ぜーんぶ、ただの俺の印象で、ぜーんぶただの俺の感想だ。 また来月になったらあのお肉塊は承和団地D棟の三〇六号室から武藤弥生の家に戻り、また、キイロが食って承和団地に運んで捨ててくるんだろう。何を言っても妄想の域を出ないけど、これだけは確かな事だと思う。 何があっても大概は見慣れていたとか思ってた。肉とか髪とか骨とか皮とか青白い女とか朽ちた感じのおっさんとか干からびたばあさんとかばきばきの子供とか、いい加減見るだけなら見飽きたし、インパクトに欠けるよな、とか思ってた。 まさかこんなさぁ、人間側の複雑怪奇な感情にあてられてため息ついちゃうくらい憂鬱になるなんて、思いもしなかったよ本当にさ。 「……ボクは、運ぶだけしかできない、ので。……こういう、一般的には少し、非人道的というか……人を助けたりするだけじゃない依頼も、受けることがあります」 うどんをすすり終わったキイロは、キレイに手を合わせた後に目を伏せる。 「まーそうよね……運送会社とか郵便局の配達員に正義とか倫理とかを胸に正々堂々気よく正しいものしか運ぶな! とか言えるわけねーしなぁ。そら、依頼人がそうしてくれっていうなら、そうするしかねーもんな」 「…………メイシューさん、あの……怒って、ない、んですか?」 「え。なんで。怒らねえよ別に。あ、いや怒ってるけどなんつーかそれはキーちゃんに対してじゃねえから気にすんな気にすんな」 「じゃあ、誰に」 「どんな理由であれ好きとか嫌いとかそういうくだらねー理由で幽霊運送野郎の心身負担をかけてる事に無自覚なクソ夫婦以外あるかよ」 「…………メイシューさん怒ると口が悪くなるんですね……」 「俺なんかいっつもお口は上品とは程遠いですわよ。つかお前は怒んねーの?」 「……ボクは、あんまり、感情とかそういうもの、わからないので。それに、怒ると疲れるし、悲しむとすごく疲れるし、そんなことに費やすようなエネルギー、なんていうか、こう、余ってなかった、のかもしれません」 水を一口飲んで、グラスを置いたキイロは『いままでは』と付け足す。 じゃあ今はどうなのとは聞かなかった。怒ったり悲しんだりするような話題をいつまでも続けるのは精神衛生上よろしくないでしょ? と思うからだ。 どうせキイロは来月またあの家に行き、承和団地に行くんだろうし。刈安キイロは仕事に関しては異常にドライで、そこに湿っぽい感情を絡ませないイメージだ。コイツが自分で言うように感情なんてもの感じる余裕がないだけかもしれないが、俺の印象としては仕事に対して真面目なだけなんじゃねーのって感じだ。言われたことは言われた通りやる。ただ、それだけなんだと思う。 だから俺はあれこれととやかく口を出すことはせず、ただ背中撫でる係に徹しようと思うわけだ。 キイロの判断で、キイロが身体張ってこなしてる仕事に、俺が口をはさむことはしたくない。でもまあ、勝手に怒るくらいはいいだろうよ。……知り合いのそこそこ好感度高い野郎に対してぞんざいな扱いをされたら、誰だって嫌な気持ちになる、と思うたぶん、うんそうだそうに違いない決してこれは愛とか恋とか独占欲とか俺のキイロに何してくれてんだくそがなんていうよろしくない感情じゃない、と思い込む事にした。 「……つーかお前はなんでそんなにやついてんの。うどんそんなうまかった?」 「え。え? あ、はい、うどんは、おいしかったです、けど。ええと……ヒトに、……心配してもらえたの、とても久しぶり、な気がして」 うれしいです。 なんて言葉を聞いた俺があーあーしてしまうのも仕方のないことだ。不憫かよ。やめろやめろ不憫パワー全開で幸薄タックルかましてくるのやめろほんとそういうのよくないっての。 さっきの話じゃないけど、感情ってやつに割くエネルギーっての? そういうものが、確かに今までのコイツにはなかったのかもしれない。今は少しだけその余裕があるんだろう。うれしいです、なんつってほんのり笑った顔がダイレクト俺の不憫萌モードにぶっ刺さってちょっと机にダイブしそうになった。 それなのにキイロは、ぐっと言葉を詰まらせた俺にさらに畳みかけやがる。 「感情なんてもの、なければ、楽なのにって、友達が言っていたなって、思い出したんです。ボクは、元々そんなものたいしてわからなかったから、そうかも、とも、そうだね、とも、そんなわけないよ、とも、言えなかったんですけど。……いまなら、そうでもないよって、言うかな、って思います。……感情って、せわしないけど。メイシューさんに、背中、さすってもらってる時に泣きそうなほど嬉しいのは、感情があるからだと、思うから」 「……キーちゃん」 「え、あ、はい。……なんですか」 「鼻水出そうになるから急にしんみり不憫コンボ決めるのやめたげてくださいまじで。あーくそ、目から鼻水出る……」 「目から、え? だ、だいじょうぶですか、あ、た、タオル……」 「それさっき肉塊さん吐いた時に使ったやつだろやめろ出すなこっちくんな。つか感情ぐるんぐるんしてたらやっと落ち着いてきたわ今なら飯食えそうな気がする……いやにくにくしいものはあと三日は目にしたくねえけど、パンケーキとかならいける気がするそうだパンケーキ食おうデザート行くぞキーちゃん」 「……ボクは、かまいませんが。…………ボクと、一緒で、いいんですか?」 「あ? 何が。何で?」 割と素で返しちまってから、キイロの疑問が『ボクみたいな目立つ変人と一緒にカフェなんかに入ってメイシューさんは不都合ないんですか?』の意だったと気が付くまでに結構時間がかかっちまって、俺ってわりと普通にコイツのこと受け入れちゃってんだなーと自覚してちょっとだけげんなりした。 目の前の男は真っ黒いコートに、黄色い傘に、赤茶の長髪に、半身にタトゥーが入っている。どう見てもやばい。いろんな意味でやばいし、どの意味でもやばい。 それなのに俺はコイツをやばい変人としてではなく、俺と一緒にいないと死にそうな不憫な刈安キイロとして認識しているわけだ。 ……まあ、うん。 俺のライフが削れるわけでもねえし、いいんじゃないの別に、人助けみたいなもんだしさ。 そう言い訳して、でもなんか全部説明すんのはよろしくない気がしてため息一つで勝手に省略して、いいから行くぞと足を蹴った。 焦げ臭い、嫌な臭いはもうしない。 それでもまだ頭の奥に武藤弥生の困ったような顔がこびりついて離れない。 終

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